第13話 イフリートの炎剣と生姜焼きとカツカレー ラスト



 深夜12時と少し手前。


「ああ、疲れた……」


 ようやく全ての皿を洗えた俺は息をついた。

 本当にクタクタで体と心の両方が休憩を欲している。

 っていうか、俺は王子として丁重に育てられてきたので……誰かに命じられて働いたことなんてない。

 だからこそ余計に疲れてしまったんだろう。


 結局、店主からの雑用を命じられたのは、俺と魔王とムッキンガムの3人だ。


 ムッキンガムは傭兵時代に調理場にいた事もあるらしく、ナイフの扱いが上手い。

 だから、野菜の皮むきやらの仕込みを手伝わさせらている。

 そして、俺と同じくつい今しがた彼は作業を終えたようだ。


 そんでもって、魔王に至っては店内のありとあらゆる箇所を掃除させられている。

 無論、トイレの掃除もその中には含まれている。




 ――魔王のトイレ掃除。




 非現実的すぎる光景に流石の俺も吹き出しそうになった。

 いや、本当に吹き出したらその場で殺されてたんだろうけれど。

 そして魔王も俺とほぼ同時刻に最後のテーブルを拭き終えたらしい。


「良し、全員作業は終えたな? こっちに来い」


 客席に座って帳簿を付けていた店主がそう言った。


 言われる通りに行くと、店主が座っている隣のテーブルの上には料理の乗った皿が数枚あった。


「カツカレーとローストビーフと生姜焼きだ。ライスは大量に余ってるからおかわり自由だ」


「……これは?」


 俺の問いに店主は大きく頷いた。


「賄いだよ」


「マカナイ?」


「先祖からのウチの習慣でね」


 魔王にはカツカレー。

 ムッキンガムにはローストビーフ。

 そして俺にはカツカレーと生姜焼きとローストビーフ。


 それぞれにスチームライス (白米)とスープがついている。

 

「俺だけ……異常に品目が多くないか?」


「だってお前、朝から何も食ってないんだろ?」


 確かに腹はペコペコだ。


 全員がテーブルに着席する。


「じゃあ、全員……掌をこうやって合わせるんだ。そして、『いただきます』と一言言ってから食べ始めるんだ。賄いで飯を食う時はこうやるのがウチの伝統でな」


「何故なのじゃ?」


「食材と調理した人間に対する感謝の意味だってお袋からは習ったな」


「……ふむ」


 そして手を合わせ、声を合わせて全員で言った。


「いただきます」


 その言葉と同時に全員が動いた。

 魔王は猛烈な速度で、まるで飲み物かのようにカレーを呑みこんでいく。

 ムッキンガムもスチームライスにローストビーフをぶちまけて、タレを豪快に振りかけて煽るように食べている。


 俺もカレーライスを一口スプーンで食べてみる。


「……あ。美味い」


 食べ物を美味いなんて感じたのは初めてだ。


 生姜焼きも食べてみる。


「…………やっぱり美味い」


 昼に食べた時には味なんてわからなかったのに……。


 不思議そうな表情の俺に、店主は笑いながらこう言った。


「お前さんは馬鹿舌っぽいから味付けと香辛料を……追加で相当に盛っておいた」


「なるほど……」


「それにな?」


「……?」


 店主は親指を立たせてウインクと同時に言った。


「働いた後……やりきった! 頑張った! って……そんな感じで思いっきり腹を空かした後の飯は何を食べたって、いつだってどんな時も絶対に……クッソ美味いんだぜ?」


 はは、と笑いながら俺は肩をすくめた。


「ああ、そうかもな」


 そうして、俺もまた、魔王と大英雄にならい、猛烈な速度で飯を食い始めた。


 美味い。

 旨い。

 いや、違う――



 ――産まれて初めて感じる、舌の上で踊る、言葉ではとても表現できない感覚を噛みしめる。


 ただひたすらに飯を口に放り込んでいく。




 挫折と恐怖。

 ニタリと笑った魔王の顔や、あるいはムッキンガムの剣筋を思い出す。


 ――命を失いそうになった。怖かった。泣きそうになった。


 けれど、今……猛烈に飯が美味い。


 ――俺は今……生きている。飯の美味さでそれが実感できる。


 色んな感情が押し寄せてきて、俺の目から涙がこぼれ落ちて来た。

 情けないやら悔しいやら安堵感やら挫折感やら、飯が美味い幸福感やら……何がなんだか分からない感情だ。



 でも、たった一つのリアルがここにある。

 それは――





 ――ただひたすらに飯が美味いと言う事。





 カツを口に入れる。

 カレーのルーと合わさった衣が、サクリと口内で踊った。

 ローストビーフを口に入れると肉汁が溢れ、生姜焼きは甘辛く、そして香り高い。



 スプーンとフォークが止まらない。

 咀嚼と嚥下も止まらない。



 ――本当にただひたすらに飯が美味い。



 全員が無言で料理を貪るように喰らい、10分ほどの時間が過ぎた。

 ほぼ同時に食べ終えた全員が口元をだらしなくほころばせていた。

 何も言わなくても分かる。全員が今、同じ気持ちだ。



 そして全員で掌を合わせる、

 やはり、店主の指示に従って全員でこう言った。



「ご馳走様でした」

 












 ――かつては放蕩王子と呼ばれたキルス国のアベル王子。

 イフリートの炎剣事件の以降、彼は人が変わったように真面目になったと言う。

 


 彼の父である国王が崩御した後、王となった彼は、王国の重鎮の誰よりも早く自らの執務室に入り、そして誰よりも遅く執務室を後にしたと言う。



 そうして、彼が国を治めてしばらくしてから、少しずつ王国内にとある風習が根付いていくことになる。

 

 王族の食卓から貴族の食卓へ、そして庶民の食卓へと伝播していたその風習とは





 ――日本伝統の『いただきます』と『ご馳走様』であった。


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