第35話 日本酒とイカの塩辛 前編

 俺の名前はユーリ=アレンスキー。

 57歳のドワーフだ。



 身長は150センチで体重は67キロ。ドワーフ族のご多聞に漏れずにウルトラマッチョときたもんだ。

 と、いうのも俺は人間の都で武器専門の鍛冶屋をやっている。

 まあ毎日毎日、金槌を振るうものだから必然的にマッチョになるってなもんだな。



 自慢じゃないが、鍛冶の腕は立つ。

 恐らく、職人の腕としては控えめに言ってもこの大陸でも5指に入るだろう。



 そんな俺には娘がいる。

 身長は164センチで体重は47キロと、やや細身の体型。

 21歳の年頃の娘で、これまた自慢じゃないが恐ろしい美形だ。

 娘の方が身長が高いじゃないかって?


 まあ、娘は人間族だからな。

 ん? どうしたんだよ変な顔して。

 ああ、そういう事か。

 なんでドワーフの娘が人間族かっていうとだな、話は至極簡単だ。



 あれは俺が30歳の時だ。

 当時勤めていた工房の親方からは免許皆伝を認められ、自分の鍛冶工房を立ち上げる直前の頃だな。

 あの頃、俺は自分の作った武器の切れ味を確かめたかった。

 試し切りなら処刑人が罪人の首を落とす現場に剣を提供したこともある。

 が、それじゃあとても実戦とは言えない。

 当然ながら冒険者に売った武器についての評判を聞くこともある。


 だが、聞くと実際に見るとでは大違いだ。



 ――当時の俺の夢は、世界一の剣を鍛え上げることだった。



 そして俺には実際に武器が実戦でどのように扱われるかという一番大事な情報が完全に欠落していた。

 それは、どの鍛冶屋も同じなんだが、だからこそその情報は大きな意味を持つ。

 だから、俺は当時、冒険者のパーティーに良く同行させてもらっていたんだ。

 魔物を討伐したり、あるいは賞金首の盗賊団を討伐したりする血生臭い現場にな。



 それで、あの日も武器を卸したそれなりに高ランクの冒険者の一団にくっついていたんだ。

 見返りとしては、次回の武器を卸す際に定価の4割引きにしてやるって事で簡単に話はついた。






 その冒険者の一団は強かった。

 そりゃあもう強かった。


 そして、今回の相手は悪名高い人攫いの盗賊団だった。

 連中は、警備の手薄い没落貴族の寂れた屋敷なんかを好んで襲う。


 奴らの手口は簡単だ。

 まずは押し入り強盗の状態で貴族の子女を攫う。

 そして闇市場に女子供を売り払う。

 元が貴族のご令嬢や妻や妾ってなもんでスキモノの大金持ち相手には目が剥くような値段で売れるんだってさ。

