翌朝。芳樹、幻、紺の三人は例の叔父の屋敷の前を訪れていた。

 昨晩、小夜に人形を叔父に返してもいいかと聞いたら、残念そうにしながらもうなずいてくれた。きっと本当ならずっと持っていたいのだろうが、事情が事情なので我慢をさせてしまった。

 そんな妹の思いを胸に、芳樹は今日この場に凛々しく立っているのだ。

 道場破りさながらの気魄を持ち合わせて立つ芳樹に幻が苦笑する。そして、芳樹が戸を開けた。

「こんにちは。芳樹です。叔父さんいませんかー?」

 声が廊下に響き渡る。

 一拍置いて、軽いゆっくりとした足跡が響いた。

「…なんだ、芳樹か。急にどうした」

 重々しい声音で、おそらく芳樹、小夜の叔父であろう初老の男性がやってきた。

「すみません。叔父さんに紹介したい人がいまして」

 幻が芳樹の後ろから姿を見せる。紺は今回、姿を見せずにおとなしく外で待機だ。もちろん、何か危険があればすぐに駆けつけるが。

「はじめまして、卯月幻といいます。旅をしながら西洋品を売り歩く商人をしています」

 柔らかく微笑む幻に、彼は不思議そうにしながらもうなずく。

「…私は高木正寿まさひさだ。それで、なぜ私に紹介を?」

 ちらりと視線を向けられた芳樹は、一つうなずく。

「ほら、叔父さんは西洋品を物色するのが趣味でしょう。彼の扱う採用品はとても質の良いもので、きっと叔父さんも気にいると思って」 

 それに、正寿はふむ、と呟く。

「なるほど…出会ったのも何かの縁か。拝見しよう。上がれ」

 そう言って背を向けた正寿に、幻と芳樹は顔を見合わせうなずいた。とりあえずここまでは順調だ。

 二人は、正寿の跡を追った。


 屋敷の前で待たされていた紺の元に、一匹の黒猫がやってきた。人に慣れているのか、するりと彼の足に尻尾を巻きつける。

「おー、人懐っこいネ」

 嬉しそうに笑って、紺はしゃがみ込み猫の頭を撫でてやる。猫の喉がゴロゴロと鳴った。

「お前、ここの家のネコ?」

「にゃーん」

 返事をするように、黒猫は鳴いた。猫の言葉はわからないが、きっとこの家の猫なのだろう。

「幻ちゃんたち、うまくいくと良いネェ」

 のんびりと言う紺に、黒猫は再びにゃーんと鳴いた。


 一通り幻の取り扱っている商品を正寿に見せ終えて、芳樹が改まった面持ちで居住まいを正す。

 芳樹が西洋風の細工が施された箱を、そっと机の上においた。これは、正寿が小夜に人形を贈ったときの箱だ。中身は当然、例の人形が入っている。

「叔父さん、申し訳ないんですが、せっかく小夜にやったあの人形、お返ししてもよろしいでしょうか」

 それに、彼は眉間にシワを寄せる。

「なぜだ。小夜は気に入らなかったか?」

 その言葉に、芳樹が慌てて首を振る。

「そんなことはありません!むしろ、とても気に入っていました」

「なら、どうして…」

 事情を話すか話さないか。ここで事情を話せば、きっと正寿は自分が贈ったものが禍を招いたと後悔するだろう。ぐっと唇を噛んで、芳樹はじっと正寿を見つめる。

「すみません、事情は話すことはできないのですがどうしてもお返ししたいのです。お願いします、受け取ってもらえませんか?」

 甥の様子から、きっと只事ではない事情があることが計り知れる。

 少し悩んだ末、正寿は箱に手をかけ、自分の方へと移動させる。

「良いだろう。言えない事情があるのなら、それを無理に聞くことはない。これは預かっておく。小夜が体調の良い日にでも、我が家に遊びに来い。人形を見せてやる」

 厳格な表情とは裏腹な優しい言葉に、芳樹はそっと頭を下げた。

「ありがとうございます…!」

「ふん」

 そんな二人のやりとりに、幻はほっと息をつく。うまく行ってよかった。

