第42話 記念日とホワイトシチュー


 それは10年前。

 俺が厨房に見習いとして立ち始めて間もなく、まだお袋が生きていたころの話だ。

 

 


「ここの料理はいつも美味しいね」

 結婚記念日の度にこの店を訪れる夫婦だった。

 ホワイトシチューとパンとスープとベーコンステーキを頼むのが彼らの決まりとなっているらしい。

 俺が厨房に立つ前の頃からなので、おふくろ曰く、かれこれ15年以上は続いているという。

「今日は奥さんの方の食が細いみたいだが?」

 デザートを出したところで、俺がそう尋ねると旦那の表情が見る間に陰って困ったように笑った。

「実は妻が内臓疾患にかかってしまってね」

「え……?」

 よくよく見ると奥さんの顔色はどことなく青白い。

 料理も一口か二口しか手をつけていないし、相当よろしくない状況みたいだ。

 不味った質問だったかな……と俺は冷や汗をかいた。

「腎臓が不治の病に侵されて弱っていましてね。食欲がわかないのですよ」

 これは本格的に不味った質問だったみたいだ。

「あんまり良くない事を聞いちまったみたいだな」

 ペコリと頭を下げる俺に対して、旦那の方が慌てた様子になった。

「いえいえ。別に隠していることでもないですし、お気になさらずに」

「って言ってもな……」

 奥さんがそこでクスリと笑った。

「それに、私は来月手術を受けますし……」

「手術? 不治の病じゃないのか?」

「帝都の医家を尋ねに尋ねたのですよ。最近発見された画期的な手術法とのことでしてね」

 奥さんの言葉に旦那も大きく頷いた。

「成功の見込みは高くはない。でも、余命半年の絶望から……成功率3割のところまで希望を見いだせるところまでこれたんだ。それだけで僥倖だよ」

「余命半年か……。しかし、こんなところで食事をしていて良いのか? 横になっていたほうが良いんじゃ……」

 俺の問いに奥さんは最もだとばかりに苦笑した。

「確かに良くはないですね。けれど、これは生きる気力を得るためには大事な事なんです」

「生きる気力?」

「来年も、私はこの人と一緒にこの店を訪れます。そして今度は……ここの美味しい料理を必ず完食します。それが私の……生きる目標となるんです」

 俺は再度そこで深々と頭を下げた。

 すると旦那の方が不思議そうな声色で尋ねてきた。

「どうしたんだい?」

「ウチの店をそこまで気に入ってくれてありがとうございます。今は厨房はお袋がメインに立っていますけど……俺が来年は必ず二人の料理を作ります」

 夫婦は顔を見合わせ笑い、そして旦那さんと奥さんが俺に握手を求めてきた。

「それじゃあ、お願いするよ」

「美味しいホワイトシチューを頼むわね」

「奥さんはホワイトシチューが好きなのかい?」

「ええ、そしてこの人はベーコンステーキが好物なの。私たちの一番好きなものを頼むというのが……結婚記念日のルールなのね」

 良し、と俺は頷いた。

「それじゃあホワイトシチューを腕によりをかけて作ってやるさ」

 そこで旦那さんが苦笑した。

「おいおい、ベーコンステーキもきちんと作ってくれよ?」

「手は抜かないけど、この場合はどう考えてもホワイトシチューに全力をつくさなきゃいけないだろうさ」

 俺の言葉で二人は笑い、そして俺もまた大いに笑った。

 そうして、俺たちはガッチリと握手を交わしたのだった。





 それから一年後。

「今日は、あの夫婦の結婚記念日ね。予約はどうなっているの?」

 お袋の言葉に俺は右手の親指を立たせて応じた。

「二人席の予約が入ってるよ」

 そこでお袋は胸を撫でおろした風に安堵のため息をついた。

「流石に……今日の予約がなければ色々と後味悪いしね」

 と、そこでカランカランと鈴の音と共に、夫婦の旦那の方がドアから入ってきた。

「いらっしゃい」

 と、俺はそこで小首を傾げた。

 店に入ってきたのは旦那さんだけの方で、二人席に旦那さんだけが座ったのだ。

「それじゃあ予約の通りにホワイトシチューとベーコンステーキとパンを頼むよ」

 恐る恐ると言った風に俺は旦那さんに尋ねた。

「それは……一人分で?」 

 いいや、と旦那さんは首を振って、困ったように笑った。

「二人分だよ」

 後から来るって事みたいだな。

 安心した俺は厨房のお袋に向かって大声で叫んだ。

「今日は俺が厨房に立つからな」

 そこでお袋は大きく頷いた。

「お客さんに変なものだしたら承知しないからね!」

「俺だってボチボチ一人前だ。そうそう変なもの出さねーよ!」

「ひよっこが一人前の口を叩くようになったじゃない!」

「ああ、おかげさまでクソ生意気に育ったぜ!」

 俺たちのそんなやりとりに、旦那さんはただ微笑を浮かべているだけだった。



 1時間後。

