聖夜 きみとの聖なる前夜にくちづけを

 巷は押し迫る年末に忙殺される師走に突入。

 大学進学を決めた学生からのアクセスがちらほらと見受けられるも、年明け後の繁忙期を前にささやかな閑散期を迎える片田舎の我が業界は平日の開店直後に来客など皆無。ともなれば、全従業員が揃う月初の店内は雑談に笑いも混じり、必然的にシフト調整の最終確認へと移っていく。


「さて、今年のクリスマスだけど、用賀くん以外に土日を休みたい人は居るかい?」

 身に覚えのない休暇申請に面食らう。店長が気を利かせての一言らしいのだが、周囲への遠慮も有り断りを入れると珍しい程の有無を言わさぬ圧で返されてしまう。


「去年は無理させたから、一年越しの彼女ちゃんへのお詫びだよ。両日とも、ゆっくり休んでリフレッシュしておいで」

 昨年は、ふたりきりになる夜を避けたくて敢えて出勤を選んだだけに、有り難いその配慮には笑顔で返す他にない。

 おまけに、後輩の一言が思わぬ波紋を呼ぶ。


「カホちゃんと存分に楽しんでくださいね」

 無邪気な笑みを湛えて晒される、きみの名。

 存在を明かすのみで一切を秘匿してきた苦労が水の泡となる瞬間だ。

 ハッとして口を押さえるも、後の祭りだよ。

 しかも、絡み癖の強い主任のみならず穏やかな店長までもが、したり顔で茶化しを入れる始末。


「でかした! 胸元に挿すのみで決して見せやしない〈お文具姫〉の名が漸く明かされたぞ!」

「用賀くんの秘密が暴かれるなんて、今年の締めに相応しい大収穫だね」

 これを皮切りに同僚達が怒涛の勢いで続くのは、当然のこと。


「新調したマフラーは、お揃ッスか?」

「ペアリングだって、着けても問題ないからな!」

「週末クリスマスが楽しみだな、これ〜」

「羨ましくて、首を絞めたくなるんですけど〜」

「リア充、ラブラブ、爆死しろ〜♪」

 パートのお姉様方に至っては、微笑ましいとばかりにうんうんと頷き合っている。その傍らで済まなそうに頭を下げる後輩。悪気がないのは明白とはいえ、これは由々しき事態だ。

 仕方がない、ここは穏便に釘を刺しておこう。


「皆さん、この話はここだけのものとお含みおきくださいね。それでは―――お言葉に甘えて、遠慮なく休暇をいただきます、ので! その間、何卒、よろしく、お願い、します……ねっ!」

 首を僅かに傾げて満面の笑みで感謝を述べる。

 〈微笑の鬼公子〉との異名がついた昔のクセが出たのか、何処からか『ひぃぃっ!』と声にならぬ悲鳴が漏れるが、気に留めることもなく席につく。


 ―――という流れを経たはずだが、今日のこの日にオレは自宅で何をしているのか?


 ご厚意の賜物であるクリスマス&イブ休暇も、繁忙期から本格運用となる新規システムのテストを行うため、リビングで開いたノートパソコンと延々にらめっこ。他店との差をつける為に多くの画像処理を施して情報量をふんだんに盛り込んだ一目瞭然な仕上がりを目指し、午前九時から作業を繰り返すこと全集中の三時間強。

 ここまでくると、顰めっ面でマウスやキーボードと格闘するのもさすがに飽きてくる。


「はぁ、眼にくるわぁ。誰なのかな、ウェアラブルカメラなんて開発した奴は。一般人が手軽に購入できるお陰で、作業がマシマシの増しなんだけど〜」

 時代の流れを憂うとは歳を取った証拠か?

 いや、ここは専門家に任せるべきなのだ。

 工業高校で得た基礎中の基礎でしかない知識を神の如く錯覚して崇め、雀の涙程度の経験を過大評価して全幅の信頼を置かれても出来ることなどたかが知れている。

 お陰で有意義に過ごす筈の時間が着々と奪われていくではないか。

 この哀しさを、どうか汲んでいただきたい。


 きみも聞いてるのかな、カホさん?

 三日前、受けた通話の中盤でそれは起きた。


『世間は、クリスマスという付加価値込みの週末&冬休み。きっと、何処も混むよね。土曜日の日中までは各々のんびり過ごして、夜から合流というのは如何でしょうか?』

 年内の受講を間もなく終えるきみが、唐突に提案する週末クリスマスの予定。

 待ってくれ、話が違う。

 金曜日の夜から始めるのではなかったのか? 


