第10話 続く洗礼

 月初めにペリペリと剥がしてきたカレンダーが残り一枚となり、母が購入した新たな十二枚が共に掛けられると、その重みを支えるピンをジワりジワりと苦しめる。


 改めて見ると、今年のクリスマスは社会人同士の恋人たちの為に有るような日程だなぁ、と思う。

 来たるべく金曜日のイブを待ち侘びながら業務に勤しみ、待合せ場所でその疲れも吹き飛ばす互いの笑顔で癒やし合い、有名ホテル最上階のフレンチレストランで特別メニューに舌鼓を打つ。その後は眼下のデートスポットで夜景を楽しむも良し、予約した部屋でまったりと乾杯するも良し。

 そして、キャッキャウフフでイチャコラして朝をふたりで迎え、週末デートを満喫するわけですか。

 大人って、すげ〜ね!


 この一大イベントに何処か他人事でしかない一因は、間違いなく我が父。

 これまで送迎の折に幾度もあなたと出会でくわしておきながら、愛想笑いもない顰めっ面でその存在を否定し無視し続けてまともに顔を合わせようともしない。

 あなたはあなたでそんな家族にもこれ以上なく誠実で、常に遅くならぬようにと送り届けてくれる。

 まぁ、たまには隠れてちゅーしてるけどね。


 不満なんてある筈もない。


 先月のあなたの誕生日祝いも、野郎が行きづらい女子人気度の高いカフェのディナーメニューをリクエストされてご馳走したし、ネックレスので贈った小粋な文房具も日々の業務で使ってくれている。


 甘いものが苦手だけどチーズ好きなあなたにリコッタチーズのパンケーキが認定されて、数少ないスイーツのレパートリーへの期待が増えたのは良い傾向でした。とは言っても幼馴染みさんのケーキには敵わないので、近々レシピを教えていただく事になっている。実はお菓子作りって苦手なんだけど、あなたの為ならば頑張りたい。


 食事の帰りに立ち寄った文化施設を綺羅びやかに彩る一足早いイルミネーションで、これでもかとラブショットを撮る。

「今日はありがとう」

 ねじくれたデザインの塔の下、夜風でちょっぴり冷たくなった私の頬をその長い指でさすりながら心底嬉しそうに見つめられると、愛されてる実感が増し増しに増してきて昇天しそう。

 だから、この後の「時間だね、送るよ」との台詞に隠れたあなたの固い意志に改めて納得する以前から、特に焦る必要もないと考えている。


 確かに、あと一年でも早く生まれていたら少しは変わったのかも知れない。

 でも、今更〈たら・れば〉を論じても時間の無駄でしかなく、そんな暇があったら更に胃袋をガッツリ掴む努力をする方が建設的なので、イブでもクリスマスでもよく日曜日までも職務に勤しむあなたからの連絡を待つ間に、月二回の恒例となった試食会の研究に取り組むのである。


 ピコン♪ と届くあなたからのメッセージ。


⇒ 待たせてごめん、今から向かう

「逃げも隠れもしないから、ゆっくりおいでください……送信っと」

 ―――とは言え。

 いつになったらあなたの名前を呼べるのかなぁ。


 ◆ ◆ ◆


 冬の一大イベント、クリスマス。

 金、土曜日に跨がるこの二日を過ぎれば街は急速に色を失い、当店でも煌めく装飾が次々と外されておごそかに新たな年を迎える準備が始まる。


 初めてふたりで迎える聖夜だというのに連日出勤し、恋人らしいことも一切せず通話だけという、何とも素っ気ない日々を送らせてしまった自責の念が、今になって込み上げてくる。 

 誰に言われたわけでもない。

 周りに流されれば楽なのも判っている。

 それでも、きみの手を掴んだあの日に固めた決意を覆す気はなく、それは何があっても貫き通す。

 同時に、秘めた身勝手に無言の圧で付き合わせる事への罪の意識を深々と胸に刻み続けて。


 先程、誕生日を祝ってくれた翌日から胸ポケットに毎朝挿し込むきみの存在をとうとう知られ、みなに冷やかされる。

 見せてみろ、と強請ねだられても晒す気は毛頭ない。

 それ程までに駆られる強い独占欲。

 これを抑えるのは正直骨が折れるというのに。

 きみから紡がれるオレの名を早く聞きたくてその都度催促するが、旨いこと逃げまわって一向に呼ぶ気配がない。今では『おい』『なあ』で済ませる昭和の亭主関白な夫か思春期男子のような扱いだ。

 オレにとっては、心に決めた相手のみに許す唯一の呼び名だから〈マサト〉から早々に変えていただくつもりだったが。

 いつになったらそうしてくれるのか。


 その事だけがただ一つのきみへの不満。

 残るは焦燥ばかりが募る。


 余裕綽々で立ち回り、きみへの愛を大切に育むように見せて心の中では葛藤に次ぐ葛藤で。

 あの手この手で見えない結界を張り巡らしては黒い嫉妬の炎が渦巻いて。

 これで済んでいる現在いまもさることながら、全てを手に入れた未来さえも箍が外れたらどうなるかの想像もつかないなんて。

 情けないったらない!

 幾つになったってこんなもんですよ、男なんて。

〈きみを想うだけで、狼狽えるばかりの不始末〉

 なんて旨いこと歌う人も居るし、本当にそう。


 あー、もうダメだ、耐えきれない。

 浮かれていた世間に当てられて、早いところ仕事を終えてきみの声を聞きたいし、会いたいし、この腕で抱き締めたい!

 ―――という先述との矛盾した想いがダダ洩れしたのか。

「メリクリなのに連日悪かったな、もう上がれ」

 店長の一声でひと足先にオレの一日が終わる。

 つい無駄な音を立てがちな、逸る気持ちを抑えながらの帰り支度を周囲がやけに微笑ましく見つめてくるが、そんな事に構ってはいられない。

「では、お先に失礼します」

 何とか体裁を繕い、澄まし顔で退勤の意を告げる。

「「「お疲れっした〜!」」」

 一同から〈イイね〉だか〈ガッツ〉だか、サムズアップによる謎の激励をいただいても、今は返す暇さえも惜しいんだよ、お察しくださいっ!


「待たせてごめん、今から向かう―――送信」

⇒逃げも隠れもしないから

 ゆっくりおいでください


 そんな事は重々承知。

 オレが、きみからの愛を早急に摂取したいだけ。


 ◆ ◆ ◆


 一日遅れの聖夜ディナーの後、送ったきみの自宅前で思わずお喋りに夢中になる。

 ガレージに、滑らかに横付けされた車が一台。

 ご両親の帰宅かと思いきやお父さんのみ。

 切れた電球の買い足しに出掛けたらしい。


「近所迷惑だから家に入りなさい」

 申し訳ありません。


「今日も仕事じゃなかったのか?」

 15時で切り上げました。


「用が済んだなら帰れ」

 はい、失礼します。


「二度と来るな」

 また来ます、何度でも、会うために。


「どうしてウチの娘なんだ……」

 本人の前でそれを言うには照れますが、敢えて言うなら―――。


「即答できない程度ならこれまでだ、帰れ」

「ちょっと、お父さん、いい加減に……わわっ!」

 バタン、ガチャ、ガチャ。


 おぉ!

 会話が続くようになってきたじゃないか!


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