第5話 だれにも言えねぇ

「好きな人に、好きな人がいました」

 挨拶に元気がないので強引に聞いてみれば、これは〈慰めのその先〉へ進めとの神の啓示なのか?

 いや、前のめるのは止めておこう。

 恋に破れた隙を狙っても成功する事はない。

 沸き上がりそうな感情を胸の奥底にひた隠して仮面をひとつ被り心を落ち着かせると、知りたくなかった事実が発覚したことに改めて気付く。

(そうか、そんな人がいたのか……)

 一般的に見ても、予定の一つも入って然るべき時間に受講する時点でその手の話は避けてきたが、ここにきての新事実に受ける衝撃は存外に大きい。

(そりゃ……恋の一つもしますよねぇ)

 なんて凹んでいる場合ではない。

 いま俺がしてやれる事はひとつだけだ。

「今日はレッスンはやめにして歌いますか。沈む気持ちを声に出して吹き飛ばせば幾らか心も晴れるでしょう。微力ながら伴奏しますからリクエストがあれば遠慮なくどうぞ」

 努めて平静を装い提言すれば、次から次へと口を衝いて出るくのは怒涛のラブソング。


 それは。

 望みたくても望むことすら許されないもの。

 天地が返っても決して得ることのない熱い想い。

 はぁ、どれだけ想われてるんだよ、そいつ。

 くっそ羨ましい。

 オレはこんなに苦しんでるのに。

 言えることなら、言いたい。

 オレならば悲しませない、傷付けない。

 だからこの手を取ってくれ、と。

 ……いやいや、落ち着こう。

 そもそも秘めておく想いだ。

 春になり、彼女の退会で離れてしまえば尚更だ。


 一曲目からの滑らかな次曲移行に驚く彼女とドヤ顔で見つめあった瞬間以降、視線も交わさず、互いの爪弾き口ずさむ旋律のみが響き渡る防音室。

 二人だけのこの儚い時間が永遠に止まればいいと有り得ない望みを抱きながら、途切れぬ曲とは裏腹に時計の針は無情にも時を刻んでいく。


 ああ、そういえば。

 こんな場面にピッタリな曲があったな。

 同様に、傷付き泣いてる女性をあの手この手で慰めて最後に男は食事に誘い、

〈お節介か、告白か、好きなように取ってくれ〉

 と歌ってたっけ。


 そう、必要以上に求めない。

 選択権なぞ持つ資格もない。

 それでも欲を出しても良いならば、今のオレなら前者と受け取ってくれるだけで、十分だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る