芳樹の邏卒としての当番が終わるまで時間があるとのことで、一旦解散し、後ほど橋の前で落ち合う約束をした幻と紺は、町を散策していた。もちろん、ただの遊びではなく、商売場所を決めるという目的もきちんとある。

「幻ちゃん、さっきなんで俺のこと小突いたのサ。ひどくないカイ?」

「そうは言っても、君にとっての攻撃なんて痛くも痒くもないだろ。それに、あの場面で欠伸をかくのはいただけないよ。今回は紺が完全に悪いから、俺は謝らない」

 肩を竦め、きっぱりと言い切る幻に、彼は諦めたようにため息をつく。

 幻は見た目によらず、頑固なのだ。一度こうと決めてしまえば、頑として譲らない。まぁ、そんなところも好きなのだが。

「ゴメンネ、幻ちゃん」

 素直な謝罪に、彼は苦笑する。

「いいよ、別に。怒っているわけじゃないし」

「そ。ならヨカッタ。あ、幻ちゃんあそこなんていいんじゃなイ?」

 指を刺された場所に目を向けると、たしかにちょうどいい空間が空いていた。

「いいね。あそこにしよう」

 うんうんと何度もうなずく幻に、紺は満足げにニンマリと笑った。喜んでもらえたようでなによりだ。

 いそいそと商品をその場所に広げていく幻の姿をぼうっと見守っていると、少し離れたところで悲鳴が上がった。

 幻が怪訝に眉を顰め、顔を上げる。紺は、ちらりとそちらに目をやった。

「何かあったみたいダネ」

「うん」

 じっと悲鳴の方向へと目を向け続ける幻に、紺は苦笑し、そちらに足を向ける。

「ちょっと見てくるネ」

「あ、うん…ありがとう」

 ゆっくりと歩いていく紺の後ろ姿に、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。

(紺は俺に甘すぎると思うんだよなぁ…いや、俺がわかりやすいのが悪いのか)

 あとでもう一度お礼を言おうと決めて、幻は開店準備をせっせと進めて行ったのだった。



 幻と別れて、悲鳴の方向へと進んでいくとどこからか女性の声が響いた。

「やめてくださいっ!!離して!!」

 柄の悪い男が茶屋の従業員らしき女性の腕を掴み、引っ張っている。

(わー、かわいソウ)

 げんなりとした顔をして、紺はガシガシと雑に頭をかく。

 と、後ろから騒々しい足音と共に「ひったくりだー!」という悲鳴が響いた。それに、彼は猫のような瞳が細め、にやりと口元に不適な笑みを浮かべた。

「イイネ、これでいこう」

 ふっと少し笑って、なぜか後ろを振り向くことなく、走ったきたひったくりの首根っこを掴みあげそのままそれを女性に乱暴をしていた男に向かって、思いっきり、片腕だけで投げ飛ばした。

 ブン!という、何か重たいものが空を切る音がその場に響く。次に、ドサッ!という鈍い音と「グェッ」という蛙が潰れたような声が聞こえた。

 騒がしかった周辺が一瞬にして静まり返る。

「おー、命中命中。幻ちゃん、褒めてくれるカナ」

 ニンマリと笑って、彼は両手をはたき、埃を払った。

 徐々に、紺をたたえる拍手が巻き起こる。彼は、不思議そうに首をかしげたのだった。



 きちんと商品を並べ終え、一息ついた幻は、帰りの遅い紺を思って首をかしげた。

「紺、何やってるんだろう…まさか、怪我とかしたんじゃ…!」

 彼が様子を見に行ってからかれこれ一刻は経っている。寄り道しているにしても、遅すぎではないか。

 慌てて探しに行こうと立ち上がったところで、声をかけられた。

「綺麗なお兄ちゃん!」

 自分よりも余程下の方から聞こえた声に、彼は不思議に思って目を向ける。

「あ、今朝の。こんにちは」

 今は正直それどころではなかったが、無視するわけにはいかない。

「こんにちは。さっきは飴をありがとう。弟がね、お兄ちゃんとお話ししたいって言ってて。連れてきたの!」

 少女の後ろから、ひょっこりと少年が顔を出した。

 それに、幻は困ったように眉を寄せた。

(うーん、困ったなぁ)

