第3話 ぬくもりがくれる、衝動

「あー、ゔー、ああー……ゲホゲホッ!」

 これはマズい。

 風邪をひいたようだ。

 熱はないがとにかく喉が痛い、イガラっぽい。

 お陰で声は接客業務に差し障る程にガサガサ。

 現在、秋の繁忙期間中。地方のため、勤務経験のある都市部に比べれば慌ただしさも緩く、早くにピークを終えた今であるのは幸いだったが、季節の変わり目だからと特に気を付けていたのにこのザマとは情けない。

 これまでのサイクルから割り出すと、すっかり習慣づいた手作り惣菜を持ってきみがやって来る週末まであと三日。

 これは……絶対に知られてはいけない。

 と思った矢先、ピコン♪ ときみからのメッセージを受信する。


⇒ そろそろお惣菜がきれる頃かと

「今週はペースを落として食べたからまだ残ってるんだよね―――と。うー、喉が痛い」


⇒ じゃあ、週明けにする?

「そうしてくれる? ごめんね」


⇒ 何故に謝るのか、変なのー

「調理意欲を削いだから―――って、あ〜、も〜、ゔ〜っ!」

 お惣菜はとっくの昔に食べ尽くした。

 嘘ばかりの返答に苛立ちが募る。


 春の繁忙期真っ只中の研修後、まさかの邂逅に心惑わし、GW後半の日帰り温泉で何とか理性を保ち、二度目のきみの誕生日を夜景の美しい街まで足を伸ばして祝った。

 続く閑散期を思うがままに楽しんだ筈なのに、その夏を過ぎた今、またもや忙しくて通話さえもままならず、文字による感情のやり取りばかりのひと月。きみからの愛の摂取不足も甚だしく、禁断症状でおかしくなる上に、この喉の痛み。


 よりによって、何故に今なのかっ!


 そして週末、とうとうだるさが増して欠勤した。

 保留案件や事務作業が残っているが、

「他の奴等に割り振るから、ゆっくり休め」

 前日に店長から有難いお言葉をいただき、完全に甘えた。

 何年ぶりかでアラーム設定もせずに午前中をベッドでダラダラと過ごす。気忙しくしてるつもりはないが、副業を持つせいか毎日を刻んで生きていたようで我ながら頑張ってたなと褒めてやりたくなる。

 ピコン♪

 春同様、秋の繁忙期を抜けたタイミングを絶妙に見計る、幼馴染みからのメッセージが届く。


⇒ リカコと近くまで来た、昼飯食わねぇか?


「いやいや、十年越しの恋が実って間もないふたりの邪魔をしたくないんだけど……ていうか絶対ノロケしか無いじゃない。それでなくても、こっちは会えなくて凹んでるのにさぁ……」


 毎回、慌ただしさで溜まったストレスをこうして発散させてくれる誘いを突然断ったら、体調不良とは知られずとも何事かと訝しむだろうか?

 どうするべきか、と迷っていると突然通話コールが鳴り出し、スピーカー越しに菓子職人の低音ボイスが響く。

『予定外のデートか? それとも体調不良か?』

 どうやら、ふたりの新居探しがてら店頭まで赴いたようで急な欠勤が発覚してしまったらしい。しかも、こっちは声がザラザラで誤魔化しようもない。

「……声が、お聞きの通りヤバいです」

『熱は?』

「ない。昨日、職場でだるかったから念の為に休みを貰っただけ。今まで寝てたし、もう大丈夫だよ」

『にしても声がひでぇな。彼女の愛情タップリ惣菜は有っても、喉越し良いモノは無ぇだろ。持っていってやるからそのまま寝てろ』

 風邪っぴきに構わずデートを楽しめ、と口を開く前に通話が切れた。長子らしいお兄ちゃん気質が彼の心をかき立てたようだ。

 ここはその心遣いにも甘えるとしよう。

「はぁ……久しぶりに体調を崩すと弱々だなぁ」


 ◆ ◆ ◆


 ピンポーン♪

 自宅のチャイムが鳴る。

「はーい。早いわね、まさか財布忘れたとか―――え? えぇーっ!?」

 数々の見舞い食を届けに来たが感冒薬の在庫切れに気付き、買い足しに出たばかりの幼馴染みのご帰還かと大野リカコさんカノちゃんがドアを開ける。

 が、突然の素っ頓狂な声。

 何事かとリビングから覗くと、そこには週明けに来るはずのきみの姿が!

