第5話 皇帝陛下と黒毛和牛の焼肉 その2

「はい、予約のお客さんね。最高級黒毛和牛焼肉コースね? 前菜を幾つか出した後に肉を持ってくるから、こちらの七輪で後は勝手に焼いてくれ」


 ギルドの地下食堂。

 そして安っぽい木製のテーブルと内装。

 ガラスのコップや食器は、丸いものは丸く、直線のものはどこまでも直線……。


 世界最高峰の職人が作っていることは間違いない。店の内装と比べるとどこまでもアンバランス。

 そして、皇帝と宰相の晩餐だと言うのに、貸し切りではないのだ。普通に他の客もいる。


 色々と意味が分からない。

 正直に言うと、俺は面食らっている。

 サーブされた無料と言う水を飲んで更に困惑する。


 柑橘類の汁が入っているようで、俺の食事で出される水よりも普通に美味い。


「ここは私が一兵卒の頃から通っている食堂でしてね……」


「……う……う……うむ」


 そこで店主が野菜を載せた皿を持ってきた。


「ナムル盛り合わせと生ビールだよ」


「生ビール?」


「ああ、エール酒の親戚のようなものだと思ってくれればいい」


 なるほど。

 そして、モヤシとほうれん草が少量盛られた皿が、俺とムッキンガムの前に並ぶ。


「ナムル……私はこれが好きで好きで……陛下、是非ともご賞味を」


「……う……うむ」


 恐る恐る……と言った風に俺はフォークでモヤシを少量取り、口に運ぶ。

 そしてシャクリと咀嚼した。


 瞳を閉じて、更に何度か咀嚼して飲みこんだ。


「…………」


 これは美味い。

 香ばしい油 (ゴマ油) で匂い付けされた野菜の浅漬けと言う所か。



 味が若干濃く、酒が欲しくなる。

 そうして、先ほどサーブされた生ビールという名の琥珀色の液体を流し込む。



 ん?

 ……ん?

 …………ん?


 目を白黒させる俺に、ムッキンガムは笑いながらこう尋ねた。


「どうされましたか? 陛下?」


「……いや、何でもない」


 この生ビールと言う酒……正直に言うと、何というかこう――



 ――キューーーーっと咽に来た。



 いや、違うな、凄く……咽をキューーーーッと幸せな何かが通り過ぎた。


「ま、ま、まァ……ムッキンガムが俺に紹介する程の店だ。それなりのものを出して当たり前だろう」


 努めて冷静を装いそう言った。

 次は、ほうれん草のナムルを口に運ぶ。

 そして生ビールを飲む。



 ――やっぱりキューーーって来る。



 口元が綻びそうになるのを堪えながら、黙々と食べ進めると、すぐにナムルが消えた。


「満足いただけたようで光栄です」


「うむ。初っ端からこれであれば、相当にこの店は期待できるな」


 と、俺とムッキンガムのナムルが消えたのを見計らい、店主が肉を持ってきた。


「牛肉のタタキだよ。この後に特上黒毛和牛を持ってくるからな」


 テーブルの上に置かれた肉を見て、俺は席を立った。


「帰るぞムッキンガム」


「……陛下? どうなされたので?」


 そこで、私は声を荒げてこう言った。


「表面しか焼かれていない生焼けの肉だぞ? 皿を見ろ……微かに生血すら滲んでいるでは無いかっ! このようなものをお前は皇帝に薦めるのか? 正気の沙汰とは思えぬわっ!」


「……」


 押し黙るムッキンガムに、俺は吐き捨てるように言った。


「ムッキンガム? 俺はお前を買っている。いや……買っていた。今日の晩餐の失態は、今までのお前に仕事に免じて見なかった事にしてやる。だが……次は無いぞ? 信頼は……仕事で取り戻せ」


 踵を返して出口に出ようとする俺に、ムッキンガムは大声で言った。


「お待ちください陛下!」


「……待てと? ほとんど生の肉を出すような……危険で不衛生で野蛮な……まるで獣人の料理のような……そのようなものを出す店に……皇帝をこれ以上引き止めると?」


 振り向くと、決意の込めた瞳でムッキンガムは頷いた。


「最後まで……コース料理をご堪能ください」


「……貴様……自分が何を言っているのか分かっているのか?」


 ええと頷き、ムッキンガムは笑った。


「もしもお気に召して頂けない場合は……私の進退を賭けます」


 その言葉で俺は席についた。


「ムッキンガム? 本当に良いのだな? 俺に対してその言葉……吐いた唾は飲めぬぞ?」


「兵同士の戦争でも、政争でも……このムッキンガム……そこが戦場であれば常に命を賭けております故」


 ムッキンガムほどの男がそう言うのだ。

 だが、護衛の連中にこのやりとりを見られている。


 もしもムッキンガムがこの店の料理でこれ以上の不興を買うのであれば、何らかの制裁を加えない訳にはいかないし、手心を加える訳にもいかない。



 ――俺も吐いた唾は呑めない。それは皇帝としての言葉の責任だ。俺の言葉は常に、誰に対しても重いものでなくてはならず、そうでなくては皇帝の威厳は保てない。

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