第2話 カレーの魔王様 前編


 我は暗黒邪龍。



 見た目は人間の娘じゃ。

 腰までの金髪で赤い瞳を持っていて、容姿は子供で10歳そこそこじゃな。

 が、神話の時代より生きており、龍化すれば世界を滅ぼす力を有しておる。



 ――魔王と呼ばれる事もあり、実際に我が人間の文明を半壊に追いやった事も一度や二度ではない。


 氷結冬眠より目覚めた我は、人間の文明の進捗度合いを見る為に街に出向いた。




 時刻は夕暮れ。

 街並みを見るに、今回の人間の文明レベルは中世……と言った所。

 そろそろ重力の概念に気付く輩が出てくる段階で、これより先は人類は加速度的に文明を進歩させてしまう。




「これは良くないの」


 石畳を歩きながら、我は深く溜息をついた。



 そう。

 我は人は滅ぼさねばならんのじゃ。 

 今からたった数百年放置するだけで人類は核熱の真理へと辿り着く可能性を秘めておるのじゃからな




 エデンの園より追い出される際、人の子は知恵の実を食した。

 人の子は放っておけばたったの数千年で核熱の真理にまで到達し、空船によってこの星を飛び出してしまうような……禁忌の力を有しておる。


 故に、文明が育つ前に、この世界では生物の調和の為に定期的な破壊が起きる。

 否、人の子が大地を破壊する前に……我が文明を破壊しなくてはならない。



 ――それが12柱の魔王の仕事なのじゃから。



 しかし……と我は思う。


「何故に父上は256年前に人間を滅ぼさなかったのじゃ……」


 我が目覚める前に、進みすぎた文明を崩壊させるために古神龍である父上が封印から解かれて目覚めていたはず。


 と、その時――我は懐かしい香りを感じた。

 その臭いは幾種もの香辛料を煮詰めた香りで、相当に強烈な香りじゃった。


「……食物の香りかえ? ここからそう遠くは……無いの」


 距離は……歩いて10分と言った所か。

 犬以上の嗅覚の我だから気づけたと言った所じゃ。


「しかし……何故に懐かしく感じるのじゃろう?」


 我はこのような強烈な香りの食物を食した事はない。

 けれど、やはり何故か懐かしく感じる香り。


 不思議に思いながら我は、とある施設の前で立ち止まった。


「……冒険者ギルドか」


 人間の強者の集まるという冒険者ギルド。

 まあ、人間の中での強者が集まると言う話じゃ。

 ダニやノミの力量差を人間が実感できんように、我にとっても普通の人間と冒険者の力の違いなんぞ良く分からん。


「じゃが……何なのじゃこの臭いは」


 ニンニクとトウガラシ程度しか我には分からん。

 しかし異常に食欲をそそるこの香り……。



 ギルドのドアを開く。

 受付ロビーが拡がっているが、我は迷わずに地下へと降りる階段へと進んだ。

 階段を降り、カビ臭い廊下を進む。

 すると再度ドアが現れる。どうやら定食屋の類らしい。



 ――仕込み中。営業時間は16時から。



 ドアにはそう書かれているが、我は最強の邪龍じゃ。人間の指図は受けぬ。

 ドアを開くと、カランカランと音が鳴る。


「困りますねお客さん? まだ仕込み中なんですよ?」


 テーブル席で本を読んでおったのは20台後半の男じゃった。

 バンダナにセーター。そして調理用の前掛けと言うラフな格好。


 店内は茶を基調とした木製中心の調度品。

 テーブル席が5つにカウンターが10人。


 まあ、店主と思われる男の格好と内装からして店の格としては高くはないじゃろう。


「料理は出来ておろう? これだけ良い香りをさせておいて……できてないとは言わせぬ!」


「いや、まあ……カレーならすぐに出せますけど……」


「ならばとっとと出さぬかっ! 先ほどから……この臭いで腹が減って仕方ないのじゃ!!」


 もしもここで出せぬというなら、この男は間違いなく龍の逆鱗を踏む。

 つまりは、即時に消し炭じゃ。


「何か昔にいたなこういう人……つっても、腹減ってるなら出さない訳にもいかねーか……はいはい分かりましたよ」


 呆れ顔で店主は厨房の中へと消えていく。


「ふむ。分かれば良いのじゃ」


 しかし……と我は溜息をついた。



 何故に父上は、人間の文明を半壊させなかったのかと。



 魔王には種族がある。

 我と父上は龍という種族で、他にも魔人や巨人など……色々といる。


 そして我と父上はセットなのじゃ。

 まず、父上が封印から解かれて人間の文明にちょっかいをかける。

 高確率で勇者と呼ばれる人間側の決戦兵器が産まれているので、戦争となる。

 ここで勇者を退ければ人間の文明は半壊となり、戦乱が長引いても文明は停滞する。


 そうして、256年後に我が封印から解かれる。

 人間の文明が半壊しておればそれで良し、戦争が長引いておれば膠着状態に現れた、我と言う新たな魔王の存在で決着がつく。


 長い事……ずっと長い事そうやっておった。


「はい、おまちどうさん」


 そこで店主が小皿とグラスを持ってきた。

 水が入ったグラスはまだ良いとして、小皿を睨みながら我は不機嫌を隠さずに言った。


「お主……舐めておるのか?」


「舐めているって言うと?」


「我はこの店に充満しておる……臭いの元の料理を出せと言うたのじゃぞ?」


「いやいや、カレーセットっつったら前菜にレタスとトマトって昔からウチは決まってるんだ」


 ふむ。