 その時。目線を何かが掠め取る。次に壁に何かが突き刺さる音がした。

 見てみると、弓矢が一本刺さっている。

「伏せて!」

 瞬時に状況を理解し、幻が自分も体勢を低くしながら、二人の頭を躊躇なく机に押し付けた。二人からうめき声が上がったが、今はそんなこと構っている余裕はない。

 弓矢は開け晒しになっていた窓から、次々と室内に放たれてくる。流石にそろそろ当たってしまうという時に、金属音がその場に響いた。

 ちらりと幻がそちらに目を向けると、薙刀を持った紺がいた。

 彼は次々に降ってくる弓矢を全て叩き落とし、最後の一歩と思しきものを素手で掴んで逆に投げ返した。

「うーん、当たったカナ?」 

 少ししても特に何も音や声はしないので、当たらなかった可能性が高い。

「ザンネン」

 さほど気にしてなさそうに言って、振り返る。

「大丈夫?ミンナ」

 それに、三人はこくりとうなずいた。

「…今のはどういうことだ」 

 幾分か落ち着きを取り戻した様子の正寿が、芳樹に聞く。彼は、諦めたように肩を落とした。

「実は…」

 事情を話し始めた時、紺が待ったをかけた。

「まだ近くにイル」

 険しい表情に、再び空気がピリついた。庭の茂みの中から、三人の黒づくめの者達が姿を現した。

 三人のうち二人は紺に襲いかかり、一人は正寿の元にある人形の入った箱に手をかけた。それを見て幻が懐からナイフを取り出し、躊躇なくそれをその手の甲に突き刺した。

「ぐっ…!」

「え?」

 うめき声を聞いて、幻は耳を疑った。くぐもってはいるが、今のは女の声だった。改めて意識してみると、確かにその体つきは他の黒づくめ二人よりも小柄で華奢に見える。

 だが、今はそんなことを考えている場合ではない。今度は少し躊躇いつつも、ナイフを引き抜いた。血が一気に流れる。紺が二人の相手をしながら、幻に言った。

「幻ちゃん、それ貸しテ!」

 それに幻は勢いよくナイフを紺の方へと投げる。ナイフはクルクルと回転しながら、まるで吸い込まれるように紺の手に収まった。

 彼はナイフを右手に持ち、体の前に置き左手を自分の背中に隠した。いわゆる真半身といわれる構えだ。

「じゃ、遠慮なく。武器持って襲ってきたってことは、殺されても文句ないヨネ?」

 ニンマリと口元に弧を描く紺に、黒づくめ二人は一瞬息を詰まらせ、再び紺に向かっていった。

 紺は二人の攻撃を交わしながら足を払い、均衡を崩しかけたところで一人の手から武器を奪った。小刀だったので、それを左手で持ってもう一人武器を所持している方の応戦をする。そして、その武器もあっという間に弾き飛ばして、彼は二人の首に小刀とナイフを当てた。

「動いたら殺ス」

 低い声音に、それが本気だと言うことが窺える。勝負はついた。

 少しして一切動かず戦意を喪失したことを確認して、紺が両手を下ろした。

「終わっター」

 ふぅと一息ついて、紺は幻にきちんと柄の方を向けてナイフを返した。

「ありがとう」

「うん」

 ナイフに付着したままの血を見て、幻ははっとする。勢いよく黒づくめの女がいたはずの場所を見るも、すでにその姿はなかった。

「しまった…ごめん、一人逃した」

 申し訳なさそうに言う幻に、紺は肩を竦める。

「全然。仕方ないでしょ、今回ハ」

 少し煮えきれない気持ちがあるものの、幻はうなずく。

「さて…」

 ちらりと、芳樹とめくばせをする。覚悟を決めたように、彼はうなずいた。

「叔父さん。先程は話せませんでしたが、人形を返す事情、お話しします」

 甥の言葉に、正寿は重々しくうなずいた。

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