第36話 日本酒とイカの塩辛 後編
そして数か月が経ったある日。
店に鍛冶屋のユーリさんがやってきた。
既にしこたまに飲んでいるらしい。
その上、ウチの店に来るなりウイスキーをボトルで頼み、ラッパ飲みを始めた。
最初は大人しく一人で飲んでいたが、途中から他のお客さんに絡みはじめる。
大声でうるさいし、ややキレ気味な感じなので絡まれたお客さんも迷惑そうだった。
「ふむ。ユーリ殿よ。色々とストレスがあるのは分かるが、ここは料理店なのじゃ。居酒屋ではないので……大人しく飲めぬのであればお引き取りを願わねばならん」
「ああ? テメエみたいなガキに何が分かるってんだ!? 子供はすっこんでろ!」
いきなりの逆ギレにコーネリアは一瞬固まった。
そして、コメカミに何本か青筋が浮かんだ。
「なるほど。売っておるのじゃな。ならば買わん事も無い」
いかん。
ユーリさんは基本的に荒い性格な上に、更に酒が入って無茶苦茶な事になっている。
そして、コーネリアもドがつくほどに喧嘩っ早い。
っていうか、魔王なんだからそりゃあもう恐ろしいほどに喧嘩っぱやいのは当たり前だ。
「店内での喧嘩はご法度だ」
必然的に、俺が仲裁に入る事になる。
放って置いたら一瞬でコーネリアがユーリさんを血祭りにあげるのは目に見えてるからな。
「で、どうしたんだよユーリさん?」
「おう店主。聞いてくれるか?」
「まあ事情ぐらいは聞いてやるよ。常連さんだしな」
「つまりだな……マリアの夫がクソ野郎だったんだよ」
「クソ野郎?」
「俺の一番弟子で見込みもあった。ゆくゆくは工房を譲ろうと思ってたんだが……あろうことか、奴はとんでもないことを言い出した」
「とんでもないことっつーと?」
「自分で工房を立ち上げるんだとよ。それは良いんだが……防具生産の効率性だとかワケの分からん事を言い始めたんだ。素人を何人も雇って、数か月の研修の後に防具を作らせるんだとよ」
「どういうことだ? ユーリさんのところは防具ってのは鉄選びから始まって、最後は革製品の留め具やらの付属部分の細かいところまで一人で仕上げるのが基本だろう? 数か月でモノになるような技術じゃねえはずだ」
「そうなんだよ! 何でも鍛冶の工程を分割して、同一作業にのみ特化した分業制にするらしい。それで……ウチは完全オーダーメイドでやってるんだが、それを撤廃して汎用製品の大量生産の体勢を作りたいらしいんだ。防具の部品にしたって、かなりの部分を型枠に鉄を流して作る形で代用する。大量生産して効率化を計るんだってよ! 職人技どころかの話じゃねえ……もう無茶苦茶だ! 俺は認めねえ! 娘を嫁がせてるんだ! そんな訳の分からない独立は絶対に認めない!」
どうやら、ユーリーさんの一番弟子は本当に優秀らしい。
発想がとんでもねえ……。
工場制手工業(マニュファクチュア)の原型みたいな事をやろうとしているみたいだな。
ここで俺が口を出すのは、厳密に言えば現地世界の文明進歩に関連の干渉となっちまうからあんまり良くはない。
でも、まあ……文明を滅ぼす役割の魔王コーネリアを既に懐柔しちまっているから今更感もあるな。
もう毒を喰らわば皿までで行くか。
「なあ、ユーリさん?」
「何だ?」
「この前の日本酒があっただろ?」
「ああ、それがどうかしたか?」
「日本酒ってのは職人の勘と経験がモノを言うシロモノなんだよ」
「そりゃあそうだろう。あれほどの酒だ。素人に作る事ができてたまるもんかっ!」
そこで俺は溜息をついた。
「実はあの酒は……日本酒の中でも特殊でな。素人でも作れるようにという発想で完成した酒なんだ」
「……ハァ?」
「職人の技を徹底的にデータ化して、勘や経験といった曖昧なモノを排除する事によって出来上がった酒なんだよ。工程にも機械がたくさん……いや、わかりやすく言うなら魔導の道具の導入による自動化も進んでいて、人の手が入る工程が省かれている」
「あの……酒が?」
「だが、味は本物だ。プレミアがついてまともな値段じゃ買えない程度にな」
俺もまた料理の職人だ。
ユーリさんの言っている事も分かるし、そして中世から近世にかけての歴史知識もあるからユーリさんの一番弟子さんがやろうとしている事も分かる。
でも、あの日本酒の味はリアルだ。
