異世界ギルド飯 ~異世界を日本の料理が無双する~

白石新

第1話 伝説の魔導師と豚の生姜焼き

 ※ 昔の作品ですので色々と荒いですが、最後までお付き合いいただければと思います。



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 ――魔導を極めたければ失われた古都を目指せ。そこに俺の全てがある。





 英雄であり、そして我が師でもある大魔導師:マコールの言葉だ。







 1年前の英雄戦争。

 我が師マコールは魔王討伐の精鋭部隊に選ばれた。



 魔人の魔王と相対したのは勇者率いる世界中の11英雄達……そして嘘か真か神龍の魔王。

 激戦の結果、12人の英雄達は、魔人の魔王を封印する事には成功した。



 だがしかし、被った被害も甚大ではなかった。

 勇者は片腕を失い、英雄の半数は戻らなかった。

 そして――



 ――我が師マコールもまた、戦争から戻る事は無かった。





 そうして、戦争が終結して10ヶ月の後の事だった。

 世界中に散っていた我が同門……マコールの弟子たちに一斉に手紙が送られてきた。

 差出人は、帝都で師の財産の管理をしていた執事からだった。

 万が一、我が師が戦争から戻らなかった場合に備えて……師自らに執事に言い聞かせていた予めに定められた処置とのことだった。



 手紙の内容は至ってシンプル。

 なんせ、たったの一行だ。

 つまりは――



 ――魔導を極めたければ失われた古都を目指せ。そこに俺の全てがある……と。





 我が師は世界中を放浪しながら魔導の知識を深めた。

 が、齢60を超え、全ての弟子を独り立ちさせてからは、世捨て人のように『失われた古都』に居を構えた。

 伝え聞く所によると、その後はたった一人で魔術の造詣を深めていたとの話だ。





 そうして私――宮廷魔術師であるヨアヒム=ヨーグステンは今……古都にいる。


 遥か昔に当時の魔王に滅ぼされた都だ。

 現在の景色を、一言で言えば廃墟と言う言葉が最もふさわしいだろう。

 古代の当時の街並みも残ってはいるが半数以上が崩壊しており、草木は建物を侵食している。



「ホーリースイープ」



 私の言葉と共に周囲に白銀の聖域が形成され、周囲に散開していたエルダーリッチの体躯が浄化され四散していく。



 そう、ここは今ではアンデッドが溢れるような場所だ。

 それも、並の魔術師では即座にナマスに刻まれるような危険地帯。





 英雄に数えられる大魔導士に師事を乞い、それからも筆頭宮廷魔術師として魔導の探求を行って来た。

 その時間は私の人生の35年の大部分……だ。

 そんな……人生のほとんどを魔導に捧げた私をしても、ここまで辿り着くことは容易では無かった。


 それほどに、この古都の魔物は甘くはない。


「何故に師はこのような所で一人で……そして、魔導書をここに残したのだ」


 師匠の全てとは、それはつまりは魔導書だ。

 言わずもがな、大魔導師の遺産と言えば、極希少の類とされる魔導書の数々以外にありえない。

 確かに、師はそれなりの財産を執事に管理させているが……それは魔導書の価値に比べれば微々たるものだ。

 だからこそ、師は『俺の全てが古都にある』と表現したのであるし、それ以外の可能性なぞ存在しない。




 そこで私は溜息をついた。

 既に古都に到着してから10日も経つ。

 最初から分かっていた事だが、広大な街の中で師が寝所にしていた場所を見つけるなぞ、骨の折れない訳がない。


 いや、下手すれば魔術書は、我が師によって古都の更に奥地に、厳重に隠匿されている可能性すらある。


「参ったな……下手すれば年単位の作業だぞこれは」


 と、その時、私は首を傾げた。

 次にスンスンと深呼吸するように鼻を鳴らす。


「食べ物の……香り?」


 それも尋常ではないような良い香りだ。

 嗅いだことの無い臭いだが、それを嗅いでいるだけで涎が出てくるような……そんな香り。

 臭いに誘われるまま、私は古都の大通りに出た。


 何度も散策した場所だが、こんな臭いを嗅いだのは初めてだ。


「何故にこんな場所で……意味が分からん」


 訝し気にそう呟きながら、私は大通りを歩く。

 そして、とある施設の前で立ち止まった。


「……冒険者ギルド?」


 古代文字でそう表記されていた建物のドアを開く。


 地下に続く階段に向けて、歩を進めていく。

 階段を降りて、カビ臭い廊下を進む。