 まあ、そういう非常にシンプルに胸糞が悪くなる連中なんだが、流石にそんな商売をしていては後ろ手に縄が巻かれるのは道理となる。

 いつもは奴らは押し入り強盗に入っていた。

 だが、今回は俺らが奴らのアジトの洞窟に押し入ったってお話だ。



 そして、冒険者の一団は鬼のように強かった。

 抵抗する者は殺し、投降する者は縄で雁字搦めにした。 

 全員を無力化するのに10分と時間のかからない早業だった。


「さすがは俺の作った剣だな。鋼鉄製の兜もろとも……唐竹割りか」


 地面に転がる死体に視線を落とす。

 脳ミソが零れているグロテスクな光景にクラっときた。

 若干……頭から血の気が引いているのが自分でも分かる。


「『流石は俺の作った剣』とは酷い言い方ですね。私の腕のおかげという部分もそこそこあると思いますよ?」


 不満げに苦笑する剣士の背中を、俺はドンと叩いた。


「お前の剣技は認めている。まあ、半分冗談だよ」


「半分ですか。まあ、ユーリーさんの剣が本物なのは認めますよ。古代の時代の希少なアーティファクトだと言われても誰も疑わないでしょう」


「俺の人生の目標は神殺しともの呼ばれる伝説の剣……エクスカリバーと並ぶ剣を打つことだからな」


「はは、これはご冗談がお上手ですね。伝承によるとアレはとても人間に作り上げる事ができるようなシロモノではありませんよ?」


「ところが、冗談じゃねえんだよな。俺は作ってみせるよ」


 剣士は呆れた表情を浮かべるが、俺は至って大真面目だ。


 武器を作っているからには……その最高峰と言われている山への登山をせずにして、何が男かってなもんよ。


「ところで、どうしましょうかねコレ」


 コレと言った剣士の視線の先には洞窟の片隅で震えている人間の子供がいたんだ。


「このガキは?」


「攫われてきた没落貴族の子女でしょう」


 剣士は人間の女の子に近づいて優しく声をかけた。


「君? 両親は? 年は?」


「お父さんとお母さんは殺されました。年齢は……6歳です」


「家は? 財産は?」


「焼かれました。金目のものは元々無かったので……」


 どこで剣士は渋面を浮かべて首を左右に振った。


「両親が生きていれば謝礼もいただけたのでしょうが……どうしましょうか?」


 俺に聞かれても正直困る。


「どうするって言われてもな? っていうか、放っておけばどうなるんだ?」


「ギルドに連れて行けば孤児の収容施設に送られるでしょう。とはいえ、施設は甘くはありません。12歳にもなれば地方領主の農園に流されて奴隷のように働くか、あるいはこれだけの器量であれば合法的な娼館に流されるか……まあ、どの道ロクな事にはなりません」


