夜。無事に美夜から許可を得て、夕飯を食べ終わった幻と紺は、用意された部屋でのんびりと時を過ごしていた。

「あの人形、何かあるノ?」

 紺が寝転がりながら聞いた。幻が一つ瞬きする。

「うん、まぁ」

 一拍置いて、彼は軽く目線を上にする。

「…あの人形、随分と高価なものなんだよね」

「ヘェ?」

 紺は幻の言わんとしていることがわからず、首をかしげた。

「それをただであげる、っていうのは、少し変だなって」

 緩やかに、幻の口元が弧を描く。

「いくら可愛がっている姪っ子でも、10代半ばの女の子にあげるものではないなー、って思うんだ?」

「なるほど。何か裏があるってワケ?」

「かもしれない、ってだけ。もしそうだったら…」

「面白いなッテ?」

 それに、彼は無言でうなずく。

「ほんと、幻ちゃん性格悪いヨネ」

 肩を竦め、笑う紺に幻はにっこり笑う。

「そんな俺でも紺は好きなんでしょ?」

「ソーダケド」

 ため息混じりに、紺が肯定する。幻が満足げに微笑んだ。

「さて、そろそろ寝ようか」

 それを合図に、紺が近くにあった灯りを消す。うっすらと漏れる月明かりを残した部屋で、二人は健やかな寝息を立てるのだった。

 


 夜中。突然増えた人の気配に、紺が目を覚ました。目を閉じて、じっと息を諫める。そして、そっと隣で眠る幻の肩を揺らした。

「ん…?」

 軽い振動に、幻が少し不満げに目を薄く開ける。

「…なに?」

 幻は普段、とても穏やかで温厚な性格をしているが、寝起きはあまり良くないので機嫌を損ねないように、できるだけ柔らかい声音で紺は言う。

「誰か入ってきたみたい。たぶん、あんまり良くない人タチ」

 それに、幻は一つ欠伸をこぼしてから、軽く自分の頰を叩いた。ぺちん、と情けない音が鳴る。

「…じゃあ、ちょっと行ってこようか」

 彼の言葉に、紺はうなずいた。



 小夜は物音により目を覚ました。暗闇の中、頼りになる明かりは月のみだ。

 彼女は起き上がり、物音がした方向へとじっと目を凝らす。

 徐々に物音の正体が浮かび上がってくる。それは、黒い装束を着た大柄な男だった。思わず小夜は悲鳴をあげかける。

 ドクンドクンと、心臓が早鐘を打つ。ひゅっ、と息が詰まった。

「ゲホッゲホッ…!」

 小夜は肺を患っている。過度な緊張や環境の変化があると、すぐに体調を崩してしまうのだ。

 当然、それまで彼女に背を向けていた男が振り向き、ギラリと獣のような瞳で小夜を捉えた。

「ひっ…!」

 息苦しさと恐怖に、彼女は小さな体を振るわせる。

 ゆっくりと、男が小夜に近づいていく。男の手が目の前できたところで、彼女は意識を手放した。



「紺、入ってきた人数は?」

 幻の問いかけに、彼はスッと目を閉じる。そして、開いた。

「一人、だとオモウ」

「うーん…」

 廊下をなるべく足跡を立てぬように走りながら、幻は首をかしげる。

「目的は、人形かな…」

「窃盗ってコト?」

 うなずいて、幻は不意に立ち上がる。彼の目線の先には庭があった。

「あそこ、足跡がある。続いてるのは、小夜さんの部屋だ」

「あってるかもネ、その予想」

「急ごう」

 再び走り出そうとしたところで、目の前に人が躍り出た。

「っ…!」

 月明かりに照らされて、黒装束を着た大柄な男が、肩に小夜を担いでいるが浮かび上がる。

 瞬時に紺が男の足に自分の足を引っ掛ける。均衡を崩した隙に、幻が小夜を奪おうと腕を伸ばした。が、男は踏ん張りその腕を払い除ける。

「幻ちゃん、下がってて」

 低い声で言う紺に、幻は言われた通りにうなずいて下がる。

「邪魔だてするか」

「そりゃ、か弱い女の子を攫おうとしてるのを見過ごすわけにはいかないヨネ」

 その返答に、男が後ろ腰から小刀を引き抜いた。紺が身を低くして構える。

 男が紺に斬りかかる。彼はその手首を掴み、男の背中に腕を捻り上げた。その拍子に、小夜が男の肩から雪崩れ落ちてきたので、幻が受け止める。そのまま刀を奪い、遠くに投げ捨てた。そして、足払いをかけたら頭を床に押し付ける。