 すると再度ドアが現れた。



「……料理店? こんな……場所に?」



 ドアにかけられた看板を見て、息を呑む。 



 ――営業中。営業時間は16時から23時まで。ラストオーダー22時半



 幻覚魔法にかかっているのかと思ったが、諸々の確認作業の結果、それはまず有りえないと結論を下す。


 慎重にドアを開くと、カランカランと鈴の音がした。



「ああ、いらっしゃい」



 見たところ20代後半で、バンダナにセーターというラフな格好。

 そして調理用の前掛けと言うラフな格好の店主が景気よくそう声をかけてきた。



 店内は茶を基調とした木製中心の調度品で統一されている。

 テーブル席が5つにカウンターが10席。

 先客は一名。白髪とヒゲが伸び放題のホームレスのような老人が一人。

 いや、蒸留酒を煽るようにして飲んでいてこの風貌……間違いなくドワーフだろうな。



 まあ、それは良しとして、あまりの異様な状況に私はパクパクと口を開閉させる。

 その場で立ちすくむ私に向けて、店主はニコやかに問いかけた。


「それでお客さんは何を食べるんだ?」


 何を食べると言われても、こんな訳の分からない店で食事をするのは危険なのではないか。

 当たり前の疑問に私はその場でパニックに陥り、立ちすくむ。


「ああ、そういえば今回は失われた古都のギルドに繋がったんだったな。お客さんは冒険者か何かか?」


「……宮廷魔術師だったが、先月退職して今はフリーだ」


「魔術師さんなら話は早い。こいつはロストマジックの一種でね」


「ロストマジック……? ああ、なるほど」


「その通り。知ってのとおりに転移魔法の一種だよ。ちょっとウチの店は特殊でね。1000年ほど前に存在した全てのギルドの地下と……日替わりでつながっているんだ」


 そういう魔法は、かつて何かの文献で読んだ事がある。

 何より……店主の言う通りだとすれば、全ての問題が氷解するのだから信じる以外に仕方ないだろう。



 そこでググっと腹の虫が鳴った。

 テーブル席に座り、メニューを眺める。

 ランチの定食の類の値段は大体が銅銅貨7枚~12枚(※ 補足:日本円で700円~1200円)と非常にリーズナブルだ。


 一般人でも腹の虫の機嫌によっては普通に出す価格域で、主席宮廷魔術師として勤めていた私からすると少し物足りない価格な訳だが……それはまあ、この際どうでも良い。


「…………何を頼めばどんな味のモノがが出てくるのかサッパリ読めない」


 ・エビフライ定食

 ・オムライスセット

 ・サバの味噌煮定食

 ・お刺身定食


 いや、分からない事は無いのだ。

 メニューの横に簡単な説明文はついている。



 エビを揚げたもの……これだけが唯一理解可能だ。


 チキンフライドライス (鶏焼飯)の卵包み……オムライスも分からないでも無い。

 まあ、何故にチキンフライドライスにトマトを合せるのかの意図はサッパリ分からないが。


 で……サバは……西方の港町ではフライにして食すという事は聞いたことはある。

 が、味噌というものが何なのか分からない。




 極め付けには、お刺身定食だ。




 大胆不敵にも――生の魚の切り身を出すと言う。考えただけで吐き気が催してきて、私は席を立ちあがってドアへと向かおうかと考えた。

 が、私は席を立つことなく、その場で踏みとどまった。


「店主? 店の外にまで漂ってくる……この香りの料理を頼みたい」


 そう、先ほどから漂うこの香り。


 何かで獣肉を炒めた臭いであることだけは分かる。

 だが、それ以外には料理の門外漢の私には何なのかはサッパリ分からない。



 そして、予感がある。

 いや、これは恐らくは確信だ。



 この香りの元となっている料理は、私の人生至上で五指に入る程の圧倒的な美味さを伴っているはずだ。

 何しろ、先ほどから私の口内は涎に満たされ、腹の虫は総出でオーケストラを奏でている。

 それも、臭いを嗅いだだけ……なのだ。


 期待をするなと言う方が無理だろう。 


「豚の生姜焼きですか?」


「ショウガヤキ……」


 聞いたことのない料理だ。

 が……私は大きく頷いた。


「ああ、その料理を頼みたい」


 しばらくして、店主はコップと水差しを出してきた。

 そこで再度、私は絶句した。


「このコップと……水差し……」


 器。

 否、食器。


 ガラスで作られたソレは、丸いものはとことんまで丸く、真っ直ぐなものはとことんまで真っ直ぐなのだ。