 そこで剣士は軽く溜息をついて女の子に尋ねた。


「どうしますか? 選択は貴方に任せます。私達についてきて施設に送られるか、私達についてこずにこのまま野たれ死ぬか。あるいは……」


 そう言って剣士は懐のナイフを抜いて少女の前に放り投げた。


「自害という道もあります。乗りかかった船です。死にそこなった場合、介錯は私が受けましょう。貴方に残された道はそれしかない」


 剣士の言葉は純粋な厚意なんだろうとは思う。

 介錯までしてやるってなもんで、お節介焼きも良い所だ。

 なんだかんだで、本当に剣士は良い奴なんだろうと思う。



 でも、この男は……戦場に生きる上で、色んな生き死にを見過ぎたせいで、何かが決定的に壊れちまっているように俺は感じちまった。



 そして周囲をもう一度……俺は見渡した。

 洞窟内に立ち込める猛烈な濃度の死の香り。

 地面に倒れる者は、ある者は内臓を垂れ流し、そしてある者は脳ミソを露出させ、更にある者は顔面の半分が爆散していた。

 そして俺は思ったんだ。

 俺が今まで作って来た人斬り包丁ってのは――



 ――とどのつまりはこういう世界のお話なんだってな。



 頭では分かっていたはずだったが、ようやく俺は戦場と言うものを理解した。

 いや、ようやく理解することができた。


 俺の視線は再度、震える女の子に移る。

 女の子はその場で固まり、どうしていいか分からないという風に両目に涙をためていた。


 その時に、厄介な事に女の子と俺の目が合っちまったんだな。


「……た、た……たす……たすけ……助けて……くだ…………」


 涙を流しながら懇願する女の子を見て、どうにも俺はヤキが回っちまった。


「なあ、剣士殿よ? 他の道はあるんじゃねえのか?」


「他の道?」


 首を傾げる剣士の肩を俺はポンと叩いた。


「要はこのガキは天涯孤独なんだろ? だったら俺が引き取るって道があるじゃねえか。どうせ俺は一人身よ。俺の決断に文句を言う嫁や家族もいやしねえ」


 そして、俺の言葉を聞いて女の子は大口を開いてポカンとした表情を作っていた。





 それから――。

 良く切れる剣、刃こぼれの起こしにくい剣、絶対に折れない剣。

 剣としての道具の実用性の事ばかり四六時中考えていて、鉄を叩く事しか能のなかった俺に娘ができた。


 ぐちゃぐちゃだった家は綺麗になった。

 小さいながらにも自分でできることから……と、そんな風に一生懸命に働く姿が愛らしかったことを今でも覚えている。

 まあ、最初はマリアの家事全般は全て酷かったけれど、少しずつマシになっていた。

 ろくに洗濯もせずに酷い悪臭だった服も、きちんと選択されて棚に納められるようになった。

 食事だってずいぶんとまともなものにありつけるようになった。

 今まで、出来合いのものばかりで栄養が偏っていたのか、顔の吹き出物も大分と減った。



 そうして、数年が経って俺は自前の工房を持った。

 何かを打ち砕く為の手助けではなく、何かを守る為の手助けをしたい。

 家族をもったことで攻めの姿勢から守りの姿勢へと……そんな心境の変化があったのだろう。



 ――そして、俺は剣を打つ事を辞めて防具専門の鍛冶職人となった。







「で、ユーリさん? どうして今日は娘さんと一緒に?」


 食堂の店主が俺にそう尋ねてきた。


 ここはギルドの地下食堂。

 俺の行きつけの店で、とにかく美味い酒と肴を出してくる。


 その酒の種類は幅広い。

 生ビールから始まり、スピリタスに終わる。

 ドワーフ族でここの酒に魅了されない馬鹿舌の酒飲みはいないだろう。


「娘は俺と違ってあまり酒を好まなくてな。全く……誰に似たんだか」


「まあ、顔からして似てないからな。あんたの種でこんな別嬪さんが産まれて来るとは思えない」


「言うねえ。ここは飲食店だろ? もう少し客に対する言い方もあるんじゃないか?」


「はは、生憎と性分だなんだよ」


 事情を知っているくせに冗談交じりにそう言ってくるのは、俺と店主がそれなりに良好な関係を築いているからだ。


「顔の事は置いておけ。で……まあ、酒は飲むには飲むが、マリアはお上品に赤ワインをチビチビと舐める程度にしか嗜まないんだ」


「さっきから見てるが娘さんは普通のペースで飲んでるぜ? まあ、赤ワインをラッパ飲みでジュースみたいに飲むユーリさんからすればチビチビに見えるんだろうけれどさ」


「で、どうしてここに連れて来たかだったか? そんなのは決まっているじゃねえか」


「決まっているっていうと?」


「ここが最強の居酒屋だからだよ」


 そこで店主はキッパリと言い放った。


「酒は置いているが別に居酒屋じゃねーからな。ウチはあくまでも酒も楽しめる料理屋だ」


「細けえ事は良いんだよ」


「良くねーよ。飲んだくればっかになっちまうと、騒いだりゲロ吐いたり色々と面倒なんだよ。古都の魔法使い連中ならほとんど貸し切りみたいなもんだ。他のお客さんの迷惑にならないからあそこの場合はそれで良いんだが……」


