【最終章】きみとあなたとなら

晩秋 あなたを気にしない日など、無いのです

 最近、気象の神に見放されている、私。

 お陰で今日のデートも生憎の冷たい雨。

 こんな日は何処へ行こうか?

 ハロウィンから三日と経たずに設置が始まるクリスマスムード満載の映えスポット?

 突然やってきた寒気団が身にこたえます。

 運動不足で鈍った身体をアクティビティ豊富な屋内レジャー施設で動かしてみる?

 自然の豊かさが売りの片田舎は数が知れてます。

 そう、出掛ける先も限られるわけです。

 というか、既に行き尽くした。

「美味しいお昼ご飯を食べて幸せ極まりないけど、観たい映画もこれと言って無いし、カラオケの気分でもない。ねぇ、この後はどうします?」

「そうだねぇ……」

 あなたからは気の無い返事――ではなく。

 ならば、と示される一つの案。

「今日は、でも致そうかな?」

 含み笑いを浮かべて見つめてくる、あなた。

 これは、もしや?


「息を止めないで、カホ。りきんだら入り難いよ」

「くっ……ぅん、はぁ……」

 首元へと時に爪を立てて滑らせる指先。

 無意識に悩まし気な声が洩れてしまう。

「締め付けが強いけど、焦らず上下に動いてみて」

「あ……や、ダメ……動けな……」

 目を細めるあなたの有無を言わせぬ熱い視線。

 その助言に従うものの、この身は抗うばかり。

「とても上手、このまま最後まで一気にイクよ」

「う…んん……や、あぁ……んっ!」

 漏れる吐息と汗ばむ身体がいざなう絶頂とはこの事。

 ついに声を押し殺すことも忘れて喚き叫ぶ。

「もう、何なのこの運指の複雑さ! わざと難しい曲ばかり選んでるでしょ、意地悪いったらない!」

 ギャギャーーン!

 あなたの自宅で文字通りの個人レッスンを始めて約二時間。とうとう怒りは頂点に達する。勢いに任せてギターを大きく掻き鳴らしては地団駄を踏み、頬を膨らませてはこれでもかと睨みを効かせる、私なりの徹底抗議の姿勢である。

 なのに、あなたという人は面白がって頬をツンツンとつつくだけでなく、一蹴するように説き伏せてくるではないか。

「左の運指ばかり上達したって右が御座なりでは台無しでしょ? バランス良く練習せねばね。ツン、ツクツン」

 耳の半分ほどを隠す長さでセンター分けにしたマッシュショートの髪をふるふると揺らし、右に左にと触れてくる指先を懸命に払うもあなたの攻撃は一向に止む気配がない。

 これにはさすがに我慢も限界。

「いつまでも、他人ひとの顔で遊ぶなー!」

「カホのふくれっ面が超絶可愛いのが悪いんだよ」

「責められる意味が分からないんですけど!」

「おっと、ご立腹モードに突入だ。どうやら息抜きが必要みたいだね」

「ご理解いただけて何よりです!」

 不機嫌全開でそっぽを向く。

 すると、突如として視界に現れる貴公子ぜんの煌めく微笑み。ヒリつく空間でのスパルタ指導から一転のご褒美なのか、これには完全に油断した。

「ふふふ……むちゅ、ん~~~〜〜っば♡」

 強く引き寄せられてこめかみに長い長いキス。

 何という早業よ。

「あらら、カホってば隙が多くて困っちゃうなぁ」

「ど、どさくさに紛れるキスは禁止ーーっ!」

 日が経つにつれて愛情表現が加速するあなたの軽やかに笑う声がキッチンへと消える。


 高校時代から始めたギターの演奏。

 大学のサークル活動でも通用する程に成長したのは、偏にあなたという素晴らしい講師と出会えたからに他ならない。暇さえあれば技術向上のためにと割いてくれるこうした時間も、単なるデートとはまた違う楽しさを見いだせる大切なひと時なのです。


「お待たせしました、ご所望の品にございます」

 あなたが淹れてくれたカフェオレが到着。

 ギターをスタンドに置き、ソファに座る。

 ホッと安心する温もりにこの顰めっ面も緩まる。

 寄り添うように隣りへと腰掛けるあなたは、絶えず顔を綻ばせて嬉しそうに話す。

「カホがギターを弾き続けてくれるお陰で、講師としての腕前を余すところなく発揮出来るのは喜ばしい限りだよ」

 安定の抜かりないフォロー。

 タレ目をレ目にして余裕綽々の謙遜。

 全てが通常運転―――かと思いきや?

