第43話 鍛冶屋とウイスキー 前編

「時間を知ると言えば教会の鐘の音しかねえってのは、古今東西の常識だ」


 常連客のウォ―レンさんがそんなことを言い出したのは店が閉まる少し前の事だった。

 今はもう結構深い時間だ。

 閉店間際ってなもんで、食事客は大体帰った。

 後は飲んだくれ連中に対してジョッキでお冷を出してお引き取りをそろそろ願うという……そんな時間となっている。

 ウォーレンさんは基本的にちゃっちゃと飲んでちゃっちゃと帰るお客さんだ。

 この時間にいるというのは非常に珍しい。

「おい、嬢ちゃん? ウイスキーをロックでもらえるか? もちろん大ジョッキだ」

 安ウイスキーなので、料金はそこまで高くない。

 が、それでも大ジョッキだ。

 普通の人間ならただそれだけで一撃で二日酔いどころか三日酔いになっちまう。

 けれど、まあ、ウォ―レンさんはドワーフだ。

 酒に関してはザルな種族なので、ウイスキーの大ジョッキ一発程度なら俺も驚かない。

 けれど、この人は既に3杯も飲んでいる。

 ボトルにすると2時間で750ミリが3本……いくらなんでもこれは明らかに飲み過ぎだ。

「ウォ―レンさん? ボチボチ店も閉まる頃合いだ。今から大ジョッキってのはいただけねえな」

「まあそう言うなよ店主よ」

「つってもなァ……」

「まあ、店主も飲めよ。一杯なら奢ってやるよ」

 店内を見渡して確認してみる。

 コーネリアの動きから、既にラストオーダーも終わっているし、後は片付けだけだ。

 そんでもって片付けは基本ウェイトレスの仕事だ。

 洗い物も……基本コーネリアがやってくれる。

 帳簿と賄いが俺の仕事なんだが、賄いは別に無い日があったって良いし、帳簿は明日の仕込み中でも良い。

「そういうことなら一杯だけ頂こうかな」

 いや、まあ、そこは奢ってくれるってんなら貰っておかねーと損だろう。

 酒も嫌いじゃねーし。

 まあ、昔なら閉店間際とはいえお客さんに一杯奢ってもらうとかは絶対にできなかったし、そこは完全にコーネリア様様だな。

 厨房の棚から高級ウイスキーを手に取ってジョッキを取り出す。

 続けざまに炭酸水のペットボトルを取り出して、ハイボールを作ろうとしたところでウォーレンさんが苦笑した。

「それは滅茶苦茶高い酒じゃねのーのか?」

「酔っ払いの話し相手になってやろうってんだからな。これくらいは貰わないと」

「つってもなあ……」

「ウォーレンさんみたいにロックで大ジョッキって訳じゃねーんだからそれくらいは大目に見といてくれよ」

「しゃあねえな」

 と、ウォーレンさんは舌打ちと共に微笑んだ。

 ひげ面の赤ら顔。

 鼻だけが異様にでかいくて身長は低い。

 いかにもドワーフって感じの容姿だが、この人は笑うと何故だか愛嬌がある。

「で、何だったけ? 時間だっけ?」

「おう、そうだ。時間と言えば教会の鐘と日時計っつーのが常識だよな?」

「まあ、それくらいしか庶民が時間を知る方法はねーよな」

「そうなんだよ。一歩街を出れば、例えばちょっとした旅行の時なんかは時間が全く分からねえわけだ。その場合は日時計に頼るしかない。が、旅行中に日時計ってのはあまりにもナンセンスに過ぎる」

