そのまま紺がどこかに家出する、などということにはならずに、二人は肩を並べ家への道のりを歩いていた。

『それにしても、紺くんのお義父さんはそんなに強いの?』

『うん。オヤジはきっと、人の皮を被った鬼なんダ』

 本気でそう思う紺である。

 その言葉におかしそうに笑って、幻はのんびりと言う。

『でもそんな人がお義父さんなら怖いもの無しだね』

『…まぁ、たしかに』

 そうは考えたことがなかったので、紺はこくりとうなずく。そして、ぴたりと動きを止めた。

『どうしたの?』

 突然立ち止まった紺に、幻は不思議そうに聞いた。

『アンタ、頭いいんダナ』

『え?』

 目を瞬かせる幻に、彼は無邪気に笑う。

『俺、あんまりにもオヤジが強いから勝てなくて、嫌ダナくらいにしか思ってなかったンダ』

『へ、へぇ…』

 どう答えればいいのか分からないので、とりあえず相槌を打っておく。

『けど、アンタの言葉でオヤジが強くて良かったって思ったんだ。アリガトウ』

『ふっ…』

 思わずと言ったように笑い始めた幻に、彼は不服そうに眉を寄せる。なぜ笑うのだろう。自分はお礼を言ったのに。

 その表情に、幻は笑いを止めて目尻に溜まった涙を拭う。

『ごめん、笑っちゃって。どういたしまして』

 その時、ぎゃっという何かの叫び声が聞こえた。それに、二人は同時に声が聞こえた方向へと目を向ける。

『なんだろう、今の』

『動物の鳴き声ダ。行ってみよう』

 走り出した紺に、幻もまたその背を追った。


 少し走って行くと、一箇所に子供達が群がっていたのでその中に紺が入って行く。見えたのは一人の少年が木の棒で仔犬を殴っているところだった。周りの子供たちはその少年が怖いのか、手を出さずにいる。

『ヤメロ…!』

 ドンっとその少年を思いっきり突き飛ばす。少年が尻餅をつき、その痛みで泣き始める。

 そんなことは構いもせずに、紺は殴られていた仔犬へと駆け寄った。

『大丈夫カ!?』

 追いついた幻が、同じようにして仔犬に駆け寄る。

『酷い…けど、お腹とかは怪我してないね。足だけだ。すぐに連れて帰って適切な手当てをすれば、すぐに元気になる』

『だったら俺の家に行こう。たくさん手当の道具がアル!』

 二人は顔を見合わせてうなずき、仔犬を抱えて紺の家へと急いだ。


 道場に着いて、紺は一目散に義理の父、みなとの元へと走って行く。

『オヤジ!』

 台所でお茶を飲んでいた湊は、息子の慌てっぷりに目を丸くした。

『な、なんだどうした』

『手当の道具ってどこにアル!?』

 その言葉に、彼は目を丸くする。

『なっ、お前まぁた怪我したのか!?』

 駆け寄って自分の体を触ってくる父親に、紺は面倒そうにその手を払った。

『俺じゃないヨ。仔犬が子供に殴られて怪我しちゃったンダ』

 それに湊は険しい顔をして、紺の頭をぽんと撫でてから棚から薬箱を取り出した。

『ほれ、こん中に全部入ってる。手当てはできるか?』

『幻…くんがいるからダイジョウブ!』

 そう呼びづらそうに言って、彼は来た時と同じように走って行く。

『幻くん…?』

 新しい友達だろうか。不思議に思いつつも、湊もまた紺の跡を追った。



『薬箱持ってキタ!』

 道場の敷地内にある水場で仔犬の傷口を洗っていた幻の元に、紺がどかりと薬箱を置いた。

『ありがとう』

 幻が薬箱を開けて、迷いなくいくつかの手当て道具を取って行く。紺はそれを感心しながら見守る。

(俺なんて怪我した時、いつもオヤジに任せてんのに…スゴイ)

 患部に包帯を巻き終えて、幻は紺を見上げる。

『たぶん、これで大丈夫だと思う。紺くんの家でこの子預かれる?』

『わかんない…けど、オヤジに聞いてミル』

『別にかまわねぇよ。なんならうちで飼うか?その犬』

 後ろから響く湊の声に、紺は目を丸くし振り向く。

『イイノ…?』

『お前がちゃんと世話すんならな』

『スル!』

 勢いよく言い切った息子に、彼は満足げに微笑んだ。

『ならいい。幻くんって誰かと思ったら、卯月んとこのガキか。何気に初めましてか?紺の父親やってます、伊月湊だ。こいつが世話になったな』

 紺の頭に手を置いて、幻の背丈に合わさるようにしゃがみ込んでやる。

『初めまして。卯月幻です』

 きちんと礼をして挨拶してきた幻に、彼は感心したように何度もうなずいた。そしてその頭をわしゃわしゃと撫でる。

『おうおう、さすがあいつの息子だ。無駄に礼儀正しいねぇ。うちとは大違い』

 ちらりと紺を見ると、そっと目を逸らされる。どうやら自覚はあるらしい。

『んで、その仔犬が例の殴られてた奴か?』

『そー!俺が殴った奴突き飛ばして助けたんだ。エライでしょ』

 ふふんと胸を張る紺の頭をよしよしと撫でてやって、仔犬をそっと抱き抱える。

『ふーむ…割と元気そうだし、手当も適切。すぐに元気になるだろ。よかったな』

 仔犬を降ろして、その頭を撫でてやる。

『よし、じゃあこいつ中に入れて幻のこと家に送ってくぞ。そろそろ日暮れちまうしなぁ』

 言われてみて、二人は空を見上げる。たしかに出会ったのが昼過ぎごろだったので、もう夕方になっていてもおかしくはない。

『俺、一人でも帰れますよ』

 見上げてくる幻に、湊は苦笑した。

『子供が遠慮すんな。今日は紺の相手をしてくれたみたいだし、その礼だ。それに…』

 一度言葉を切って、幻の耳に口を寄せる。

『紺もまだお前と一緒にいたそうだからな』

 そう言われて、彼はちらりと紺を見る。じっと見つめてくる黒い瞳は、好奇心に満ち溢れていた。

 それに照れ臭そうに笑って、幻はうなずく。

『じゃあお願いします』

『俺、こいつ中に入れてクル!』

 すぐに仔犬を抱き抱えて中に入って行く。そのほんの数秒後に戻ってきた紺に、二人はおかしそうに笑った。




「…ん!」

 誰かに呼ばれている気がして、深く潜っていた意識が浮上する。チャラリと、自分の右耳にもついている見慣れた耳飾りが揺れて音を立てた。

「紺!」

「ウワァ!」

 ものすごい剣幕に、紺は文字通り飛び起きた。

「な、なぁに幻ちゃん!?」

 少し間の抜けた声に、幻は眉間の皺を深くする。

「紺のバカ!間抜け!脳筋!!」

「エェ!?」

 なぜ寝起きでこんなにも罵倒されなければならないのか。立ち上がろうとして、足に鋭い痛みが走ってそれを諦める。

(そういえば、足怪我してるんダッタ…。そんで、血が止まるまで休んでようってなッテ…)

 幻が怒っている理由がようやくわかって、大人しく叱られることにする。

「スミマセンデシタ」

「許さない」

 その言葉に、彼はうっとうめき声をあげて黙りこくる。こういう時、未だにどうすればいいのか分からないのだ。

「病院行くよ」

「ウゥ…」

 半分引きずられる形で、紺は幻と共に歩き出した。

(最悪ダ…)

 そんなことを思いながら。

 

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