 やれやれとばかりに店主は頭を抱える。

 当然の事ながら俺はそんな店主の事情なんて知った事ではない。


「そんでもって娘に特別な事情ができた。そして俺はその時には娘を必ずここに連れて来ると決めていたんだ」


 そこで店主は真顔を作って首を傾げた。


「特別な日?」


「ああ」


 俺は頷き、マリアに視線を向ける。


「実は私……10日後に結婚するんです」


「へぇ……。そいつはおめでたいな」


「マリアちゃん? 酒は飲めるよな?」


「父と同じように……とはいきませんが」


 そこで店主は苦笑した。


「ユーリさんと同じように若い娘が飲んでたらそれはそれでドン引きだよ」


 店主の言葉にマリアも楽しそうに笑った。


「それはそうですね」


「白ワインは飲めるか?」


「はい。好物です」


「ほい来た。おい、コーネリア!」


「なんなのじゃ?」


「一番高い日本酒の一升瓶が冷蔵棚の右上に入ってるから持ってこい!」


「あいわかった」


 しばらくするとウェイトレスが大きなボトルを片手にテーブルへとやってきた。

 ボトルを受け取った店主はテーブルにトンと置いた。


 異国の言葉なのだろう。

 妙に力強い文字で、何やらラベルに商品名がデカデカと描かれている。


「これは?」


 マリアの言葉に店主は頷いた。


「日本酒だ。白ワインの親戚だと思ってくれれば良い」


「白ワイン……ですか?」


「ユーリさんは昔からの常連でね。これは俺の奢りだ。遠い国では人気が過ぎて、滅多に入荷できる酒じゃないんだが遠慮せずにグイグイいっとくれ」


「そんな希少なものを……ありがとうございます」


 店主とマリアの言葉が全く耳に入ってこない。

 職人としての俺としては、今――店主がテーブルに置いたこのボトルに釘付けにならざるを得ないのだ。

 この店では色々と驚かされる事ばかりだった。


 まず、飯が狂気じみたレベルで美味い。

 次に酒がこれまた反則レベルで美味い。いや、美味過ぎる。


 そして俺が面食らったのは食器の精巧さだ。

 丸いものはどこまでも滑らかに丸く、直線のものはどこまでも歪みなく直線。

 何度も驚いたものだが、ボトルをまるごと一本見たのは初めてのことだ。



 ――はたして、どこの世界にこんな完璧なガラス細工を作れる職人が存在するのだろう。



 感嘆の溜息をついた所で、マリアが不思議そうに尋ねてきた。


「お父さん? どうしたんですか?」


「いやな。このボトル……とんでもねえんだ」


 マジマジとマリアはボトルを眺める。

 そして申し訳なさそうに軽く首を左右に振った。


「確かに精巧なボトルだとは思います」


「はは、マリア。精巧なだけじゃねえんだよ。例えばこの部分を見てみろ」


 ボトルの口を指差そうとしたところで、マリアは悲壮な顔を浮かべた。


「……マリア?」


「ごめんなさい」


「どうしたんだよマリア?」


「私には……職人の凄さというのが私には良く分かりません」


「ん?」


「だって私は……素人なんですから。そりゃあ、何となくの品質の違いは分かりますよ?」


 そこでマリアはうっすらと涙を浮かべた。


「どうしたって言うんだ急に? めでたい酒席に涙を流すような不躾に育てた覚えはねえぞ?」


「いえ……ごめんなさい」


 うつむいたマリアはぽとりと一滴、涙の雫をテーブルに落とした。


「本当にどうしたんだ?」


「ずっと思っていた事なんです。私は職人ではありません……このボトルと同じで、私には防具の良し悪しが分からないのです」


 何を当たり前の事を言っているんだコイツは?

 と、俺の頭の中はクエスチョンマークで埋まっていく。


「お父さんは私に仕事場に足を踏み入れる事をさせませんでした」


「女に鍛冶屋をさせようって親なんて……ほとんどいないだろうよ」


「だから、分からないのです」


「分からない?」


 そうしてマリアは俺の右手を手に取った。

 豆だらけで高質化した掌だ。お世辞にも綺麗なものではない。


「私を育てる為にこれだけ頑張ってくれたのに……私にはお父さんの作った防具の凄さが分からないのです」


 ああ、そういうことかと俺は頷いた。


「それで良いんだよ」


「……え?」


「人殺しの現場で使うものの、良し悪しが分かるような女にだけには育ってもらいたくなかったからな」


 優し気に笑う俺に、マリアは何とも言えない表情を作る。


「でも、少し寂しいです。お父さんの作った防具を騎士団や冒険者の皆様は凄いとおっしゃります。でも……娘である私がその凄いという言葉の本当の意味を分からないのですよ?」


