第6話 皇帝陛下と黒毛和牛の焼肉 ラスト
互いに無言で重苦しい空気が流れる。
「おい、店主?」
ムッキンガムの言葉にすぐに店主がテーブルまで歩み寄って来た。
「牛肉のタタキは……少しの間だけで良い。下げておいてもらえるか?」
「ムッキンガムさんがそう言うなら……まあ良いけどさ」
店主は厨房に引っ込み、そして大皿に盛られた鮮やかな色の牛肉を持ってきた。
「また……生肉だと? ムッキンガム……お前は……俺に嫌がらせをするつもりで今日、ここに連れて来たのか?」
テーブルの上に置かれた大皿を見て、ピキピキとコメカミに青筋が浮かぶのが分かる。
「陛下……最初の説明を聞いていなかったのですか?」
「説明?」
「この肉は、七輪で焼きますからっ!」
火を通すのか。ならばやぶさかではない。
ムッキンガムはトングで肉を掴み、シチリンとやらの上に乗っている網に肉をぶちまけていく。
しかし、正直な話、俺は相当にゲンナリとしている。
これだけ大量の生肉を見たのは産まれて初めての事で……皇族の俺には相当にショッキングな映像ではある。
が、すぐさまに俺の気持ちは高揚してきた。
熱せられた肉から、網を通して油が……下の炭に落ちる。
ジュワっと言う音と共に広がる油の焦げた香り。
よくよく見ると、生肉には何らかのソース (下味の為の焼肉のタレ)がかかっている。
油の焦げた甘みを帯びた臭いだけではなく、香辛料とニンニクの焦げた臭いが混ざり合い……その香りだけで俺は生ビールを手に取った。
――やっぱりキューーーって来る。
そろそろ、ほろ酔いの感じとなってきたが……。
「どうぞ陛下」
焼いた肉をムッキンガムが差し出して来た。
「待て、ムッキンガム」
「……はい?」
「もう少し焼け。それでは中は生焼けの危険がある」
「……これぐらいが美味しいんですが」
甘いなムッキンガム。
確かに、表面は火が通っている。が、それでは本当に生焼けの危険があるのだ。
皇帝を食中毒にさせたとあっては、流石に俺はお前を更迭せざるを得ない。
「何を言っているんだ貴様は? 衛生面の問題があろう」
渋々と言った感じでムッキンガムは網に肉を戻す。
表面がかなり焦げた頃合いで、俺はうんと頷いた。
「今だ。今であれば完全に火が通っておろう?」
ムッキンガムは取り皿に肉を幾枚か乗せる。
「で、どうやって食すのだ?」
「そこのタレにつけて食べてください」
「タレ? このソースの事か?」
言われた通り、小皿に貼られた黒色の液体に、フォークで突き刺した肉をつける。
口に運ぶ。
一口噛みしめて、奇跡の速度で生ビールに手を伸ばす。
そして、肉と共に酒を一気に飲み干す。
「……………………何じゃこりゃ?」
頭の中は大パニックだ。
「店主! 生ビールを大至急! 本当に大至急!」
間に合わぬのだムッキンガム! 今からの酒のサーブでは絶対に間に合わぬのだ!
何故なら、俺は既に取り皿に取られた肉にタレをぶっかけて……フォークで幾重にも突き刺して、串焼きよろしく一口で頬張っている最中なのだから!
いかん……いかんぞこれは……!
牛肉が……何故にここまで脂っこいのだ!
いや、脂っこいだけではない……この牛の油……甘い! 美味い! そして旨い!
そこに香辛料とニンニクのふんだんに利いたタレが絶妙なパンチ……っ!
モゴモゴと口を咀嚼しながら、俺は涙目になった。
勢いで一気に肉を口に詰めたが……ここで酒が無いと言う絶望的状況。
この肉をビールと一緒に味わえないとは……これはなんと言う苦行だ。
思わず、俺はムッキンガムの生ビールを手に取った。
「陛下!? それは私の生ビール!?」
「モゴモゴモゴ!!!!!!! (ええい止めるなムッキンガムっ!)」
噛みしめて、溢れ出る牛油。
口内に溢れ出る旨み成分。
そこに流れ込む生ビール。
ゴキュっ、ゴキュっ、ゴキュっ……。やっぱり――
――――キューーーーーーーーーーーーーーって来たああああああああああ!
