昼食までの時間にもう一度湊に挑んだが、やはり負けてしまった紺が、不貞腐れてコロンの散歩に行ってしまったので、幻と湊は帰ってくるまでの間二人で昼食を作ることにした。

 天丼を作ろうということになって、幻が天ぷらを揚げていると、ふと思い出したように米を火にかけようとしていた湊の顔を見て声を上げた。

「ん?」

 自分を見て声を上げた幻に、彼は不思議そうに首をかしげる。米が入った土鍋を置いた。

「どうした」

「いえ…俺たちが旅に出てる間、父さんのご飯の面倒見てくれてありがとうございます」

 お礼を言おうと思っていてすっかり忘れていた。それに、湊はおかしそうに笑う。

「ああ、どういたしまして。あいつ自分一人だと飯を適当にしか食わねぇからさ。最初の頃なんて、腹が減ったらネギ一本丸齧りして済ませてたぞ」

「えぇ…」

 予想以上に酷かった義父の食生活に、幻は若干引いてしまった。

「俺もその光景にたまたま出くわしたときはそんな反応したわ」

 おかしそうに笑う湊に、幻はため息をつく。

「俺がいた時はまだマシだったのに…」

「ああ、まぁそうだろうな」

 意味深に微笑む湊に、彼は怪訝に眉を寄せる。

「なんですか、その言い方」

「いやぁ、お前を引き取るってなった時、あいつまず先に何したと思う?」

 さすがにその質問の答えは分からなくて、幻は首を捻る。それにどこか満足げに息をついて、湊が口を開いた。

「家の掃除と料理の練習だよ」

 その言葉に、彼は目を瞬かせる。

「そんなにだめだったんですか?」

「ああ。よく生きてられるなってくらいのダメ加減。寝る部屋は本が雪崩になっててごちゃごちゃだし、よくわからない骨董品が当たるところに転がってた。今でこそそこそこ整頓されてる店の方も、昔はただ本の山が連なってるだけだったんだぞ?料理は言わずもがな、てんでダメでな。表面真っ黒で中身生焼けとかほとんどだった。あいつ、結構めんどくさがり屋だから自分一人だけだったらずっとそのままにしてたと思う」

 炊けた白米を確認して、湊は満足そうに笑った。

「でも、お前を引き取るって決めてからは人が変わったように家のことをやるようになってな。店の本の整理、俺も半分手伝ってやったんだ。道場建てるの、あいつに手伝ってもらった恩もあるし。料理も一から教えてやった。ギリギリまともなもんを作れるようになって、人が二人暮らしても問題なさそうなくらい掃除が済んで、お前を引き取ったんだ」

