第2話 なかなか、先生、とても

 深部体温が高すぎて風呂上がりの髪を乾かす気にもなれずに夜も深まる、二十三時三十分。ソファに凭れてニュースを流しながら缶ビール片手の通話中、突然の話題転換をしてみる。

「カホってテニスに興味ある?」

『授業でやった時は楽しかったから無くもないよ』

 反応は良さげだ、よしよし。

「後輩くんが教えてくれるんだけど一緒にどう?」

『もしや、お噂の方? 行く、やってみたい!』

 これはどちらかと言うと、つい話題に乗せがちな後輩に興味がある感じ。

 だが、アイツならば大丈夫。

「向こうもふたりで来るけど、緊張せずにで良いからね」

『わかった、楽しみにしてまーす!』


「―――って、嘘でしょ? 聞いてない……聞いてないよぉ〜」

 待ち合わせたテニスコートの受付前で後輩達が手を振り近付く様子を遠巻きに見つめ、陰でオレの袖をクイッと引きながら情けない声で抗議する。

 心配ない、と伝えるが。

「む、無理だよ……私、喋れないよ!」

 袖を掴む手が緊張を増す。

 確かに傍目から想像すればその反応に無理はない。後輩の同行者は、天然色素の薄い肌と髪色に彫りの深めな顔立ちという、どう見ても我々東洋人とかけ離れているのだから。

 でも。

「レディをお待たせして申し訳ない……以前にこの見た目を詫びるべきかな?」

 若干の堅苦しさを含みながらも淀みのない日本語をさも当然の如く操るその姿に暫し呆然となるが、きみはハッと気付き首を勢いよく横に振ると、

「いえいえ! 一番悪いのは私に秘密を有したこのヒトなので謝罪など無用です。ねぇ、マ・サ・ト・さん!」

 バシバシとオレの上腕を叩き、額に青筋を立ててこれ以上なくニッコリと微笑んでくる。


〈くん〉から〈さん〉に降格したショックを受けながらも怒った顔も可愛くて堪らない……と内心デレたところで、同行者の容赦ない言葉が飛ぶ。

「あぁ、勿体ない! どうしてこんな聡明なお嬢さんの側にこの男が居るのか。早々に見限ることをお勧めしたいね」

 相変わらずこの人はオレに冷たい。

「先生、今日はお手柔らかにお願い出来ません?」

「その憎たらしい笑顔の下に隠したものをゴッソリ削ぎ落とすか丸裸にするならば、考えてあげなくもないけど」

「嫌だなぁ、これ以上ない程出し切ってますよ?」

「どうだかね。なんてったってキミは―――」

 初対面から早二年、聞いての通りこの人とはウマが合いそうで合わない微妙な間柄なのである。


 その脇で後輩が抜かりなくきみの相手をする。

「気にしないで、あの二人いつもあんな感じだから。職場でお世話になってます、都月ツヅキハルトです。で、あっちは塾講師の望田モチダケイ、日本率25%だけど歴とした日本人。今日はよろしく」

「藍田カホです、よろしくお願いします」

 いつまでも言い合うオレ達を見て、くすくす笑いながら自己紹介をする様子に先程の緊張は最早なく、いつもの柔らかさが戻り安心する。


「「では、行きましょう!」」


 ◆ ◆ ◆


 現在、七時四十五分。

 にも関わらず、十二面あるコートはほぼ埋まっているとは、世の中のテニス好きは総じてそういうものなのか?

