第3話 カレーの魔王様 後編

「ビーフカツカレーって言うんだ。ウチの看板料理の一つでね」


「うむ。頂こう」


 まずは、ドロドロの黄土色をスプーンに載せる。


「……」


 絶句した。

 香辛料が使われているのは知っていたが、一種類や2種類ではない。


 そして、その量も尋常ではない。

 香辛料と言えば、等量の黄金と同じ価値があるという。

 そもそもが……このような定食屋の類で出せるものでは断じてない。



 そして、この旨みと油……。

 目を白黒させている我に向け、店主はニコリと笑った。


「鶏ガラを10時間煮込んだスープがベースだ。角煮用に圧力鍋で炊いた豚バラの、余分な油も入っている」


「10時間……」


 圧力鍋? と言うのは良く分からんかったがとにかく手の込んだものだと言う事は分かった。


「米と一緒に食べてみな?」


「……ふむ」


 スプーンにスチームライスを乗せる。

 そしてドロドロの何かを、その上に乗せる。

 口に運ぶと同時――



「……ふはは」



 笑いが出た。

 そして……次々と我はスプーンを口に運ぶ。

 いかん……手が止まらぬ。


 ――止まってはくれぬっ!


 何なのじゃこれは? こんな食物がこの世に存在しても良いのか?

 夢中でバクつく我に向けて、店主が慌ててこう言った。


「ちょっと待ってくれ! このままじゃカツにつけるルーが無くなっちまうよ」


 そこで我の手がようやく止まった。


「……ふむ? ルー?」


「ああ、そのドロドロしてる奴だよ。ビーフカツのソースにもなるんだ」


 そういえば、淡い茶色の等分された塊もあったな。

 スチームライスとルーの圧倒的な相性の合わせ技の前に、その存在すらも忘れていた。


「……ルーと一緒にビーフカツとやらを食べれば良い訳か?」


 親指を立たせながら店主は笑顔で頷いた。

 フォークでカツを突き刺す。

 ルーをつける。口に運ぶ。


 そして、咀嚼する。





「……ビッグバンインパクトじゃ」






 魔王すら消滅させうる極大魔法の名前が思わず飛び出してしまった。

 いや、本当にモロにあの魔法を喰らった時以来の衝撃じゃ。


 あるいは、これは母親の子宮から飛び出した時並の一大事じゃ。



 まずは、シャクっと言う心地よい歯ごたえ。


 噛むと同時に広がる牛肉の甘い油。


 次に柔らかい肉の旨みが舌の中で拡がり――全てをカレールーが調和させる。


 口内で肉を咀嚼しながら、スチームライスとルーを放り込む。




 思ったとおりじゃ!

 カツと、ルーと、スチームライス。

 正に3種の神器としか形容できない相性じゃっ!



 ルーとライス。

 カツとルー。

 再度、ルーとライス。


 次々と我はスプーンを口に運ぶ。

 いかん……手が止まらぬ。



 止まってくれぬっ!



 ルーとライス。

 カツとルー。

 再度、ルーとライス。


 ルーとライス。

 カツとルー。

 再度、ルーとライス。




 ――そして締めのフクジンヅケ。


 油でギトギトの口の中が、この上無くサッパリする。




 完璧じゃった。

 サラダから始まり、フクジンヅケに終わる。


 正に完璧なセット料理じゃった。

 急いで食べたせいで口元が汚れてしまった。


 ナプキンで口を吹き、レモン水のグラスを煽りながら我は店主に尋ねた。


「……しかし、強烈な香辛料の香りじゃな? 思わず臭いに釣られて来てしもうたわ。まあ、結果としては……大当たりじゃがな」


「そりゃあどうも。でも、ウチのカレーってのはそういう風に作ってるからな」


「ふむ?」


「本当はもっと香りは抑えめに作るのがベターなんだ。けど、まあ、とある常連さんの要望でね?」


「……ふむ?」


「レギオスさん。聞く所によると255年……俺のご先祖さんが店をやってる時からの常連さんだ」


 心臓が飛び出しそうになる。

 何故にこの店で、その名前を聞くのか……と。



 ――言うまでもなくそれは父上の名前だ。



「……255年……その……レギオスとやらは魔族か何かかえ?」


 店主は含み笑いを持たせつつ、頷いた。


「10年前に人間を……いや、この国を守る為に戦った……変わり者の魔王さんだよ」


 しばし我は考え、店主に素直に尋ねた。


「魔王レギオスは……人間との間での所帯持ちか何かだったのかえ? 魔王が人間を守った理由が我には分からぬ。まあ……真相が色恋沙汰だと言うのなら非常に分かりやすいのじゃがな」