 旦那さんは全ての料理を平らげ、その皿は全て綺麗に空になっている。

 そして、旦那さんの対面の席には一切手が付けられていないベーコンステーキとパンと、そしてホワイトシチュー。

 その間、旦那さんは黙々と……一人で料理を口に運んでいた。

 デザートを持って行ったところで、俺は旦那さんにこう切り出した。

「あの……お客さん?」

「なんだい?」

「奥さんは……?」

 天井を見上げて、そして困ったように旦那さんは笑った。

「死んだよ。手術は失敗となった。元々成功率3割だからね。まあ……仕方ないさ」

「じゃあ、どうして結婚記念日に……二人席を?」

 やはり困ったように旦那さんは笑った。

「人は悲しみを乗り越えて生きていかなくちゃいけない。けれど……すぐには心の整理をつけられる訳でもないんだよね」

「……」

「だから私は……心の整理がつくまでは彼女の事を思い忍ぶ為にこの店を訪れようと思ったんだ。今までと何も変わらずに……ね」

 困った風にそういう語る旦那さんに俺は何も言えない。

「お願いがあるんだ。二人分のオーダーで二人分の席を取る。そんな気持ち悪い客だけど……来年以降も年に一回……私を受けいれてはくれないだろうか?」

 その言葉に俺はしばらく言葉を探してから……大きく頷いた。

「気持ち悪くないです。すごく素敵な事だと俺は思います。勿論、歓迎しますよ」






 そして時は流れて現在。

 いつもの日にいつも人から予約が入っていた。

 しかし、いつもと違って一人のカウンター席での予約で、オーダーはベーコンステーキとパンだけだった。

「どうしたのじゃお前様? そのベーコンステーキなら我が運ぶが……?」

「いや、良いんだよ。この料理は俺に届けさせてくれないか?」

 盆にベーコンステーキとパンを置いて、カウンター席へと向かう。

 皿を並べていく俺に、いつもの困ったような顔で旦那さんは笑った。

「何か言いたげな顔だね?」

「そりゃあまあ、何があったか気になりますよね」

「はは、そりゃあそうだろうね。どこから話せば良いのだろうか……」

 初めて会った時に比べて、明らかに白いモノが混ざってきた頭髪を弄りながら旦那さんは頷いた。

「実をいうと再婚することになってね」

「再婚?」

 10年も経つもんな。

 そりゃあそうもなるだろう。

「あいつの年の離れた妹でね……若いころのあいつに瓜二つなんだ」

 しばし考えて俺は肩をすくめた。

「年をとっても女の好みは若いころとは変わらないって奴か」

「はは。違いないね。しかし、私みたいなオジサンを20台の娘が相手をしてくれるとはね……本当に驚いたよ」

「妹……ってことなんじゃないですか? 旦那さんがそうだったみたいに、向こうも男の好みは姉と変わらないってこと」

 俺の言葉を受けてしばし旦那さんは何かを考える。

 そして、今初めて気づいたとばかりにポンと掌を叩いた。

「はは、これは一本取られたな」

 思わず俺も吹き出しちまった。

 まあ、10年……思い続けたんだ。

 奥さんも天国から祝福してくれるだろう。

「と、いう事で今日が最後の結婚記念日だ」

「まあ、そうなるだろうね」

「悲しみを通り越して人は生きていかなくちゃいけないんだ。私が……ふさぎ込み続けることをあいつも望んではいないだろう」

 うん、そのとおりだと俺も思う。

「でも、どうしてホワイトシチューを頼まないんですか?」

「ホワイトシチューはあいつの好物だからね。いつまでもこんなことをしていたら……新しい妻にも失礼だと思うんだよ。ただでさえ私が昔の妻を引きずっていることを新しい妻は気にしていてね」

「ちょっと待っててくださいね」

 俺は厨房に戻り鍋に火をかける。

 そして温まったところでソレを旦那さんの前に置いた。

「……マスター?」

 不思議そうな表情で、目の前に置かれたホワイトシチューを旦那さんが指さした。

「俺のおごりですよ」

「わざわざ外して頼んでおいたのに……どうして?」

「人は悲しみを乗り越えて新しく進まなくちゃいけない。それはそうでしょうね」

 困った風な表情で旦那さんは俺に尋ねてきた。

「だったらどうして……」

「でも、故人を思う気持ちまで……捨ててしまわなくても良いんじゃないですかね?」

「そうかも……しれないね」

 そうして旦那さんはやっぱり困った風な表情を作ってスプーンでホワイトシチューを口に運んだ。






 それからも毎年、いつもの日にいつもの人から予約が入っている。

 違う事といえばは、三人席で予約されていて、ベーコンステーキにホワイトシチューとパン。

 そして新しい奥さんの好物だというローストビーフが予約メニューに加えられたことだろうか。


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