 円は円。楕円は楕円。斜めは斜め、直線は直線。



 一体全体、どのような職人に作らせれば、このような非の打ち所の無い、芸術品の如くのガラス細工となるのだろう。


 困惑する私のテーブルに、厨房から出て来た店主が料理をサーブした。


「お待ちどう様。豚の生姜焼き定食だよ」


 付け合わせにスチームライス (白米)と、ネギの浮いたスープ。

 そしてメインに豚とタマネギを焦げ茶の飴色に炒めたモノと、異常に細かくしたキャベツのスライス (千切り)。


「ふむ……」


 近くになって更に強まる……圧倒的な食欲を喚起させる良い臭い。

 フォークを取り、飴色に輝くタマネギを突きさした。 



 私はメインの料理は最後まで置いておく派だ。

 つまりは、まずは小手調べ……という具合にタマネギを口に運ぼうとしている訳だ。


 真面目な話、私は主席宮廷魔導師としてそれなりの収入があった。

 必然的にそれなり以上の美食は経験している。



 豚のショウガヤキとやらが美味いのは臭いだけで分かる。

 が、メインの豚であればまだしも、たかがタマネギ程度で……してやられる私ではない。

 そしてフォークに刺さったタマネギを口内に放り込む。


 パクっ。

 シャクっ。シャクっ。


 絶妙の火加減で、微かな歯ごたえを残したタマネギを何度か咀嚼し、飲みこんだ。

 そうして、飲みこんだ後に私はこう言った。



「……神の奇跡だ」



 正直タマネギを舐めていた。

 否、正確に言うのであれば、この豚とタマネギを舐めていた。



 豚から出た――極限と言っても差支えの無い旨み成分と甘い油。



 それがショウガヤキの甘く辛いタレと合わさり、麻薬にも似たハーモニーを奏でている。

 肉ではなく、タマネギだけでこの始末だ。



 そして、言うまでもなく――メインが残っている。



 ドクン。

 ドクン。

 心臓が波打つのが分かる。

 美味いのは臭いの時点で分かっていた。

 美味過ぎるのはタマネギの時点で分かった。



 で、あればメインの肉を実食すれば――どうなるのだろう。



 フォークを……厚切りの豚のスライスに向ける。

 口内の豚肉を何度か咀嚼する。


「……美味い。いや、美味過ぎる」


 五臓六腑を駆け巡る美味さ。

 感嘆の溜息と共に私は頷いた。

 そしてすぐさまに店主に尋ねかける。


「店主?」


「何ですか?」


「酒は……無いか? アルコール度数は少ない方が良い」


「と、おっしゃいますと?」


「……この豚肉だがな?」


「はい?」


「……確かに美味い。美味過ぎる。だが、単品としては……若干……完成度が低いな。けれど、酒の肴であれば……これ以上の極上は無い。私は酒と共に、このショウガヤキを食せば天に上る事ができるだろう」


 そう、確かに有りえない程に美味いのだが……若干に味が濃いのだ。



 ――ショウガヤキ。 



 これは単品で食する物ではあらず、酒と併せるのが最も良いだろう。


 そこで店主はニコリと頷いた。


「ああ、お客さん……酒のオーダーはちょっと待ってもらって良いかな?」


 はてな?

 どこの料理店でも酒の利益率は高いはずだ。


 普通は酒を頼めば尻尾を振って喜ぶはずなのに……。


「こっちは自信をもって定食で出してますからね。酒を頼むなら……ちゃんとした酒の肴も出してますから、それと一緒に呑やってもらえれば嬉しいです」


 店主が、再度厨房から出てくる。

 私に歩みよってきた彼の右手にあるのは、丸みを帯びた皿だった。


「ボウル……?」


「丼って言うんですよ」


 それだけ言うと、ボウルの中に、店主は私のテーブルの上に乗っているスチームライスをよそい始めた。

 全てのスチームライスを載せ終えると同時、更にその上にショウガヤキを乗せる。


「はい、出来上がり。豚の……生姜焼き丼だ」


「……ドンブリ?」


 スプーンとドンブリを私に手渡し、店主は言った。


「丼の中の米と具材を、軽くかき混ぜてください」


「混ぜる……だと? そんな事をして不作法では無いのか?」


「よろしくはないですが、ウチの店では美味ければ正義でね? ただし、混ぜすぎるとやはり下品だ。軽い目に混ぜてくれればいい」


「……これで良いのか?」


 言われる通りにスプーンでドンブリを混ぜる。


「本当ならね、米は米で、オカズはオカズで別々に食べて、口の中で……味を混ぜ合わせる作業をするんだ。でも、米とオカズの概念が分からない人に最初からそれを求めるのは難しい」