「というか、最早これくらいしかしてやれない身に淋しさが募るばかりだけどねぇ……」

 しょんぼりと肩を落としてため息をつく。

 珍しいこともあるものだ。

 未だに笑みを被せての自分語りではあるが、その胸の内を自発的に明かすとは。

 こうなると、真意を問いたくなるのは必然。

「やけに素直じゃないですか?」

 すると、バツが悪そうに膝を抱えて縮こまる。


 ――皆さま、ちょっと失礼します。

 ワタクシめに暫しお時間をください。

 すーー、はーー。

 このあざと可愛げなアラサーは何者ですか〜!?

 おっと、話を聞きましょう――


「あの日、カホに『いつまでも雛鳥扱いはやめて。つがわせて』と言わせてしまって目が覚めたんだよ。えぇカッコしい、は程々にすべきだとね」

 それは、ひと月前の出来事。

 を抱かないならば捨ててくる、とも言い放ち啖呵を切った決死の覚悟の超新星大爆発(?)が脳内再生される。諸々恥ずかしいので今は触れずに彼方へと放り投げ、あなたのこれまでの行動を一言で表してみよう。

「おほん……確かに完璧なスパダリ具合でしたね」

「幻滅されたくなくて、必死なんですよ」

「長所も短所も引っ括めて愛するものなのでは?」

「わかっているのに、囚われていたよねぇ……」

「それに懲りて、今後は本音を晒すスタンスに?」

「少しずつ、だけどね」

「不意打ちのキスもその一つだと?」

「欲が勝って身体が動いちゃったよね、むふ♡」

「キュン死せぬ程度ならば、許す……それよりも、思うことはいつでも吐き出してよ。変にはぐらかさずに丸ごと全部。何なら今すぐ、はいっ!」

「それは……まぁ、追々ね」

 遠慮は無用、と頬をつつき返しどれだけ催促しても、体育座りの膝に置いたマグカップを口元に運んでこれ以上の発言はしないとばかりにだんまりを決め込む。こういう事となると、どこまでも頑なだ。 

 あなたと付き合いはじめて二年弱。

 恋人らしい恋人同士のスタートを改めて切ったばかりとはいえ、それなりに信頼関係を築いたと信じている。それでも、年上としての矜持や男たるものの呪縛はあなたの行く手を阻むらしい。

 それらは、どこまで邪魔をすれば気が済むのか。

 私には未だに知る由もないが、の大爆発はあなたの深層心理を僅かでも詳らかにさせる程度には意味が有ったらしい事だけはわかる。

 ならば、これは目覚ましい一歩なのだと諸手を挙げて喜んでおこう。

 

 さて、ご機嫌を直して欲しい頃合いですが――。

「まーくん先生、お話を聞いてくださいな」

 つーん、とそっぽを向いて無言を貫くばかりか耳をも貸さぬ、その態度。身内相手とは言え、講師としての意識がまるで足りていないとは、本当に困ったものだ。

「おーい、まーくん。まーくん様、まーくん師匠」

 から、腐るほど連呼するあなたの呼び名を敢えて使う。当初は視線を外さねば言えぬほど恥じ入っていたこの名も、慣れてしまえば何てことはない。これまで散々焦らされた鬱憤を晴らすためにもじっくりと味わっていただく所存だが――。

 余りの執拗さに観念したか、くるりとジト目が向き直る。

「呼び名の連呼……有り難くて、鼻水とともに塩分濃度高めの涙がちょちょ切れそうだね」

 念願が叶った筈なのに、この言い方。

 遠回しに『苦行み有り』と訴えているのかな?

