第24話 選手権大会 その3
私の名前はマルス=リグル。
マムルランド帝国のとある公爵家の嫡男です。
美食で知られる私はジギルハイム皇国から万国博覧会における料理大会の審査委員として招かれた訳ですが……。
――よりによって青魚料理です。
頭痛を堪えながら、私は審査員席で座っています。
ちなみに一回戦のルールは、5人いる審査員の内……3人から美味しいと太鼓判を押された順に勝ち抜けとなります。
どの審査員にどんな料理を出しても良いし、あるいは同一の審査員に違う料理を出しても構いません。
とにかく、審査員の誰かから美味しいと太鼓判を貰えれば証明書を貰えるので、それを3枚集めれば勝ち抜けです。
ですが……残念ながら私に料理を持ってきた人は全滅でしょう。
と、言うのも私は子供の頃に青魚料理で食中毒になってしまったことがあるのです。
海辺の街で新鮮な青魚だったはずなのですが、火の通りが浅く……嘔吐と腹下しでエラい目にあったものです。
それ以来……私は青魚料理を受け付けません。
いえ、違いますね。
厳密に言えば魚の生臭さが無理になってしまったのです。
少しでも生臭さを感じると同時に吐き気を催すようになってしまいました。
そこで私は下品にもチっと私は舌打ちをしてしまいました。
――サンマ苦いかしょっぱいか
それは美食で知られる祖父の口癖でした。
忌々しいあの海辺の街に私を連れ出しのも祖父であれば、あの青魚料理を出したレストランに私を連れて行ったのも祖父です。
『サンマは苦い所が美味いんだ! 慣れてしまえば病みつきになってしまう!』
今思えば……祖父は私をからかっていたのでしょう。
サンマが苦いなど……経験したこともありませんし、聞いたこともありません。
あれ以来、私は基本的には青魚料理は食しません。
が、煙で燻製にしたアジやサンマであれば……生臭さはそれほど感じないので……食した事あります。
しかしながら、ただしょっぱいだけで苦みなんて感じませんし、食中毒になる前のサンマの記憶でもやはり……苦みなどは記憶にありません。
昨年に祖父は他界しましたが、臨終の際にもこんなことを言っていました。
『白ワインで……サンマの苦いところを……もう一度……』
死ぬ間際まで酒と食べ物の事で、正直呆れましたが……。
と、まあそんな理由で私は青魚料理は食しません。
一生懸命に料理人さん達も作ってきてくださっているので、一応は口元までは料理は運びますが、臭った瞬間に生臭さを感じればアウトです。
そうして既に5人の料理人さんが散っていきましたが……今、この瞬間にバンダナの青年が平皿片手に私のテーブルの前に立ちました。
「サンマの塩焼きだ! 食べてみてくれよなっ!」
塩焼き?
今、私は間抜けな表情で口をポカンと開いているでしょう。
この料理選手権は世界中から一定以上の水準の料理人を集めているはずです。
青魚の臭み消しの定石すら知らないような輩が混じる事はないはずなのですが……。
更に……と私の表情は凍り付きました。
それもそのはず、この料理人は――
――内臓処理をしていないのです。
サンマの腹はまるまると脂が乗って膨らんでいて……腹のどこにも裂け目はありません。
内臓を引き抜いた形跡がゼロです。これはもう料理人以前の問題です。
ただでさえ腐りやすい青魚です。内臓は傷んでいる可能性が高いのです。
臭いの元です。元凶です。
ありえない……と私の顔から血の気が引いていきます。
が、そこで私は小首を傾げました。
不思議な事に……嫌な臭いが全くしないのです。
フォークとナイフでサンマの背の肉を切り取って鼻先に持っていきます。
――やはり嫌な臭いが全くしません。
滴り落ちる程に、脂がノリにのったサンマの背肉。
ゴクリと息を呑んで私は口に放り込みます。
モグモグと咀嚼します。
そしてゴクリと喉元を通り過ぎていきます。
「ほわ……ぁ……」
狐か何かに騙されたかのように私は目をパチクリとさせます。
もう一口を口に放り込みます。
噛むたびに、甘いとすら形容して良いような、そんな濃厚で芳醇な脂のジュースが口の中に注がれます。
程よく振りかけられた塩と共に、脂がパチパチと口の中で弾けて回っていきます。
更に背の肉を切り出し、何度も口に運びます。
私はただ、黙々と咀嚼を続けます。
そうして感嘆の溜息をついたのでした。
「……美味しい」
けれど……と私は眉を潜めます。
私の視線の先は、内臓がたっぷりと詰まったサンマの腹の部分です。
最も傷みやすい部分である……内臓。
あろうことか、この料理は一切に内臓の処理を施しておりません。
再度言います。
ただでさえ腐りやすい青魚です。内臓は傷んでいる可能性が高いのです。
ナイフとフォークとで腹の身を切り出します。
クンクンと臭いを嗅いでみます。
やはり嫌な臭いは致しません。
内臓部分を積極的に食する趣味は無いのですが……けれども、料理人さんが一生懸命に作ってくれた料理です。
こちらが嫌な気分にならない限りは、前向きに食する努力をするという事はやはり大事でしょう。
ナイフとフォークで腹に切り目を入れます。
黒色とピンクが混じった色の内臓と共に、白色の脂の乗った身が切り分けられます。
「……」
やはり嫌な臭いは致しません。
むしろ、かぐわしいと形容しても差支えのないような香ばしさが鼻先をくすぐります。
そして口に放り込みます。
「あ……苦い。けれど……美味い。とても……美味しい」
そこで私は呆然と天を見上げました。
と、言うのも……かつての祖父の言葉を思い出したのです。
『サンマは苦い所が美味いんだ! 慣れてしまえば病みつきになってしまう!』
今まで私は内臓が処理されたサンマしか食した事はありません。
けれど、祖父の口癖にあったように――
――サンマは……本当に苦いかしょっぱいか……だったのです。
そこで記憶の遥か彼方にある――忘れていた祖父のある言葉を思い出しました。
『お前も公爵家の嫡男だ。常に人とは違うモノを見聞きし食し、人とは違う本物の視点を養わねばならん。サンマの内臓――苦みはそれを体現するものだ。サンマの内臓の味など、普通の人は知らぬ。が……お前は一流の味として、この味を知っておかねばならん。普通の人が知らぬ一流の数々を知ってこそ……国政の大事を考える一流の視点を持つことができるのだ』
本当に遠い記憶の彼方。
あの時の祖父の言葉は幼い私では理解ができなかったのでしょう。
だからこそ記憶の彼方に追いやられていたのでしょうから。
けれど、今なら分かります。
――祖父は私に……それを教えたくてあの時……本物の新鮮な青魚料理を出すあの店に連れていってくれたのです。
不幸にも私は食中毒にあいました。
そして祖父を恨んですらいました。祖父が言うサンマの苦みを……冗談だとすら思っていました。
胸の中に様々な気持ちが去来します。
気が付くと、私の頬には涙が伝っていました。
「どうしたんだ?」
私の涙に、バンダナの青年は狼狽しながら尋ねてきました。
そうして私はバンダナの青年に対して、涙交じりの笑顔で応じました。
「合格です。本当に……美味しかった。そして大切な事を思い出させてもらえました。お礼を言います――ありがとう」
涙を流して鼻声の私に店主は何かを察したのか、右手の親指を立たせてウインクと共にただ……大きく頷いたのでした。
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