結論から言うと、紺の怪我は頰が軽症、足の方が重症だった。当然だ。結構な時間が経っても血が止まっていなかったのだ。

 医者からはとても不思議そうな顔で。

「なんで痛くないの?」

 と聞かれたくらいだ。いや、もちろん痛みはある。だが、我慢できないくらいではなかった。ただそれだけだ。

 付き添っていた幻からは睨まれてしまった。紺としてはとても居た堪れない。

 適切な処置を受けて、最低でも三日は安静にするようにと言われてしまった。

 病院を出て、宿を探すために街を歩かなければならないので、幻は紺を置いて行ってしまった。

 現在、紺は街の茶屋でお茶を啜りながら大人しく座っている。

「幻ちゃん怒ってたナァ…はぁ…」

 しょんぼりと肩を落として、お茶を啜る。

「ウゥ…いつもより苦い気がする…」

 また一つため息をついて、そういえばと自分の懐を探る。目当てのものを探り当て、それを手のひらに乗せた。

「これ渡す時、もう一回謝ろウ…」

 それは今朝本屋でおまけとしてもらった栞だった。あのまま本の上に乗せたままでは、失くしてしまいそうだったので懐の中に入れておいたのだ。

「どうか許してくれますヨウニ…!」

 栞を握って、紺は祈るように呟く。幻は頑固だ。一度怒ると結構長引く。

「なにやってるの、紺」

 いつのまにか戻ってきていたようで、呆れたような声音で幻が言った。

「幻ちゃん!あの、コレ…」

 眉を寄せて、紺はそっと幻にそれを手渡す。彼は首をかしげながらも受け取った。

「栞…?どうしたの、これ」

「今朝、本を買った時おまけで貰ったンダ。失くさないようにって、持ってたんだケド…」

 徐々に声が小さくなって行く。もしも受け取ってもらえなかったら、泣いてしまいそうだ。

「…はぁ…」

 そんな紺に、幻は肩をすくめてため息をつく。

「ありがとう。大切に使うね」

「あ…ウン!」

(笑ってくれタ!)

 一気に表情が明るくなる。幻は苦笑して、もう一度肩をすくめた。

「さっきは怒鳴ってごめん。もう怒ってないよ」

(あんまりカァ…)

 少し残念に思いながらも、紺はうなずく。

「ううん。俺もゴメン。心配かけた」

「それがわかってるならいいよ。宿、見つかったから行くよ」

 それにうなずいて、二人はゆっくりと歩き出した。



 宿に着いて、紺はなぜ自分が怪我をしたのかを話した。

 話を聞いて、幻は考えるように顎に手を添える。

「なるほど…」

(銃相手じゃ、さすがに紺も丸腰じゃ敵わないよな…。そもそも、なんでそいつは銃を持っていたんだろう。紺の話を聞く限り、裕福な暮らしをしているようには思えないし)