 と、彼は思いついたようにぽんと掌を打った。

「そっか、ありがとう。弟さん、こんにちは」

「こんにちは!」

 元気に返事をする少年に、幻はうなずいてそれに目線を合わせた。

「せっかくきてくれたのに悪いんだけど、俺には今、どうしてもやらなきゃならないことがあるんだ…」

 深刻そうな声音と表情に、二人はごくりと息を呑む。

「実はね、俺の売っているものを狙っている悪い人たちが近くにいるんだ。それを俺は懲らしめなきゃいけない。だから、君たちにも手伝って欲しいんだ。いいかな?」

 声を潜め、口元に人差し指を立てて言う幻に、二人は何度もうなずく。

「ありがとう。じゃあ、ここのお店を二人で見守っていて欲しいんだ。お客さんが来たら、待っていてもらってね。できるかな?」

「「できる!!」」

 元気よく自信満々に言い切ってくれた子供たちに、彼はにっこりと嬉しそうに笑った。

「ありがとう。じゃあ、行ってくるね」

「頑張って!お兄ちゃん」

 少女の声援を背中に受けて、幻は紺が足を向けた方向へと走り出した。

「ま、嘘なんだけどね」

 そっと一言、呟いて。



 事件があったとのことで、呼び出された芳樹はその事件の中心にいた紺の姿を見て目を丸くした。

「さっきの。あれ、卯月さんは一緒じゃないんですか?」

「ンー?あ、さっきの邏卒サン。幻ちゃんは今商売中です。俺は悲鳴が聞こえたもんで、様子を見に来たんですヨ」

 くぁと一つ欠伸をして、彼はのんびりと答える。そして、少し離れた場所を指さした。

「あれ、預けてダイジョウブ?」

 そこには二人の男が、積み重ねられていた。芳樹は面食らいつつもうなずく。

「…あれ、あなたがやったんですか?」

 それに無言でうなずいて、紺は男二人を片腕だけで担ぎ上げる。

「持ってくネ」

「あ、ありがとうございます…」

 平気な顔をして成人男性二人を担ぎ上げてて見せた紺に、彼は再び目を丸くしたのだった。



 走ってきたものの、紺の姿はどこにもなかった。

(どこ行ったんだろう…)

 周囲を見回し、それらしき人物を探す。やはりいなかった。

「あの、すみません」

 ちょうどすぐそばを通り掛かった女性に声をかける。

「背が高くて真っ黒な髪の毛した男を見ませんでしたか?猫みたいな目をしてるんですが…」

 それに、彼女は少し考えた末に思い出したように手を打つ。

「それなら、さっき邏卒のお兄さんと一緒に屯所の方に行くのを見ましたよ」

「ありがとうございます!」

 何をしでかしたのかはわからないが、きっと巻き込まれたのだろう。早くいって、どうにかせねば。

 幻は、はやる気持ちを抑えることなく番所までの道のりを全力で走った。



 屯所で呑気をお茶を啜っているとその扉がすごい音を立てて開かれた。

 思わずびくりと肩を震わせた芳樹と紺は、訝しげにそちらに目を向ける。そこには、息を切らせた幻がいた。

「あ、幻ちゃん」

「紺…」

 どうやら思っていたよりも穏やかな時間を過ごしていたようなので、それに幻はほっと肩を撫で下ろす。

「まったく、全然戻ってこないから心配したよ。屯所なんかに連れられて、何かあったの?」

 息を整えながら言う幻に、芳樹が苦笑する。

「それが…」

 芳樹から紺が何をしたのかを聞き終えて、彼は呆れたように笑う。

「なるほど。まぁ、じゃあ一応は人助けをしてここに連れられたってことでいいんだね」

「ソーダヨ。俺、偉いでしょ」

 ふふんと胸を張る紺に、幻ははいはいと軽く受け流す。

「すみません、面倒をかけて」

 幻が言うと、芳樹は緩く首を振った。

「とんでもない。こっちが助かりましたから。それにしても、すごい力ですよね。用心棒に雇うのもいただける」

「はい。頼りになりますよ」

 笑う幻に、隣に座っている紺も嬉しそうに笑った。


 

 屯所を後にして、店に戻ると先程の姉弟がきちんと店番をしてくれていた。

 少し離れた場所から見えた見知らぬ子供たちに、紺は小首を傾げる。

「誰、あのコたち」

「あぁ、紺のことを探しにいく時店を留守にするわけにもいかないから、店番を頼んだんだよ」

 にっこり笑ってそう言う幻に、彼は微妙な顔つきをした。なるほど、では彼らも被害者か。

「小さい子を騙すなんて、ひどいよね、幻ちゃん」

「人聞き悪いなぁ」

 まぁ、言っていることは正しいので何も言い返せないのが事実ではあるのだが。

 苦笑して、彼は姉弟に近づく。

「ただいま」

「あっ、おかえりなさい!どうだった?成功した?」

「したよー。俺の友達も取り返せた」

 どういう設定なのかを紺は知らないので、黙って笑ってうなずく。

「手伝ってくれてありがとう、助かったよ」

「「どういたしまして!」」

 キャッキャとはしゃぐ子供たちに、幻はにこにこと笑う。紺は肩を竦めて、あ、と呟いた。

「そういえば、さっき綺麗な飴玉を見つけたから買っといたんダ。お礼にあげるヨ」

 首から下げていた小さな茶色い麻袋から、透き通る紅い飴玉と浅葱色の飴玉を取り出して、二人の手のひらに乗せてやる。

 すると、二人は顔を見合わせておかしそうに笑った。

「さっきとおんなじだ!」

 それに紺が首をかしげていると、今度は少女の方があ!と声を上げる。

「綺麗なお兄ちゃんに聞きたいことがあったんだ」

 じっと自分を見上げてくる少女に、幻はん?と首をかしげてしゃがんでやる。

「どうしてさっき、弟がいるってわかったの?」

「ああ…」

 その時のことを思い出して、彼は笑った。

「お嬢ちゃん、あの時風車を2本持ってたでしょ?赤と青。きっと自分よりも年下の兄妹がいて、風車の色的に弟かなって」

 それに、少女は目を丸くする。

「それだけでわかっちゃうなんてすごーい!私、お兄ちゃんみたいにいろんなことに気づける人になりたいな」

 無邪気に笑う少女に、幻は少し照れたように笑った。

 それからしばらく雑談して、満足したのか姉弟は家に帰って行った。

 仲良く手を繋いで帰る二人の背中に、幻と紺は目を細める。

「いいね、姉弟って」

「そうダネ」

 少し間をおいて、幻が一つ柏手を打つ。

「さて、仕事仕事。ちゃんと売らなきゃ、ご飯食べれなくなっちゃうからね」

 肩を竦めていう幻に、紺は笑って頷いた。

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