『週末に休息を得る、滅多に無いご褒美だよ?』

 そのように先手を打たれては返す言葉もない。

 しかし、オレは見抜いている。

 謎のゴリ押しに若干の動揺を含んでいる事を。

 問い詰めると、きみはあっさりと白状した。


『実は、タナちゃんのバイト先が人手不足に陥ったので急遽手伝うことになりまして……終わり次第、光速で向かうので、どうかお許しを〜!』


 月まで二秒と掛からぬ速度とは大きく出たものだが、友を助けるその姿勢は賞賛に値する。その意気込みに負けじとオレも一人侘びしく時間外自宅労働に励み、その結果、まずまずの進捗を得た。

 しかし、時刻は十二時三十分。

 ブルーライト浴びまくりによる眼精疲労も、カホの居ない一人ぼっちの時間も、今日がクリスマス・イブの週末という事実が追い打ちをかける。当然、目頭をぎゅっと押さえるだけでは和らぐ筈も無く、眼鏡を外し、ばふっとソファになだれ込み、


「もう無理、限界! カホ不足で、身が保たない! 時よ、早く過ぎやがれーーっ!」

 駄々を捏ねるように天井を仰いで泣き叫ぶ。

 きみには決して晒せぬ、三十路男の醜態だ。


「そして、見事にすっからかんの食料……」

 キッチンの保管ボックスを開き冷蔵庫を覗いたとて、カップ麺、冷凍食品にカホの愛情たっぷり惣菜は見る影もない。申し訳なさげに鎮座するのはカロリー補助食品のみ。

 鳴き喚く腹の虫を黙らせることもままならず、外に出るか否かで悩みモタつくこと三十分。重い腰を上げてコンビニへ向かうべく部屋着を脱ぎ捨てる。


 ピーンポーン♪


 産まれた姿、一歩手前でタイミングの良い来訪。

 げんなりしながら、エントランス前で待機中の顔を拝んでやることにする。


「はいはい、どちら様……って鳴ってるのは玄関前のインターホン? ということ、わわーっ!」

 画面に映るウィンク顔に、心待ちにしていた喜びと現状への動揺が交錯する。


『こんにちは、のカホですよ〜♪ スタッフ増員で早く上がれたから、連絡した通り、遅めのお昼御飯をお届けにあがりました。鍵を開けて入りますよ、ガチャチャン』

「ちょ、ちょっと待って! まだ奥に入らずに玄関に居て、カホ!」

「どうして? まさか、イブに浮気なんてしな……うきょーっ! パンツ一丁で何をしてるの、まーくん! 既読がつかないから不思議に思ってたら、こんな裏切り……信じられない!」

 大いなる勘違いだと説得するのに時間は掛からなかったが、思わぬところであられもない姿を晒すようなヘマは二度とすまいと猛省し、急ぎ服を身につける。


「愛されてると盛大に自惚れて浮気は有り得ないと絶対的信頼をおいているけど、どうしてもしたいならば、全てを清算してからにしてくださいね」

「よそ見をする必要もなく満たされてるので、浮気も清算もしませんよ」

「うふふ、嬉しい、安心した。それにしても、一人だと随分とルーズですな」

「そんなもんでしょ。夏は裸族だしね」

「ふわわっ! ちょっと、やだっ、嘘でしょ……」

「おや、刺激が強すぎたかな?」

「ふむ……ちょっとどころか、かなり興奮する」


 顎に手を添えて片腕を組み、真面目な顔つきで発するその台詞に昼食の準備をするこの手も止まる。


「まーくんってば、お腹も結構引き締まってて身体つきが良いしね」

「ち、ちょっとカホさん、何を言ってるのかな?」


「タレ目を崩してじーっと見つめられたら、そりゃ唇だって許しちゃうよ。どれだけ激しくても、ね」

「あは、あはは! ご飯をレンチンするけど、どれ位食べる? 食べるよね、是非とも食べよう!!」


「耳元で甘い台詞を囁かれたら、悶えまくりだし」

「み、味噌汁は即席バージョンでいいよねっ!」


「そう言えば、初めてのあの時に物凄くお喋りだったのは、どうし……」

「く、口より手を動かしなさいっっ!!」

 嵐のような饒舌を静止するのも一苦労だ。

 付き合いが続くにつれて様変わりする女子を知らぬ訳ではないが、カホがその一人と成らずに済むよう切に願うのだが。


「むふふ〜♪ これまで負かされっ放しで悔しかったから、仕返ししちゃった。結構、効いた?」

 ここまで続くとさすがに我慢の限界。

 甘〜いお泊りコースの予定を早々に繰り上げるスイッチがパチっと入る。


と取るくらいに効いてるって、理解してるんだよね?」

 背後から近付いて正面を向かせ、腰に手を回し、ゼロになるまで距離を詰める。これでは、さすがに文句も言えまい。バツが悪そうに顔を背けたとしても、今更無駄なのだ――。


「当然、わかってますよ。誘うのは男だけとは限らない、って事もね」

 細く長い指先でオレの頬に軽く触れ、首裏に手を回すその仕草。逸らした瞳を徐々に上げて見つめ返すその微笑み―――。

 これまで以上に艶めかしく映るその姿に、勇んだ反撃も虚しく、降伏するしかなかった。


「カホさん……どこで学ぶのさ、そういう事。オレは、きみの変貌が怖いよ」

「大袈裟だな。至るところに落ちてるものを実践したまでですよ、うふふ♪」


「先が思いやられるけど……とにかく今は、充電したい。ちゅーしていい?」

「何を甘えたことを仰るか。半日を寝て過ごし昼をだいぶ回ってから漸く動き出す人が、労働に明け暮れた私から生気を奪うと? 絶対にさせませーん、残念!」


「……、……、はぁぁぁぁ?!」

 事実を知らぬとは言え何という酷い仕打ち。

 ポキリと折れる心の音を微かに聞く。


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