いかん、いかんぞこれは!
良い感じに酒も回って来た。ああ、本当にいかんぞこれは!
そこで店主からの生ビールのサーブが行われた。
「ムッキンガム!」
「何でしょうか陛下っ!?」
「肉だ肉! 肉を焼けっ!」
「もう焼いておりますっ!」
「おお、焼いておったのかっ!」
網の上を見ると、そこには確かに焼けた肉が転がっていた。
見た感じ、表面は焼けている。が、焦げてはいない。
俺は、慎重な男だ。焦げていないと中まで火が通っているとは判断しない。
が、この場合は……
「我慢できぬわっ!」
フォークを網の上の肉にブッ刺した。
そしてタレにつけて、口の中に放り込む。
「……フォっ……フォっ……フォオオオオオオオオオオオオオオオ!」
焦げた肉の固さやパサつきは一切ない。
柔らかい。
とても柔らかく、そして瑞々しい。
噛めば、油が舌の上でトロける。
若干のブニュリとした触感が口内で踊り、旨みの爆発が起きる。
そして――生ビール。
――キューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
止まらない。
フォークが更に網の上の肉を攫って行く。
口に放り込む。
噛む。
笑みがこぼれる。
そして――生ビール。
止めれない。
辞められない、止まらない。
笑みも止まらず、フォークも止まらず、咀嚼も辞められず、ビールも辞められない。
網の上の肉が全て消えた後、ムッキンガムは呆れ顔でこう言った。
「陛下? これが……ミディアムレアです」
「ミディアムレア……とな?」
「衛生管理のしっかりした肉は生でも食べられます。そして、ほとんどの人は軽く火を通した肉を好む」
「ふむ……?」
そこで満を辞して、店主が赤ワインのボトルと、先ほどの肉を持ってきた。
「油っこい肉ばかりで飽きただろ? 牛肉のタタキだ。ポンズと大根おろしと……揚げたニンニクチップで召し上がれ」
表面だけを焼いて、中身はほとんど生。
けれど、今の俺は……溢れ出る唾液には抗えない。
ダイコンオロシとニンニクチップで巻いた牛肉を、ポンズソースにつける。
口に入れる。
店主の言葉の通りに、凄く口の中がサッパリとスッキリとする。
そして、美味い。
「赤ワインと合わせると最高だぜ?」
ウインクする店主に言葉通りに赤ワインを飲みこむ。
そして、ああ……俺は呆れたように笑った。
――反則だろうこれは。
「陛下?」
「どうした、ムッキンガム?」
「獣人は……確かに生肉を喰らいます。けれども、けっして阿呆ではありませぬ」
「……」
「戦場で、奴らと戦えば分かります。奴らは勇猛果敢であり、兵の練度も高い。そして狡猾とも言えるほどの策の数々……常に前線で、互いに命を賭け合っていたからこそ、奴らの力と知能は分かります。生肉を喰らう野蛮人と侮っていては……痛い目を見ます」
牛肉のタタキを口に放り込む。
「ムッキンガム? これ以上……俺を苛めてくれるな。少なくとも、生肉について、不知と無知は俺の方だったらしい」
「賢明なる判断、ありがとうございます。陛下」
「……全てを忘れて今夜は飲もう。ただ、今は……この素晴らしき料理を味わおうではないか」
「はい。肉のタタキと赤ワインは私の大好物でございます」
幾分か飲みすぎていたらしく、それ以降の事は俺は良く覚えていない。
明日の帝国議会が夕刻からであって本当に良かったと思う。
いや、あるいは、ムッキンガムが最初から今日のコレを見越して、夕刻からの開催にしたのかもしれない。
――そして翌日。
獣人との和平を議題とする帝国議会において……帝国と獣人の王国の一時休戦が全会一致で採決され、相互理解の為の会合が開かれる事が決定した。
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