 と、そこで店主がワイングラスをマリアの前に差し出した。


「……冷たいコップですね?」


「ああ、冷酒だからな。器もキンキンに冷やしてある。日本酒ってのはこうやって飲むのが一番美味い」


 トクトクトク。

 涼やかな音と共に透明の液体がマリアの注がれていく。

 マリアはワイングラスを手に持ち、鼻先をグラスに近づける。


「爽やかな香り……例えるなら水仙の花のような……これは凄く上等なお酒ですね」


 ニヤリと店主は笑って頷いた。


「ユーリさん?」


「何だ?」


「結構、良い酒飲ませてるだろ?」


「そりゃあまあ俺の娘だからな」


 ドワーフ族に比べれば確かにしょっぱいレベルの酒量だが、人間族の中ではザルに入るだろう。


 まあ、それこそ俺の娘だ。

 血がつながっていないのに変なところは良く似ている。


「まあ、せっかくのプレミア日本酒だ。味の分かる人に飲んでもらえて店主冥利につきる」


 そうしてマリアはワイングラスに口をつけた。


 グラスを傾けて、少しだけ口に酒を含むとマリアはその場で固まった。


「おっおっおっおっ……」


 放心したようにマリアはしばらく固まる。


「おっおっおっおっ……」


 そしてうわ言のように「おっおっおっおっおっ……」と呟き続けた。


「どうしたんだマリア?」


 俺の問いかけに、我に返ったようにマリアは大きく目を見開いた。




「美味しすぎますーーーーー!」




 そうしてマリアはワイングラスを一気に煽り、コトンと空のグラスをテーブルに置いた。

 すぐさまに店主に食ってかかるように言葉を投げかける。


「口に含んだ瞬間……力強いを通り越して暴力的な旨味成分が口の中に拡がり、そして花の香りが鼻腔を……いや……っ! 花園が鼻の奥で……今でも広がって……っ!」


 マリアは更に店主に喰ってかかった。


「なんですかこれ!? なんなんですかこれっ!? 尋常じゃないですよっ!?」


「そりゃあまあプレミアついてるような日本酒だからな」


 クスリと笑いながら店主がボトルを手に持った。


 トクトクトクトク。

 再度、涼やかな音と共にマリアのグラスに酒が注がれていく。

 マリアはワイングラスを手に持つと、すぐに口につけて一気に煽った。


「はは、2連続で一気飲みか?」


「これが飲まずにいられますかっ!」


 そうして店主は苦笑しながら言った。


「飲み方がユーリさんみたいになってるぜ?」


 そこでマリアは少し頬を染めてまつ毛を伏せた。


「確かに……これは決して弱い酒ではありませんね。それを2連続で一気飲み。女性の飲み方ではありません」


 空になったワイングラスに店主が酒をつぐ。

 今度はマリアはグラスに口をつけて、味わう様にゆっくりと酒を口の中で転がすように飲み下した。


「しかしこれは本当に美味しいですね。そしてアルコールを感じさせないほどに飲みやすい」


「グビグビ飲んだら一撃で二日酔いコースだぜ?」


「これは確かに一気に飲み干すようなお酒じゃありませんね。ゆっくりと味わいながら……そういうお酒です」


 と、そこでウェイトレスのコーデリアちゃんがやってきた。


「イカの塩辛じゃ」


 コトンとテーブルに置かれた謎の食べ物にマリアは首を傾げる。


「これは?」


「日本酒に良く合うんだ。フォークで口の中に放り込んでみろ」


 見慣れない食べ物だ。

 恐る恐る……と言った風にマリアはフォークでイカの塩辛なるものを口に含んだ。



 ――そして鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。



 イカの塩辛を口に含みながら、マリアはワイングラスを手に持ち、再度一気に煽った。


「絶対やると思ったよ」


 意地悪い顔をした店主が、空になった杯になみなみと酒を注ぐ。

 マリアは無言で再度、イカの塩辛を口に含んで……やはり一息で杯を空にする。


「……こんなの反則じゃないですか」


「おい、店主?」


「なんだいユーリさん?」


「そろそろ俺もニホンシュとやらをいただきたいんだが」


「ああ、こりゃ失礼」


 俺のワイングラスに店主は酒を注ぐ。

 そして俺もマリアを見習って一気に胃袋に流し込んだ。

 フーとアルコール混じりの息が鼻から漏れ、俺はその場で大きく頷いた。