 朝の微睡まどろみ好きとしては疑問でしかないが、きみが後輩にフォームの確認とレシーブのコツを教わる間、オレは先生と軽く汗を流す事にする。

 ……が。

「ちょっとお待ちを、左右に振り過ぎですって!」

「キミの中途半端なプレーがそうさせていると、早々に気付きなさいよ」

 やれやれ、今日はとことん攻められそうだ、と苦笑いしか出てこない。

「ケイ、大人げないぞ。カホちゃんが居るんだから良いとこ見せてやってよ」

 そして後輩に気を遣われる哀しさよ。

 だが、オレには強い味方が居る。

 きみからの援護を得て反撃開始、と思いきや。

「いいえ、お気遣いなく! その調子で情けなさをバンバン引き出してやってください」

「ちょっと待て! カホはどっちの味方なのさ!」

「たまにはヘッポコ姿を見せなさい、という事」

「「カホちゃん、言うねぇ〜!」」

 まさかの一同の笑いと共にイジられる感覚を久しぶりに味わう事となる。

 こうなったら仕方がない。

 どうにでもなれ、と天を仰いでベンチへと下がると後輩の指導の成果を二人で披露し始める。

「じゃあ、ゆっくり行くよ。ボールをよく見て。身体の向きを意識して。前のめらず、慌てない。そう、そう。怖がらないで、大丈夫。うん、おぉ! 今の良いよ、その感じ!」

 途切れがちだったボールの行方が徐々に繋がり始めるとガチガチだった険しい表情が緩みだし、たまにペロッと舌を出しながら楽しむ笑みが溢れていく。ネットに掛かったボールを取りに行けば、更なる指導を真剣な眼差しで受けてはにこやかに喋り合う。

 そんな姿が愛おしくて、眩しくて……。


「二人が気付く前に、やめなさいよ」

 スポーツ飲料の蓋を開けながら隣に座る先生が突然口を開き、何事かわからぬオレに顰めっ面で畳み掛ける。

「物欲しそうなその顔、みっともないったらありゃしない。その手に掴めぬものを羨んでも無意味なのは百も承知でしょう? 今更、怖気づくくらいなら早々に手を引きなさい」

 そんな素振りはひとつも見せてない筈なのに。

 この人にはどうして判ってしまうのだろう。

 オレのグラつく自信の無さを。


 目の前の二人を見て思ってしまった。

 相応しい、とはこういう事なのか、と。

 ハルトはオレの三才年下。

 カホとの年齢差をオレとの〈ひと回り〉より〈半回り〉に近い、と事実を卑屈に捻じ曲げて二人が並ぶ姿を違和感なく見てしまう自分がいる。

 当然ながら年齢差を気にせず居られるよう努力は惜しまない。

 だが、こうしていざ現実を見せつけられると、オレがきみの側に居ることは本当に許されることなのかと……不安が募る。

 幼馴染みに大口叩いておいて矛盾だらけだ。


 貼り付けた笑みのまま反論しないオレを哀れんだのか、先生は一つ溜め息をつくと今度は珍しく和らいだ声色でその後を続ける。

「気持ちは分からないでもないけどね。まぁ、それが出来ないならば、その情けないヘタレ感情が今後一切出てこぬよう押しやるかバッサリ切り棄てて素っ裸でぶつかりなさいよ。みっともなく足掻こうが何しようが、ね。……おや、あちらも休憩のようだ。二人ともお疲れ様、何を飲む?」


 先生に続いて立ち上がりタオルと飲み物を渡す。

 元来備わる運動神経の良さを発揮して見る見るうちに上達するきみの傍らで後輩が褒めちぎる。

 それを聞いて「オレのカホカノちゃんだから当然」と痛々しい発言と共に二人の間に割り込めば、察した先生が苦笑いで後輩に食事を賭けた対戦を申し込んでコートへと誘う。


 ああ。誰が近付いても許せない、この狭量さよ。

 それだけこの心を支配している独占欲。

 その癖、いざとなると臆病風に吹かれるどうしようもないヘッポコ野郎とはオレのこと。


 ◆ ◆ ◆


 ハルトさんは言う。

 あなたは職場でも完璧で言うことなし、だと。

 でも、私が絡むと途端に慌てだすらしい。

 本当かな?


「年の差って厄介だよな。俺も、教員センセイと学生の関係から始まっての六歳差だから余計に焦りが募ってさ。でも、それはあっちも同じだと知って、正直驚いたよ。それからは、そうやって互いに想い合ってるならば無理して背伸びする必要はないし、向こうもボロを出してくるから焦らず待ってれば良いんだな、って思うようになった」


 年上相手、という同じ境遇の経験談ほど、この胸の奥のモヤモヤを楽にしてくれるものはない。


 んんん、でも……あれ?

 『あっち』って言ったとき、何処を見てたっけ?

 『教員と学生』という事は……もしかして?

 うーん、まぁ、いいか。

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