第5話 Touch
この夏できみが二十歳になったことで、人知れず我が身に課した制限を解く……が、幼馴染みの予想は見事的中。先の一歩が踏み出せぬまま、とうとう十一月となり自身の誕生日を迎えてしまった。
「お先にあがります」
「お疲れ様っした〜」
社を後にし、初冬の風が時折チリッと頬に当たるなか、きみの待つ我が家へと急ぐ。
今日は午前のみの講義を終えた後、これまで以上に豪華な手料理を振る舞って記念すべき三十路突入を祝ってくれる、と聞いた。お陰で、哀れなほど不甲斐ない自分を都合良く闇の彼方へ押し遣り、胸中は朝からアホのように浮かれている。
「いま出たよ―――と、送信」
⇒ 了解、気をつけて
ドアを開ければきみが笑顔で出迎えてくれる。
それだけで、最高のプレゼントだ。
◆ ◆ ◆
「結構な時間になっちゃったね、送るよ」
幾度も耳にしてきたこのフレーズに終止符を打つべく、長らく温めてきた計画を実行に移す。
果たして成功するのか。
してもらわねば心が折れる。
それはもう、バッキバキに。
「待って。うーんと、見つからないな……」
我ながら演技が下手くそだなぁ、とこっそり自嘲しながら玄関でバッグの中を探るフリをする。私の思惑を知らないあなたはドアの前で振り返り、つっかけた靴を脱いで忘れ物の有無をリビングへと確認すべく、私に近付く。それを視界に捉えたところで逃さぬように腕を掴み、決死の思いを伝える。
「……やっぱり帰らなきゃ、ダメ?」
暫しの沈黙の後の選択肢は二つ。
欲しいのはただ一つ。
「余りに遅いと、お父さんの雷が落ちちゃうよ?」
にこやかに拒むとは、想像通りで笑うしかない。
でも、これ以上は引き下がれないし、したくない。どうしても先に進みたい。
「それも承知の上で『今日は帰らない』と言ってきたんだけど」
しっかりと視線を合わせれば。
生まれるのは―――静寂のみ。
未成年だから。
それは気付いてた。
だから、その名を呼ばなかった。
ちょっとした意地、こどもだよね。
判っていたけどさすがに限界。
若気の至り、発動。
したらしたで、やってくる長い沈黙。
そうだよね、面倒臭いよね、重いよね。
その
だから要らないものは捨ててくるって。
無意味な行動なのは、わかっている。
けれど。
それで幾らか対等に近付けるならば。
言うしかないじゃない?
そうしたら静かに叱られて。
意味がわからない。
抗議すれば、泣きそうな顔で「ごめん」って。
欲しいのはそれじゃないよ、わかるでしょ?
しかも、何度も「後悔しない?」と確認するし。
くどいよ。
他に誰が居るっていうの、教えてよ。
◆ ◆ ◆
何事も求めすぎてはいけない。
確証が持てないものは、特に。
それなのに。
そんな事も忘れるほどに、きみしか見えない。
見えなすぎて。
何を仕出かすか、判ったもんじゃない。
きみの誕生日、オレの誕生日、クリスマス。
ムードが大切、なんて格好つけて言い聞かせて。
言い訳ばかりの弱虫なオレの、完全なしくじり。
先に言わせてしまった。
だって。
手料理に誕生日プレゼントに、それ以上なんて。
贅沢すぎる……だけじゃなく。
きみを失う時を想像すると、怖くて。
いつかみたいに大切なものがこの手から零れていくように、手にした瞬間、吹き消した蝋燭の火と共に消えてしまうんじゃないかって。
そんな苦しみは、もうたくさんだから。
どこまでも意気地無しだな、オレ。
見せたくなかったのに、こんな男でごめんね。
◆ ◆ ◆
ねぇ、大丈夫?
無理強い、してない?
これは完全に押しつけだよね。
遠慮しないで、嫌なら言って。
え、何、良く聞こえない。
寧ろ、何?
言葉を遮るように、強く引き寄せる腕。
息苦しくて溺れる程に重ね合わせてくる唇。
これらがその答えだと、信じていい?
欲しい。
欲しい。
全てを手に入れて独り占めにしたい。
誰にも渡さない、触れさせやしない。
止まらない。
止まらない。
想いが堰を切って溢れ出す。
このままでは壊してしまう。
頼む、頼むから
オレの理性よ、働きやがれ!!