美味い物を作ったやつが一番偉い。それは料理人の世界では鉄則だ。
その意味では俺は……やはり、山中の工場ビルで本格日本酒を生産すると言った風な、新しいやり方を否定することはできない。
「なあ、ユーリさん? 型枠やら単一作業に特化された分業での鍛冶作業で、出来上がる製品の出来はどうなる?」
しばしユーリさんは押し黙る。
「そんなことは考えたこともなかった。職人の世界に素人を入れたり……型枠を使ったり……ありえねえ話だからな」
「で、どうなんだ?」
頭の中で諸々とシミュレーションしているのだろう。
難しい顔をした後、ユーリさんは忌々し気に言った。
「俺が素人連中の指導から何から何まで全力を尽くしたとして……最低限のシロモノは作る事はできるだろうな。そしてアホ程大量生産が可能になる。つまりは……恐ろしいほどに防具は安価になる。でも、俺はそんなものは……素人の手を入れさせるようなものは……」
「なあ、ユーリさん? 戦や魔物退治に駆り出されるのは騎士団や冒険者だけじゃない。徴兵や、領主令で魔物探索の山狩りに駆り出された農民も多数いる。そんな連中は最低限の装備すらさせてもらってはいないんじゃないのかな?」
「俺の一番弟子と……同じことをお前も言うんだな」
「品質は良くはなくても良いんだよ。大量生産さえできれば良い。農民を中心とした民兵の装備が整えば……結果として死ぬ人も減るんじゃないのかな?」
「……」
「マリアさんの旦那さんは別にユーリさんの工房の名前を使って商売しようとしてるんじゃないんだろ?」
「……」
「若い世代のチャレンジって事で……寛容になる事はできねえか?」
そうしてユーリさんは深いため息をついた。
「そこそこ程度だ」
「ん?」
「そこそこ程度以上には仕上げてもらう。最低限程度の品質のものを世に出す事は絶対に俺は認めない」
「逆に言えばそこそこ程度あれば?」
「他の工房よりも圧倒的に安価で出すなら……そういう防具ということで俺の工房の名を冠して防具屋に並べてやらんこともない」
「ははっ」
「どうした?」
「いや、職人気質だなあ……って。でも、ユーリさんが全力でやっても最低限のものを作れる程度なんだろ? 結構な無茶振りだと思うぜ?」
「やかましい。そもそも、あのニホンシュという酒は職人の技をある程度排除しても、最高レベルの品質を保てている訳だろう? 遠い異国の連中にできて、俺らにできない道理はない」
いや、あの酒は使っている技術がこの世界とは桁違いで……。
『あの酒を目指すのは、それこそ無茶だ』と言おうとしたが、喉元で俺はその言葉を止めた。
無茶を通し続けた先人たちがたくさんいたからこそ……あの日本酒ができあがった訳だからな。
「なあ、店主?」
「ん? なんだい?」
「あのニホンシュは入荷しているか?」
「ああ、一本だけな」
「持ち帰らせてほしいんだが……」
失われた古都の連中に出す予定だったんだが……まあ、今回は仕方ないか。
「用途は?」
「息子(・・)と、これからの事について色々話をする予定だ。酒は必要だろう?」
「前回は俺の奢りだったが……安い酒じゃないぜ?」
「言い値で払おう」
そうして、ユーリさんは日本酒片手に店を後にした。
――数年後。
とある辺境都市が魔物の大氾濫に巻き込まれた。
それは世界の一大事件として歴史に刻まれることになる。
結論から言うと、悪魔やドラゴン等の上位の魔物は、英雄達が対処して都市は壊滅に追いやられる事は無かった。
しかし、上位の魔物の数千倍の数が溢れ出た、数だけを頼りにする最下級の魔物たちを、民兵が対処したことはあまり知られていない。
彼等が身に包む、ユーリ工場(・・)製の防具には、最下級の魔物の牙は文字通りに歯が立たず、それこそ、その規模での武力衝突において、正に歴史的快挙とも言えるほどの少数の負傷者しか出なかったと言う。
・お知らせ
新作始めています。
主人公最強モノで商業含めて私が書いた中でも、相当完成度高い方じゃないかなと思います。
個人的に物凄く期待している作品ですので、よろしくお願いいたします。
https://kakuyomu.jp/works/1177354055071490442
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