「幻ちゃん、あの後倒れてた女のコと話したりした?」

 首をかしげる紺に、彼は緩く首を振る。

「残念ながら。その時は君のことを探さなきゃって思ってたからね」

「あー…ゴメンナサイ」

 もしも紺に耳が生えていたら、きっとそれは垂れ下がっていただろうななどと考えて、幻は緩く頭を振る。

「大丈夫。その女の子が俺に、住所を教えておいてくれたから」

 人差し指と中指の間に挟んだ一枚の小さな紙を見せられて、紺は目を瞬かせる。

「行ってみようか。あの子の家に」

 にっこりと微笑む幻に、紺は笑ってうなずいた。



 メモに書かれた住所に着くと、二人は結構な豪邸に目を丸くした。まだまだ、和が多い日本で、ここまで洋風なお屋敷は初めてみる。

「スゴイお屋敷だネ」

「うん。御当主の趣味かな?」

 まぁ、娘を女学校に通わせている時点で、裕福な家庭なんだろうとは検討がついていたが、ここまでとは。

 門のすぐ隣に、呼び鈴のようなものがあったのでそれを紺が鳴らした。

 少しして、家の中から一人の年若い男性が出てくる。給仕服を身につけているので、きっとこの家の使用人だろう。

 彼は幻と紺の元までやってきて、丁寧なお辞儀を一つした。

「お嬢様からお話は伺っております。旅人様ですね?」

 それに、幻は目を瞬かせながらうなずく。

「お連れの方も、ご案内いたします。どうぞ中へ」

 門が音を立てて開かれる。二人は、戸惑いながらも中へ入って行ったのだった。



 屋敷内に入り、二人は客間に通された。

 ソファに座らされ、紅茶を出されて例の女学生がくるまで待つように言われている。

「…落ち着かナイ…」

「同じく」

 二人で旅を始めて早二年。こんな経験は初めてだった。

 二人同時にため息をついたところで、扉が開いた。すっと背筋を伸ばす。

「お待たせしてごめんなさい。ようこそおいでくださいました、旅人さんにその用心棒さん」

 にっこりと微笑んで、彼女は彼らの前のソファに腰掛けた。

「突然お邪魔してしまってすみません。すこし聞きたいことがありまして」

 柔らかく微笑む幻に、彼女は首をかしげた。

「なんでしょう?」

「あなたを襲った犯人に、何か心当たりはありますか?」

 ずいぶんと直球な問いかけに、紺は目を丸くする。幻が今のように急に本題に入るのはとても珍しいからだ。

(なんか幻ちゃん、変ダナ…)

 先程までは特に変わった様子はなかったので、安心していたのだが。

 ここでどうしたのなどと聞くことはできないので、彼は幻のことを軽くこづいた。

「幻ちゃん、本題の前にまず名乗らなきゃ。コレじゃ単なる変人ダヨ」

「あっ、そっか。失礼しました。私は卯月幻といいます」

 慌てて頭を下げて名を名乗る幻の次に、菅が同じように頭を下げる。

「伊月紺デス」

「…草野沙羅といいます。先ほどの問いにお答えしますと、私としては全く心当たりがないんです。なにかあったんですか?」

 それを聞くのは当然だろう。普通なら幻はただ自分が倒れているところを介抱してくれた旅人で、その犯人とは無縁のはずだからだ。

 首をかしげる沙羅に、幻は少し迷った末に紺を見る。それに、彼は目を瞬かせた。

(ナンダロ…)

 すぐに視線を沙羅に向けて、幻は口を開く。

「実は、紺もあなたを襲ったのと同一人物と思われる男に、怪我をさせられているんです」

「まぁ…!」

 沙羅が紺を気の毒そうに見つめる。

(ワァ…いいダシにされたナ)

 心の中で乾いた笑い声をあげて、紺はそっとため息をつく。

「私としては相棒を傷つけられ、さらには大切なお客様にも被害が及んでいる。そして、その犯人が同じだということも知っていて何もしない、というのは少しばかり気が引けます。草野さん、犯人を捕まえるのに協力していただくことはできますか?」

 暑い熱のこもった幻の迫真のに、紺は徐々に自分の表情が微妙なものへと変わっていくのに気づいた。が、それを改める気力もない。

 一方で、その幻の心待ちに感動した様子の沙羅が自分の指を組み、瞳を輝かせて何度もうなずいた。

「もちろんですわ。父も私を襲った犯人を捕まえるのに躍起になっていますので、私から卯月さんたちのことをお話ししましょう。小鳥遊!」

 彼女が少し声を張ると、先程の給仕が姿を現した。

「お父様にあとでお話があると伝えておいて」

「かしこまりました」

 深々と腰を折り、彼はすっとその場を去る。

「一緒に犯人を捕まえましょう」

「えぇ!」

 目の前で繰り広げられる茶番ともとれる光景に、紺は今度は隠そうとせずに大きなため息をついた。

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