 うんと頷き、店主は右手の親指を立たせた。


「そこでストップ。良い具合に米とタレと具材が混ざり合った! スプーンで豪快に……一気に丼をいっちゃってください」


「……」


 スプーンにドンブリの中の、混ぜ合わさった食物を山盛りに載せる。

 そしてパクリと一口。







「ひゃっ……」






 悲鳴にも似た声を挙げてしまった。

 思わず瞳を閉じ、何度も何度も咀嚼する。

 そして飲み込む。


「………………」


 言葉が出ない。

 スプーンでドンブリの中をすくう。そして口に放り込む。

 噛みしめる度に、幸せが口内に広がっていく。



 ――内臓を衝撃が駆け巡っていく。



 全身の細胞と言う細胞が喜んでいるのを感じる。

 そして――





 ――ただただ、一心不乱にドンブリの中にスプーンを突き入れていく。





 感じているのは感動だ。



 遥か遠い昔の記憶、初めて師の扱う極大魔法を見た時にも似たような感動を味わった事がある。

 圧倒的な力と、圧倒的な味。

 人は、理解できないものを目撃、あるいは体験した時にまず、最初に絶句する。



 言葉が本当に出ないのだ。



 そして、その次に、二つの内のどちらかの行動を取る。

 その現象を恐れるか、あるいは崇拝するか。

 師を見た時、私は後者を選び、そして今この現状でも、私は後者を選んだ。




 猛烈な勢いでドンブリの中身が消えていく。

 気が付けば、ドンブリは空になっていた。


 名残惜しさと共に、私はコトリとライスボウルをテーブルに置く。


 一心不乱に食べたものだから、不躾にも口元を汚してしまったようだ。

 ナプキンで口を吹きながら、大きく頷き店主に言った。 



「…………何かを食する時にも……人は心の底から感動ができるのだな」



 その言葉を聞いて、店主は照れくさそうに笑った。


「そう言ってもらえると本当に嬉しいよ」


 食欲が満たされた私は、再度メニューに視線を落とす。


「お勧めの酒は無いか? 少しだけ飲みたい気分になった」


 少し考え店主は言った。


「ラガービールはいかがですか?」


「ラガー?」


「エール酒の親戚だと思っていただけば間違いないよ」


「なるほど、エールか……で、あればショウガヤキを少しだけ……肴にいただけるか?」


 ショウガヤキがスチームライスに合う事は体験済みだ。

 だが、酒に合わないという道理がどこにあるのだろうか。

 腹はある程度膨れているが、少なくともその実証をするまでは……酒豪としては帰る訳にはいかない。


「ええ、別料金になりますが」


「構わない」


 事実、金には困ってはいない。

 しかし……と私は天井を見上げて溜息をついた。


「このショウガヤキのせいで、どうにもおかしな気分になってしまったようだ。店主よ、聞いてくれるか? 私は魔術師だ。そして……師匠がいてな。中々の変わり者だったが……」


「……」


 押し黙る店主を見て、何故だか、ふふっと思わず笑みが出た。


「私は酒を相当に嗜むが、師匠もまた……私に輪をかけた酒豪でな?」


「……」


 そこまで言った所で、目から涙がこぼれ落ちそうになった。




 ショウガヤキ。




 合わせるのはエール酒だ。

 間違いなく、今から味わうショウガヤキは私の人生で経験する中で、一番の酒の肴となるだろう。



「……このショウガヤキで…………師匠と……一緒に……酒を飲めれば……どれほど……でも、師匠はもういない。英雄戦争で彼は帰らぬ人となったのだ。いや……師匠は晩年を古都に住んでいた。棲家をここに選んだのは……恐らくは」