「ちょっと、優しくできる気がしない」
「どうぞ、お手柔らかに」
「去年、打ちつけた足指はどう?」
「お陰様で、無事です」
「おなか、弱い?」
「動物だもの、誰だってそうでしょう」
「変態臭い、とか言わないでよ」
「……変態…」
「ヒドい!」
「うふふ」
「カホ、ツラくない?」
「大丈夫だよ……くん」
「っっ! まさか、ここで来るとは」
「誰のせい?」
「そういう事か……もう一度、いい?」
「ま……く…」
「もっと」
「ま……くん」
「お願い、ずっと、呼んで」
「まーくん」
「カホ」
もっと、触れてもいいですか?
きみの、
あなたの、
奥深くまで。
◆ ◆ ◆
「水分補給、どうぞ」
風呂上がりのカホの隣に座り、グラスを渡す。
オレのスウェットを緩く纏い、フェイスタオルを首に掛けたままで受け取ると両手持ちでそっと口をつける。
超絶可愛いんですけど、どうしましょう。
どうもしませんけどね、今日は。
今日でなけりゃ、どうにかするんかい!
そりゃ……ゆくゆくは?
諸々……ねぇ?
ほら、変態さんだから、オレ。
「……ごちそうさまでした」
か細い声で呟いて飲み干したグラスをテーブルに置くと、隣りでガン見しているオレの視線に気付いてそそくさとタオルで顔を隠してしまう。
照れですか?
恥じらいですか?
我慢できないので、いいですか?
「もっと近付いて、抱き締めても良い?」
一瞬の間をあけて返る言葉は、何ぞや?
「いいけど、スッピンだから顔は見ないでくれると、有難い……デス」
「高校生の時、散々見てたのに?」
「むぅ……うっすらでも化粧を始めると、急に恥ずかしくなるんです!」
そういうものなんです、とタオルで声をくぐもらせて力説する照れ顔は、未来永劫オレだけのものとしておきたい。
「どちらも可愛いので、これでもかと凝視しますし愛でていきますので、悪しからず」
やや不満そうな瞳で抗議はすれど観念したようで、一歩にじり寄りこちらを向くと両腕を開いてハグの態勢を整えてきた。
その身体を丸ごと頂戴すべく、すっぽりとつつみ込んでここに在る温もりを全身で感じ取る。
今はまだ言えない何かをいつか話せるときが来るように、と心の中で密かに祈りながら今日の終わりを噛みしめる。
「人生最高の誕生日になった。ありがとう、カホ」
「大袈裟だよ。お礼はこっちが言いたいくらい」
「ふふ。んー、この瞬間があと六時間あればなぁ」
「時を止めなくて良いの?」
「カホが見逃した映画を観て、ゲームのレベル上げをして三時間。残りはイチャコラに費やせば充分。そしてオレ達の明日がやってくる、と」
「なるほど。ここで時を止めたら私達が続かない、ということですか」
「おー、判ってらっしゃる」
うふふ。あはは。
「共に明日は午後からの行動。もう少しゆっくりできるけど、そろそろ寝ますか。準備も忙しかったでしょ?」
「そうだね。渾身の五品を
「ドレッシングが美味しかった。また作ってよ」
「レシピを送るから、自力でやってみる気は?」
「えー、味が決まらないよ、無理。味噌汁限定で」
「はい、先生。具沢山の豚汁を食べたいデス」
「承りました」
くすくす。ふふふ。
「カホ、ひとつ良いかな」
「なに?」
「呼んで」
「呼ぶよ?」
「あれから聞いてない」
「好きなだけ聞けるよ?」
「限定的なのは嫌だ」
「なっ! 心配しなくても、腐るほど呼びますよ」
「ならば今すぐ」
「甘えん坊さんだな、まーくんは」
「むぅ……違うし」
「
「……あのねぇ」
「まーくんはまーくん、判ってるってば。私のことが大好きなまーくんの事は、大体ね」
「……連呼はいらないかも」
「二言は許さないよ、まーくん」
「うぅぅ……寝よう」
「朝食は、ご飯派まーくん? パン派まーくん?」
「さすがにやり過ぎ。口封じする」
ちゅーーーっ。
「おやすみ、カホ」
「おやすみなさい、まーくん」
さあ、ふたりで新たな朝を迎えよう。
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