 知らんけど。


「それで、カホのお話とは如何なるもので?」

 あなたが問うので、楽譜を渡す。

 長らく続けた練習の中で、やり過ぎと言ってもいい程にモリモリと盛り込まれた箇所がどうにもうまい事進まず、お手本を示して欲しいのだ。

「確かに、ここは難易度が高めでした」

 すまなそうに呟いたあなたは、マグカップをテーブルに置いてスルスルと袖口をたくし上げる。

 あぁ、それ好き、堪らない。スタンドからギターを掴み上げるその腕の、キュッと締まる筋肉。

 男女問わず、腕捲くりは最高のおかずです。

「何をニヤけてるのかな、カホさん?」

「か、カッチョいいプレイを期待してます〜♪」

おだててもムダですよ、披露するのは半分だけね」

「それじゃ、お手本にならないんだけど!」

「果たしてそうかな?」

 意地悪そうにフフンと笑うあなた。

 ギターを手にして準備を始める。

「では、カホはソファに浅く腰掛けてね。オレがその後ろに座って、と。速さを少し落とそうか……これくらい。左手は任せる。良〜く聴いてるから慎重にね。では、ピックを持ったカホの右手にオレが重ねて……試しに弾くよ?」

 半分とはこの事だったのか。

 まさかの二人羽織形式でジャーン、と爪弾く。

 優しく包む大きな手と背後から伝わる温もりが、先程までとはまるで別モノの緊張感を誘う。急接近への耐性が未だ身についていないのがモロバレだ。

 そんなことなど全く気にも留めない〈大人〜〉なあなたは、右手の握力をちょっと強めて掛け声を発する。

「では……せーの、さん、ハイ」


 ジャンジャカ、ジャジャカジャ、カジャ―――♪


 一小節、二小節、あっという間にワンフレーズ。

 何とか心を静めて集中するも、手元を覗くように前屈みとなったあなたの傍らに我が弱点をウッカリ晒してしまったが為に、

「ふ〜、誰かの手を握りながらって難しいなぁ」

「ほわっ! ちょっと、耳元で囁かないでっ!」

 驚く程の速さで熱を帯びてしまう。

 この上なく恥ずかしいったらない。

「だって、大きな声を出したらカホの鼓膜がビックリしちゃうでしょ?」

 この至近距離を無心無欲でやり過ごすなど不可能なのは明白なのに、糖度高めの囁きが続く。

「だからと言って、更に近付いて語り続けないで! 息がかかって……」

「どうにか、なっちゃいそう?」

「うぎぎぎ……!」

 チラリと視界に入る、煽るようなドヤ顔。

 意地の悪い大人は、本当にタチが悪くて困る。

 こんなことを考えてしまうから、少しずつしか扱いが変わらないのかも知れないね。

 反省。

「も、もう一回お手本をください!」

「あはは! 了解しました」


 さすがに接近しすぎなんですよ。

 でも、何かにつけて近付きたいし触れて欲しい。

 それは紛れもない事実。

 火照る身体に伴ってあなたへの想いが加速する。

 鼓動の高鳴りも含めて伝えたい。

 お願いだからもっとそばに来て。

 抱き締めるだけで済まなくても、一向に構わないのだから。


「そういえば、特別講師まーくん様へのお礼を忘れてました」

 何を今更、とあなたが笑ったその瞬間。

 私に重ねたあなたの右手を、この日のために仕上げてきたうるツヤ唇に運び、その甲に――ちゅっ。

「引き続き、よろしくね」

「え、あ……うん」

 虚を突かれたのか手を離し固まったあなたを振り向きざまに見つめ、右頬に手を添えてやや屈ませるように引き寄せると隙だらけのこの左頬にも――、

 ちゅちゅっ。

「うふふ、練習、まだまだ頑張るぞー!」

「……、……、〜〜〜っっ!!」


 急接近事に慣れてなくても、のは別。

 さぁ、私の企みにあなたは乗ってくれるかな?

 長らく焦らした罪は償っていただかねばね。

 まだまだ足りないので、覚悟しろよ。

 愛しの、いとコのまーくん♪

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