 物憂げに語る私に、先ほどから店の隅で飲んでいた小汚らしい、ドワーフの老人が声をかけてきた。

 それも、とんでもない大音響で。






「勝手に殺すんじゃねえやい、この馬鹿野郎がっ!」






「……え?」


 突然の事態に私を眼を白黒とさせる。


「おい、ヨアヒムっ! お前には目をかけてやったのに……俺の事も分からねーのか!?」


 正直な話、見た目はどう見てもドワーフのホームレスにしか見えない。

 しかし、この声と口調は……どう聞いてもわが師であるマコールの声だ。


 よくよく見てみれば背格好も……。


「おい、ヨアヒムっ! テメエ……こうしなきゃわからねーってか?」


 ボサボサの前髪を左手でかきあげ、左手でファックサインを作る。


「あっ……師匠っ!」


 伸び放題のヒゲで原型をとどめてはいないが、それでも鼻から目のラインで分かった。

 間違いなく……わが師であるマコールだ。


 私はその場で土下座の姿勢を取ろうとする。


「師匠……申し訳ありませんでしたっ! まさか生きていて、こんなところにいらっしゃるとは思わず……」


 そこで我が師は柔和に口元を緩ませて、手で土下座を制した。


「分かれば良いんだよ。ところでヨアヒムよ? お前さ? ここの料理を喰って思った事はねーか?」


「美味しかった……です」


 素直な感想は怒声で返された。


「てやんでい! 誰がそんな当たり前のことを聞いたんだ! 魔術的観点で考えてみろっ!!」


「……ロストマジック、いや、ロストテクノロジーの類でしょうか?」


 この店の異常な美味さ。

 そして食器の異常な精巧さ。

 更に言えば転移も伴うドアからすれば、それ以外の回答はありえない。


「ああ、ここの料理は少なくともこの世界の文明圏には属しちゃいねえ。当然、この店の存在そのものが俺の研究対象なんだよ。オマケに上手い肴と酒が飲めると来たもんだ」


 そこで店主が呆れ顔で問いかけて来た。


「マコールさん? 先祖代々の秘密なので、あの扉の向こうの事については絶対に私は喋りませんからね?」


 店主の指さす先……そこには厨房の奥で証明に輝く金属製のドアがあった。

 が、まあそれは良い。


「で、どうして師匠はこんな古都に? ここは日替わりで全てのギルドにつながっているんでしょう?」


「ああ、その通りだ。そして世界にはどれだけのギルド支部があると思う? そこまで言えば鈍いお前でも分かるだろう?」


「と……おっしゃいますと?」


「ただでさえ、ギルド地下のドアがここにつながるのは数か月に一回なんだ。で、ここの料理を喰った奴らは全員……魅了されちまう。リピーター率も半端じゃねえんだ」


「まあ、そりゃあそうでしょうね」


 ああ、と我が師は頷いた。


「一番客がいねーのが古都なんだよっ! 俺の住んでた街のギルドだと……予約待ちで年に一回喰う事すら難しいーんだよ!」


「なるほど」


 ショウガヤキを食べた後では、師匠の気持ちもすごく分かる。


 この味を知った上で、予約待ちで1年……。

 想像に絶する苦行だろう。


「ついでに、魔王も倒して封印しちまったし、世の中の事が全部面倒になっちまってな! 時期的にも都合が良かったって奴だな!」


 そこで、店主が溜息をついた。


「正直、古都は本当にお客さんがいなくて……私はもう古都にドアがつながる日は定休日にしようと思ってた位で……」


 おどけた調子で我が師は言った。


「それはさせねえ! これから先はヨアヒムだけじゃなくて、俺の弟子が古都に住み着くぜ? で、続々と客は増えるって寸法よ」


 あっ……と……私は絶句した。


「師匠? ひょっとして……あの手紙って?」


 ああ、と師匠は頷いた。


「この店の古都からの客は……当代きってのエリート魔術師軍団って訳よ! 俺の息のかかった信用の出来る弟子共で秘密裏に固めねーと……大々的にやっちまうと、すぐにこのドアも高ランク冒険者共のたまり場になっちまうからな! だから目立たずに弟子共を集める必要があったんだ! ああ、魔術の研究としては……この料理の系譜がどこから来たのか、ロストテクノロジーを含めて真面目に研究してるぜ? まあ、飯のついでだがな!」


 そこで私は思わず両手で腹を押さえてしまった。


「ははっ……! ははっ……! はははははっ!」


「おう、どうしたヨアヒム?」


「いや……実に……本当に師匠らしい! おい店主? エール酒はまだか!?」


 師匠は蒸留酒を呑んでいる様だ。


「エールじゃなくて、ラガービールですけどね……」


 呆れ顔で店主が、小皿に入れたショウガヤキと金色に輝く液体の詰まったジョッキを持ってきた。

 右手に小皿。左手にジョッキ。


 私は師匠の座るカウンターの横の席に陣取って微笑みかえる。


「師匠? 久方ぶりの再会に――」


 右手でジョッキを掲げる私に、我が師は琥珀色の蒸留酒の入ったグラスを左手で掲げた。


「乾杯」


「乾杯」


 カチリとガラスのぶつかり合う音が、店内に響いた。







 ――この直後。


 エール酒ではなく、ラガーの生ビールを呑んだヨアヒムが卒倒するのだが、それはまた別の話。






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