「っっっ! ぐっ! ゲホゲホ!」

 声が出ずに苦しむ様が意味有りげに見えたのか、形の良いアーモンドアイを大きく見開き息を飲むその様子に気付き慌てて玄関へと向かうが一歩遅く、きみは無言で足早に駆け出してしまう。

「待って、誤解よ!!」

 意図を察して大野さんが急ぎ追いかけてくれる。

 あ〜、も〜!

 何でこういう時に限って声が出ないんだよ!


「移るなよ」

 幼馴染みがきみに言う。

「移しちゃダメよ」

 大野さんがオレに言う。

 十分判ってるってば!

 ふたりを見送り、リビングへ戻る。

「仕事中にこっそり追加しとこうと思って来たんだけど、こんな事になってたとは。早く教えてくれれば適した物を作ったのに、何で言わないかな?」

 いつから体調が悪かったのか、と尋問しながら持参のお惣菜を保冷バッグから取り出す。

「……ごめん」

 これにはションボリと項垂れるしかない。


 そりゃ、言えるわけがない。

 こうして駆けつけるに決まってるから。

 というのは自惚れ過ぎか?


「何か食べた?」

「ゼリーを飲んだくらい。喉の通りが悪くて」

 冷蔵庫には簡易的なお見舞い食が揃っている。

「併せて持ってきたお惣菜を、少し出してみる」

 ため息混じりに呟くと、とろとろ餡掛け付きのふろふき大根を喉越し良いように冷めたまま出してくれた。

 ヒトは不思議なもので、固定観念が染み付くと冷たい物にもフーフーと息を吹きかける事があり、まんまと騙された仕草に思わず笑われてしまう。

「ゔゔー、笑うな……」

 余裕もへったくれも無い荒れた口調。


 なにやってんだよ、もう。


 胸の内を隠すようにふろふき大根に手を付ける。

「むぐむぐ……美味い!」

 生き返るとはこういう事。

「温め用だから薄味に感じるかもよ?」

 自信なさげに冷茶を出すが、いやいやどうして、大根そのものにも出汁が十二分に染みており、その旨味だけで白米二膳はイケそうだ。

「ううっ、ゲホゲホ!」

 思わず綯い交ぜな気持ちが先走り、ゆっくりと味わう間もなくせてしまう。


 おいおい、しっかりしろよ!


「大丈夫?!」

 ラグに直座りするオレの後ろに回ってソファに正座をすると、一段上からクスッと柔らかな笑いとともに優しい声が降り注ぐ。

「大根は逃げませんよ。ゆっくりと召し上がれ」

 そして、咳き込む背中を上から下へと擦り始める。


 ちょっと、待ってください。

 それ、今はヤバイ気がする。


 つかえた喉を落ち着かせながらチラリと視線を正面に向ければ、電源を落としたテレビの黒画面にきみが写り、ぴょこんとみっともなく跳ねた寝癖をつまもうとしていた。

 ヒョイと避けると、反射して丸分かりだと気付かぬきみは、

「気配が読めるの!?」

 などと、何ともかわいい反応をしてくる。

 そして、在ろうことか、

「髪、梳かそうか?」

 なんて言ってくれちゃうし。

「いや……大丈夫だから、気にしないで」


 これはもう、俯いて黙々と食べ進めるしかない。


「ならば、藍田家秘伝のを施しましょう。不調の箇所にめちゃ効くから、乞うご期待。先ずは背中から擦りまーす。治れ、治れ、早く治れーー! 次は喉ね。丁度、手が冷えてるから気持ちいいかもよ? はい、顎を上げて。では行きます、治れ、治れ、早く治れーー!」


 頼・む・か・らーーーっ!!!!!!!!!!


 中途半端な不調が甘えを起こす。

 必要以上の望みをボロボロと吐き出しそうで。

 絶対に抑えきれないから黙っていたのに。

 これでは理性がぶっ飛びそうだ。

 今はあいつらが釘を刺してくれて感謝しかない。


 ◆ ◆ ◆


 何で言ってくれないのかは十分判ってる。

 責めるつもりはないのに語気に棘を孕んでしまうのは、遠慮されるのが悔しいからなんだろうな。

 そんな態度を見せても意味は無いのに。

 謝るのはこちらの方だよね、ごめんね。


 そしてもう一つお詫びを。

 十一月に迎えるあなたへの菓子作りを断念。

 こっそり、ケンジさんに誕生日ケーキを頼んだ。

 プレート用の名を聞かれて、不要と答えた。

 この口からあなたに伝えたいから。


 実感など無いままで新成人としての秋が深まる。

 あなた好みに呼べる日が早く訪れますように。

 それだけをずっと、ずっと祈ってる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る