「そりゃあそうだよな。日時計ってのは一か所で固定して測るからこそ、ある程度の正確性の意味がある訳だ」

 そこでウォーレンさんは懐から何かを取り出した。

「そこで俺が発明したのがこれだ」

 コトンとテーブルに円形の何かが置かれた。

 そこで、店内に残っていた最後のお客さんの会計を終えたコーネリアが現れた。

「話は聞かせてもらったぞ。今日は疲れたのじゃ……我もワインを一杯奢ってもらおうか」

 ウォーレンさんの返事も聞かずにコーネリアは棚から一本のワインを取りだした。

「お嬢ちゃん? これまた高い酒みたいだが?」

「閉店時間を延長しようと言うのじゃ。それくらいしてもらってもバチは当たるまい」

「店主にしろウエイトレスにしろこの店は……ったく。好きにしろいっ!」

 コーネリアはニコリと笑う。

 そうしてワイングラスに並々とワインを注いだ。

 あわわと俺は絶句した。そのワインって並々と注ぐようなもんじゃねーからな。

 そういえばウォーレンさんはウイスキーだけしか飲まなかったから知らないのかな。

 今、コーネリアが飲もうとしているのウチの店でも一番高いプレミアのワインだ。

 マムルランド皇帝に出そうと思っていたような超高級な酒で、あれだけ並々と注いだらちょっと笑えない金額になる。

 恐らくは会計でウォーレンさんは目を剥くだろう。

 が、まあ、こちらとしては儲かるので異存はない。

 むしろ、ナイスだコーネリア。

「で、なんだっけ?」

「時計だよ時計」

 テーブルに置かれていたのは、見た所懐中時計のようだ。

「これが俺の発明したゼンマイ式の時計だ」

 ああ、なるほど。そういうことね。

「ゼンマイとはなんじゃ?」

 コーネリアが不思議そうに懐中時計を手に持った。

「ツマミがあるだろ? 巻いてみな」

 ジリジリジリとゼンマイを巻く音と共にコーネリアがツマミを巻いていく。

 そうして手を止めた瞬間、コーネリアが瞳を爛々と輝かせ始めた。

「おお! 動き出したのじゃ!」

「時計の長針と短針は別のツマミで調整可能だ。弱点としては一日で数分の狂いが生じることと、半日に一回はゼンマイを巻きなおさなくちゃならんって事だ」

「まあ、時間の正確性は教会の鐘を聞いた時点で調整は可能だし、半日に一回巻きなおすだけなら大したデメリットにはならねーわな」

「そういうことなんだよ! これって相当画期的な発明だとは思わないか!?」 

 そりゃあ画期的だろう。

 大げさに言うと世紀の大発明クラスじゃないのかな。

「……凄いっちゃあ凄いけどさ」

「どうしたんだよ? 全然驚いていないみたいだが? 俺がこの手巻きの動力源を開発するのにどれだけ苦労したか……」

「いや、驚いてはいるんだよ?」

 つっても、心の底からは驚けない。

 だって俺……ソーラータイプの腕時計を持ってるんだもん。

「やっぱり店主もそうか」

「俺もって……どういうことだ?」

「どんだけ細工が凄いって言っても、そんなに驚かないよなってことだ。この凄さが分からないだろうなってことだ」

 浮かない顔のウォ―レンさんに俺は怪訝に尋ねた。

「ん? どうしたんだ? 何かあったのか?」

「俺自身はこれは凄い発明だとは思うんだ。でも、ところがこれが全く売れない」

「ふむ……」

 懐中時計を手に取って俺は首を傾げた。

「いくらで売り出してるんだこれ?」

「銀貨10枚(日本円で10万円)だ。それだけの価値はこれにはあるはずだ」

「ウォーレンさんの店って帝都に住む庶民向けの日用雑貨関連の細工商品だろ?」

「ああ、そうだが?」

「どこかの商会を通して売りだしたりは?」

「いや、俺の店だけに置いてある」

 商売が下手なのね……と俺はゲンナリした。

「行商人やら冒険者相手なら需要はあるかもしれねーだろうな。例えば、連中にとっては日没の時間を見誤るだけで死活問題になる。魔物の中で野営で一晩過ごすのと宿場町で一晩過ごすのではとんでもない違いで、正に命に係わる。そういう生き死にに関わるところでは連中は絶対にケチらない」

「ああ、それはそうだな」

「でも、帝都に定住している連中は教会の鐘が日常にあるんだからさ……そういう連中にとって、わざわざ高い金出す価値はそこにあると思うか? 貴族とか相手なら話もまた違うだろうけどさ」