 言葉を切って、白米を丼に入れていく。

「幻が来てくれたおかげで、卯月はようやく人間らしい生活をするようになったんだが…それが今はちょっと戻りかけてるな」

 呆れたようにため息をついて、白米の上に幻が揚げ終えた天ぷらを盛り付けていく。

「実はな、これはまだお前らに話してなかったと思うが…紺と幻は、同じ場所に置き去りにされてたんだ」

「え!?」

 初めて知る事実に幻は目を丸くして声を上げる。

「でも、紺は俺よりも二つ年上ですよ?」

 それでは少し合点がいかないところがある。

「あ、時期は違うぞ?紺は春に、幻はその大体二年後くらいの冬に見つかったんだ。引き取った最初の頃はお前、うちで紺と一緒に暮らしてたんだぞ。卯月の準備が終わるまで」

「えぇ!?」

 ということは、あの大木の下で声をかける前から自分と紺は知り合っていたということか。

 なんだか複雑な気持ちになって、彼は微妙な面持ちになる。

「あれ、嬉しくない?」

 虚をつかれたような顔をする湊に、幻は唸り声を上げた。

「…微妙です」

「えぇ〜言わないほうがよかったか」

「いえ、それはそれで…」

 苦笑する幻に、彼は軽くため息をつく。

「ま、それは置いとくとして。俺は卯月を人間らしくしてくれたお前に感謝してるよ」

「はぁ…」

 少し照れたように、幻は曖昧にうなずいて顔をそらす。それに、湊は可愛いところもあるんだな、などと呑気に考えた。

「ただいまー」

 間延びした声が玄関から聞こえてくる。

「お邪魔しまーす」

 次におっとりとした声音も続いた。

「あいつらすげぇな」

 ちょうど完成して机の上に置いたばかりの天丼を見下ろして、湊と幻は顔を見合わせ笑った。



 天丼を食べながら、湊が紺にも幻に打ち明けたことを話していった。紺は初めて知る事実に終始驚きの声を上げ続けた。

 終わった後、彼は鹿波をマジマジと見つめる。

「カナちゃん、そんなにダメ人間だったんだね」

「ぐっ…!」

 直球すぎる言葉に、鹿波は苦しそうに顔を歪める。

「幻ちゃんが来なかったらどうするつもりだったノ?まさかずっとその生活続けるつもりダッタ?」

「うぅ…」

 矢継ぎ早に問われる容赦のない質問に、鹿波の心には大きな傷ができかけている。

「ていうか、よくそんな状況で幻ちゃん引き取ろうと思ったネ?」

「ぐぅ…」

 耐えきれずに机に力なく突っ伏してしまった。返す言葉も見当たらない。

 湊はそんな鹿波を面白そうに眺めていた。

「ざまぁみろ。昨日俺のことをいじった罰だ」

 喉の奥で笑う湊の表情はまさに悪人のそれだ。

「オヤジも、カナちゃんのこと甘やかしてたからカナちゃんが脱ダメ人間がなかなかできなかったんじゃないノ?」

 紺が鋭く言うと、湊はその笑いを止めそっと目をそらす。

「…否定はできない」

「どっちも悪いってことデ」

 ため息混じりに食後のお茶を啜る紺に、幻は感心したように何度もうなずく。こういう時、紺が自分よりも年上だということを実感する。だが。

「…でも、紺も結構俺に甘いからね?」

「エ」

 思っても見ない言葉に、紺は目を瞬かせる。

「ソウカナ?」

「そうだよ。俺がして欲しいって言ったことは大抵してくれちゃうし、ていうか、言う前に勝手に気づいてやっちゃうこと多いでしょ。それに甘えている俺もだけど、紺はもう少し俺に厳しくてもいいと思う」

 憤然と言い切る幻に、紺はどうしたら良いのか分からず困ったように眉を寄せる。

(確かに俺が幻ちゃんに甘い自覚はあるケド…)

 何やら眉間に皺を寄せて悩み始めてしまった紺に、幻は言いすぎただろうかと心配になる。

「…まぁ、それで助かってるからいいんだけどね」

 付け加えて言うと、紺はぱっと表情を明るくさせる。

「ならイイヤ」

 本当にいいのだろうか。

 根本的な問題の解決にはなっていない気がしたが、まぁ、いいだろう。

 無理矢理納得して、未だに落ち込んでいる鹿波の肩をぽんぽんと叩いてやった。

「父さんも、今はまだマシになってるんだからあんまり気にしないの」

「…うん」

 幻に慰められたと言う事実により、鹿波の気分が高揚した。意外にも単純である。

「オヤジ、後でもう一回勝負シテ」

 コロンとの散歩がいい気分転換になったようで、紺がいい笑顔で言ってきた。それに、湊は気を取り直してうなずく。

「何回でも相手してやるよ」

「じゃあ、僕もそれを見学しようかな。お店閉めてきちゃったし」

「え」

 のんびりと言った鹿波の言葉に、幻が目を丸くする。まだ昼間なのに。

 そんな息子の反応を無視して、彼はにっこりと微笑みかける。

「幻も一緒に見学しよう?」

「う、うん」

 なんだか有無を言わさない圧を感じたので、素直にうなずくことにする。まぁ、実家の本屋の店主は鹿波なので、幻は本人がいいのならいいと思った。

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