 セットじゃったのか。


 そういう事なら仕方ない。


「……早くメインを出すのじゃぞ?」


「ったく……営業時間外だっつーのに……こんなワガママあの人以来だな」


 と、我はグラスのコップに水をつける。


 ほう……とため息を呑んだ。

 香りづけにレモンが入っておるな。それに水もキンキンに冷えておる。というか氷が入っておる。


 正直、驚きじゃ。

 氷を作るには高位魔術師に依頼せんとならんじゃろうし、それなりに金はかかるはずじゃ。


 内装はアレじゃが、出すモノには相当なこだわりがあると言う事か。

 我はフォークを手に取り、小皿の中のサラダに視線を落とす。


「……何か……かかっておるな?」


 ピンクがかった白色の液体。

 微かに粘性を伴っておる。このようなものは見た事も聞いたことも無い。


 毒ということはあるまいが、薄気味が悪いので液体のかかっていないトマトを口に運ぶ。


「……何じゃこれは」



 思わずため息が出た。


 瑞々しく、そして甘味すらも感じる。

 このようなトマトを食べたのは産まれて初めてじゃ。


 次にレタスを口に運ぶ。

 やはり……トマトと同じ感想じゃ。


 そもそも、このような街中でここまで新鮮な野菜が手に入る事自体有りえぬ。

 何故にしなびておらずに瑞々しいのじゃ……いや、そこは別にどうでも良い。新鮮なだけならば田舎町であれば手に入る。


 じゃが、ここの野菜は何かが根本的に違う。

 品種改良と言う技術は聞いたことはある。



 一度……偶然が重なって、人間が蒸気機関を開発するところまで文明が進んだ事がある。

 その時は全魔王総出で文明を叩き潰したのじゃが……それはまあ良い。

 で、その時に食した品種改良の野菜と似ているような気もする。


 じゃが……品質と言う意味であの時食べたものと、今食べたものでは明らかに次元が違う。

 次に、我はピンクがかった白色の液体のかかったトマトを口に運んだ。


「…………」


 言葉が出ない。

 酢と油……そして卵黄かの?

 後は……何が入っているのかサッパリわからん。



 とにかく、美味い。

 あっと言う間にサラダを平らげ、我は厨房に視線を送る。


「油を温めてるからちょっと待ってくれよな!」


「あい分かった」


 まあ、営業時間外に来たという事情もあるのでここは大人しくしておこう。


「……しかし何故に」


 溜息が出る。


 何故に父上は……あろうことか人間を滅ぼすどころか……守ってしまったのじゃろうと。

 256年前に父上が魔王としてこの世界に登場した。

 最初の1年は魔王として人間の国を襲っていたのじゃが、そこで忽然として父上は歴史の表舞台から姿を消したのじゃ。


 そして世界のパワーバランスが崩れた。




 10年前。

 世界の調和の為――本来はこの期間に出現しないはずの魔人の封印が解かれた。それは無論、魔王として人間を滅ぼすために……じゃ。

 魔人は瞬く間に人間の国家を蹂躙した。



 当代の勇者だけでは手におえず、いよいよ人類の命運もここまでという時に……父上が現れた。




 結果。

 人間の勇者と父上は共に協力して魔人を打ち払い、封印に成功したのじゃ。



 その最終決戦の場所が、今――我がいるこの国じゃ。

 戦争の際に父上は深い手傷を負い、傷を治すために自ら永久凍土……封印の聖地へと向かい、現在は冬眠中。



 まあ、そんな形で魔王としては非常に情けない状況なのが、今の我等親子の現状なのじゃ。

 他の魔王共に顔向けもできぬし、そして何より……。



 ――我は寂しい。


 我らは基本的には、封印と言う形でずっと寝ておる。

 親子が共に過ごす時間も、生涯の時間の割合では少ない。

 我は父上と一緒に過ごしたいし、父上もそれは同じはずじゃ。



 故に、解せぬ。

 父上の事じゃから、命を奪われる事はまずありえぬが、魔人と争えば手傷を追う事は必定じゃ。

 そして我がこの時分に封印が解かれる事もまた必定。もう少しで我と父上は親子の再会を果たすところじゃったのじゃ。

 それは言うまでもなく父上も分かって負った。

 我と父上は共に……親子として過ごしたいという気持ちがあったはずじゃ。


 じゃから、解せぬ。

 何故、父上は我と過ごす時間を削ってまで……。

 まさか人間の娘にでも恋をして……我との時間よりも……人間を取ったと?




 ずっと考えていた事ではあった。

 最も可能性の高い事でもあった。

 じゃが、我はその可能性をずっと排除しておった。



 一瞬たりとも父上が……我よりも大事な何かを選択するなどとは考えたくなかったから。

 うむ……と我は大きく頷いた。



 ――腹ごしらえをしたらすぐにコトを始めよう。今回は盛大に……念入りに……潰してくれようぞ……人間どもっ!



「はい、お待ちどうさん」


「……ふむ。して……この料理は何という?」


 黄土色のドロドロの液体。

 そして、スチームライス (蒸した白米)。

 たまらなく食欲をそそるニンニクと香辛料、そして油の香り。

 更に……黄土色のドロドロの上には、5等分された淡い茶色の塊が乗っていた。


「ビーフカツカレーって言うんだ。ウチの看板料理の一つでね」


「うむ。頂こう」

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