「そこがネックなんだよ。ウチの顧客が貧乏人揃いだしな」

「まあ売るなら金持ち連中か、旅を商売にする連中からだろうな。さっきも言ったが旅に生きる者にとって、正確な日没の時間は何物にも代えがたい重要な情報だ」

 そこでウォーレンさんは深いため息をついた。

「が、俺には販路を広げるツテがねーんだよ」

 俺はウォーレンさんの皿からチーズを拝借して、続けざまにハイボールのジョッキを煽る。

 その時、コーネリアが2杯目のワインを注いでいて、俺は吹き出しそうになった。

 これはいよいよ会計の時に面白いことになるぞ……と。

「で……店主よ?」

「なんだい? ウォーレンさん」

「やっぱり俺はこの商品そのものがダメだと思うんだ」

「いや、モノは良いと思うぜ?」

 いいや、とウォーレンさんは首を左右に振った。

「だってな? 良い物なら勝手に口コミで売れるはずだろ?」

 どこまでも商売下手なのね……と俺はゲンナリした。

「どんなに良い物でも、購入層に適切な宣伝ができなきゃどうしようもねーんだよ」

「まあ、それは良しとして、この時計の開発のせいで俺は相当な借金を背負ってしまっているときたもんだ」

「借金? どれくらいヤバいんだ?」

「娘を担保に出してる。後……数か月もすれば娼館に売られる手はずになっているんだ」

 こんな所で酒を奢ってる場合じゃねーだろ。

 高級ワインの3杯目を注ごうとしたコーネリアの頭にゲンコツを落とした。

「痛いのじゃ! 何をするのじゃ!」

「今の話聞いてなかったのかよこの馬鹿!」

 くっそ、さすがにこの状況じゃ俺らの酒の分までは金は取れない。

 今日の酒は自腹じゃねーか。

「もう……俺には後がねーんだよっ! 宣伝……宣伝……そうかっ!」

 懐から財布を取り出して、ウォーレンさんは一枚一枚テーブルに銀貨を重ねていく。

 しばらくして、テーブルの上に銀貨が10枚置かれた

「これが俺にできる精一杯の誠意だ」

「誠意? 一体全体どういうことなんだよ?」

 話がおかしな方向に流れ出している。

 湧きたつ……めんどくさそうな予感に俺は溜息をついた。

「この店の常連の中で……金持ちや冒険者を俺に紹介してほしい!」

「残念だが、そいつは聞けない」

「どうしてだ? 紹介するだけで良いんだぜ? 別にお客さんを取って食おうって訳でもないだろ?」

 無言で首を左右に振る俺にウォーレンさんは声を荒げて言葉を続けた。

「いいや、取って食うどころじゃない! 冒険者なんかのお客さんには……この時計は絶対に役に立つはずだ! この店のお客さんにとっても良い話だろうがよ!」

 しばし俺は無言を貫き、声色の若干の悲しみを混ぜた。

「ウチは料理屋であって、時計屋の顧客斡旋業者じゃねーんだよ」

「だからそこを何とかっ!」

「お客さんはみんな平等に取り扱わなきゃいけないんだ。ここの客層はとんでもないことになってて……俺がウォーレンさんにお客さんを紹介しちまうような特別な事をすると、次から次に色んな人から色んな紹介依頼が来て訳が分からねーことになるんだ。貴族の婚姻の媒介やら超高ランク冒険者の斡旋、商会と帝国のコネクションをつないだり……考えただけで面倒に過ぎる」

 俺の言葉でウォーレンさんはワナワナと肩を震わせ始めた。

 そして大ジョッキに残ったウイスキーを一気に飲みほした。

 最後にドンとテーブルに大ジョッキの底を叩きつけた。

「もうアンタには頼まねえよ!」

 そうして、銀貨を2枚テーブルに置いて「釣りは要らねえ」と捨て台詞を吐いて店から出ていった。

「やれやれ、そそっかしい人だな」

 置き忘れられた懐中時計を手に取って、俺は何とも言えない表情で本日最後のお客さんを見送ったのだった。


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