「こりゃ美味い!」


 店主が空になった杯に酒を注いでくれる。


 イカの塩辛なるものを俺もフォークで口に入れてみる。

 塩味と旨味が口の中に拡がる。


 そこで俺はワイングラスではなく、店主の持つボトルを奪った。


「おい、ユーリさん?」


「これをチマチマと……グラスで飲んでいられるなら……ドワーフじゃねえよっ!」


 ラッパ飲みよろしく、一気に胃袋に酒を流し込む。


 五臓六腑に旨味成分が駆け巡っていく。

 ああ……美味い。

 こんな美味い酒がこの世にあったなんて……と俺は夢見心地になっていく。


 ボトルをテーブルに乱暴に置く。

 イカの塩辛を皿ごとの勢いで口に放り込む。


 再度ボトルをラッパ飲みする。

 これまた、酒が五臓六腑に染みわたっていく。



 本当に……美味い。



 酔いも回り、頭がほんわかとしていく。

 娘の結婚も決まって、今、俺は人生の絶頂にいる。

 そして飲んでいる酒も人生で最高峰に位置するような極上品だ。



 ――桃源郷。



 そんな言葉が俺の頭によぎっていく。

 ようやく人心地ついた俺はボトルをドンとテーブルに置いて、ワイングラスに手を伸ばした。


「さすがドワーフだな。5合は一気でいきやがったぞコレ」


 呆れ顔の店主に俺は右手の親指を立たせることで応じた。


「ところでマリアさん?」


「なんでしょうか?」


「この日本酒でユーリさんの職人としての凄さが分かっただろう?」


 と、そこでマリアがワイングラスに口をつけながら不思議そうな顔をした。


「確かに美味しかったですけれど……? どうしてそれが父の職人としての凄さにつながるんでしょうか?」


 店主は肩をすくめた。


「この日本酒もまた……職人の技術の結晶なんだよ」


「……?」


「それで、酒の飲めない人にはこの凄さが分からない。そういうことだ」


 そこでマリアはあっと息を呑んだ。


「武器や防具の凄さは戦いの場に身を置く者にしか分からない……と?」


「ああ、そして下戸の冒険者はこの酒の良さは絶対に分からない。けど……どちらも職人の技術の結晶なんだよ。ユーリさん? ワイングラスを貸してくれ」


 言われるがままに俺はワイングラスを店主に渡した。

 そうして店主は少しだけ日本酒に口をつけて、大きく頷いた。


「美味いな。そうだよ。これが、職人の技なんだよ。この酒は遠い異国での最高峰とされる技術の結晶だ。そしてユーリさんの作る防具もそれと同じくこの世界で最高峰の技術の結晶だ。なあ、ユーリさん?」


 俺は思わず苦笑いの表情を作る。


「ああ、この日本酒作った職人と比べられるなら……まあ、文句はねえよ。ジャンルは違えど……この酒を作ったやつは間違いなく本物だ。それもとびっきりの……な」


 そうして店主はマリアに向き直った。


「この酒で幸せな気分になれる人はたくさんいる。そして、お前さんのお父さんが作って来た防具で命が救われた人間もまた……たくさんいるんだ。十人や百人じゃきかねえだろうさ」


 そうして店主はマリアの肩をポンと叩いた。


「お前さんのお父さんは……そんな誰にでも誇れるような仕事をしてきたんだ。胸を張って嫁に行って来ればいいと思うぜ」


 その言葉でマリアの瞳から涙があふれてきた。

 何度も頷くマリアから、こぼれ落ちた涙がテービルに染みを作っていく。


 全く……初めて会った時も泣いてやがったな。


「お父さん……マリアはお嫁にいきます。今まで……ありがとうございました」


 気が付けば俺も涙を流していた。


 全くもってどうしようもねえ。

 変な所だけ似るのはやっぱり親子だからなんだろう。


「なあ、マリア? お前の前では俺は飲まなかった。何故だか分かるか?」


「飲んで帰ってくることはあっても、家では絶対に飲みませんでしたね。どうしてですか?」


「親として……お前の前で醜態を晒したくなかったんだよ。そして、その為に今日……お前をここに連れて来た」


「……はい」


「今日はとことんまで酒を付き合ってくれるか?」


「……はい、喜んで」



 そうして、その日、俺とマリアは閉店まで一緒に飲み明かした。


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