 店主は吹き出しそうになってこう応じた。


「ないない。それは絶対にない」


「何故にそう言い切れる?」


「ご先祖さんの代からの口癖が『娘にここのカツカレーを食べさせたい』だったからな。で、その思いを叶える為だけに、この街を守る為に、魔人の魔王と戦った。おかげさまで、絶対に何があってもウチは廃業ができなくなっちまったけどな」


 あ……とそこで我は息を呑んだ。


、父上は我にここのカツカレーを食べさせたいと思った。

 絶対に、何があっても食べさせたいと思った。

 その為なら、今回の親子の再会を犠牲にしても良いと思うほどに。


 そして、このカツカレーを食べた後であればその気持ちも理解できる。


「なるほどの」


 胸に熱い物を感じながら、我は大きく頷いた。


 飯も食終え、満腹となった。で、あれば後はお暇するだけじゃろう。

 席を立ちかけた時「ちょっと待った」と店主が声をかけてきた。


「ん? どうしたのじゃ?」


 店主は、テーブルの上に包みを置いた。


「娘さんなんだろ? 良く似てるよ」


「……バレておったのか」


「あの人も営業時間外が基本だったからな。偉そうな喋り方から何から……下品な食べ方まで一緒だもんな。ピンと来るなと言う方がおかしい」


「下品と言うのは失礼じゃろう?」


「早食い選手権やってんじゃねーんだからってレベルだぜ?」


 ははっと笑い、我は店主に問いかけた。


「で、この包みは?」


「ビーフカツカレーだよ。レギオスさんは毎回弁当で持って帰ってたぜ?」


「はてな? 我は既に満腹じゃぞ?」


「今はレギオスさんは永久凍土で眠ってんだろ?」


「ああ、そのとおりじゃが?」


「で、お前さんも永久凍土で眠ってたんだろう?」


「ああ、そのとおりじゃが?」


「持ってけよ」


 はてな……と首を傾げた所で、我は気が付いた。


「じゃから……ワザと香りを強く作っておるのじゃな?」


「ああ、眠っていても……香りだけでも届くようにってな」


 初めて嗅ぐはずの臭いなのに、何故か懐かしく感じられたのはそのせいじゃった。

 父はここに立ち寄った際、そのまま我にも……遠路はるばるカツカレーを届けておったのじゃ。


「のう……店主?」


「なんだ?」


「今度からはカツはポークにしてはくれんか? 父は牛よりも豚が好きじゃ」


 そこで店主はその場で吹き出した。

 いや、爆笑を始めた。


「ははっ! はははっ! はははははっ!」


「どうしたのじゃ?」


「いや、だってさ……」


「ん?」


「元々、遥か昔はウチはポークカツだったんだぜ?」


「……うぬ?」


「それをビーフに変えさせたのはお前さんの親父のレギオスさんだよ。お前さんが牛肉が好きだからってな。それ以来、ウチのカツはビーフになったんだ。まあ、今後はポークになるんだろうが……」


 その話には流石の我も苦笑した。

 まあ、親子なのだから仕方ない……か。


「のう……店主? 我が何者かはしっておるか?」


「人類を滅ぼす魔王だろ?」


「ああ、我は父のようには甘くはない。この程度の事で人間を滅ぼす事を辞めはせぬ」


「……」


 押し黙る店主に、我は人さし指を突き付けた。


「ここのメニューを全て食べ終えるまでは……とりあえず……人間を滅ぼすのは保留してやるのじゃ。心して調理せえ」


 うんと頷き店主は言った。

 まあ、これは少しの時間の執行猶予でただの気まぐれじゃ。


 我は本当に父上のように甘くはない。

 滅ぼすべきものは滅ぼし、我は我の役割を全うしなければならんのじゃ。


「そう来ると思ったよ。で、そういう事なら人類は絶対に滅ぼされない」


 そんな訳はない。

 どれだけメニューが多くても通いつめれば数週間でメニュー制覇の話のはずじゃ。


「うぬ?」


 ニヤリと笑って店主は言った。


「……ウチには日替わり定食があるんだ」


 これは一本取られた。

 確かにそれではメニューの全制覇は不可能……。


 しかも、今更吐いた唾は飲めない。


「ちなみにな」と、店主は半笑いは続けた。


「レギオスさんも俺のご先祖さんがした、今と全く同じ回答で魔王を廃業したらしい」


「ハハっ……ハハハッ! クハハハハ!」


 堰を切ったように我は笑い始めた。


 これが笑わずにおられるか。

 どこまで言っても……親子なのじゃな……と。

 そして、この店の一族に掌の上で転がされたのか……と。

 だが、この幸せな満腹感の中では、不思議と敗北感は感じぬ。むしろ心地よい。


「あい分かった。だが、人の子よ? 我の口の合わぬものを出せば……その際は容赦なく人類を滅ぼすからの?」


 それだけ言うと、我は踵を返してギルド地下の食堂を後にしたのだった。



 向かう先は永久凍土。



 ――眠る父上にカツカレーを届けなくてはならぬ。



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