「勝負有り、ってネ?」

 ぐっと息をつめる男に、紺はへらりと笑った。

 次に、ドタドタと騒がしい足音が響いてきた。

 芳樹が慌てた様子でやってきて、その惨状に顔色を真っ青にする。

「な、何があったんですか…!?」

 驚いて当然だろう。紺が、幻に目配せをする。あいにくと、紺は何かを説明するのが苦手なのだ。

「私が説明しましょう」

 肩を竦めて、幻が微笑んだ。



 男を駆けつけた邏卒に引き渡し、居間で事情を全て話し終えた幻は、ほぅと息をつく。一方で、話を聞いた芳樹と美夜は文字通り顔面蒼白である。ちなみに、小夜はまだ目を覚ましていないので隣の部屋で寝かせている。

「…なぜ、小夜を…」

 乾いた唇で、美夜がようやくつぶやく。それに、幻は考えるように目を伏せた。

「そうですね…私の予想では、あの男は小夜さんの持っている人形を盗みにきたんでしょう。ですが、探している途中で小夜さんが目を覚まして、焦って誘拐しようとした、そんなところですかね」

 なるほど、確かにそれならば筋は通っている。しかし。

「どうして、人形を?」

 今度は芳樹が聞いた。

「あの人形は、夕方見させていただいただけでもわかるくらい、高価なものです。おそらく、どこからか人形の情報を聞き入れ、質屋に入れるために盗みに入ったんでしょうね」

「じゃあ…もしもさらに情報が漏れ出したら、また今回のようなこともあると?」

 恐る恐ると言った様子で、芳樹がいう。それに、幻は無情にもうなずいた。

「その可能性は高いです。解決するには、情報元をたたなければ」

 その言葉に、二人は息をつめる。今回は運良く腕の立つ紺がいたから対処できたものの、次からはそうはいかない。芳樹も邏卒であるため多少の体術の心得はあるが、今回のようなことがそう頻繁に起こるとなると厳しいものがある。

 黙りかかってしまった二人に、幻は柔らかく微笑んだ。

「私に、考えがあるんです」

 その何処か不思議な微笑みに、彼らは顔を見合わせた。

「考えって?」

 美夜が怪訝そうに聞く。

「はい。三つあるのですが、一番簡単な解決法は、やはり原因である人形を叔父様の元へ返すことです。それが無理でしたら、人形を夜外へ出しておくか、いっそどこかへ売りにいくかです」

 それに、芳樹が考えるように顎に手を添える。

「そうですね…その中でしたら、叔父に人形を返しにいくのが一番いいかもしれません。人からもらったものをわざわざ他人に奪わせたり、売りつけるのは気がひけるので」

 予想していた答えに、彼はうなずく。

「でしたら、早速明日返しに行ってはどうでしょう。一宿一飯の恩もありますし、私もご一緒させてください」

「ありがとうございます。恥ずかしながら、叔父は厳格な人で、会うのに少し不安があるので助かります」

 それにうなずいて、少し後ろにあぐらをかいて座っていた紺を振り返る。

「紺も、それで大丈夫?」

「うん、幻ちゃんがいいなら俺はなんでもいいヨ」

 そう、と軽く流してうなずいた幻に、美夜が不思議そうに首をかしげる。

「お二人はずいぶん仲がよろしいんですね」

 二人はその言葉に目を瞬かせる。

「…まぁ、幼馴染ですから」

「ネ」

 顔を見合わせる二人に、芳樹と美夜がおかしそうに笑った。

 仲がいいのはいいことだが、それが過ぎていては少しばかり笑いが込み上げてくる。

 親子が笑っているのに、幻と紺は不思議そうに首をかしげた。

 そんな時、隣の部屋とを隔てていた襖がそっと開けられた。小夜がまだ青白い顔色をして襖を開けたのだ。それに、芳樹がそっと寄り添う。

「大丈夫か?」

「うん…兄さんたちも怪我はない?」

「ああ、伊月さんのおかげで全員無傷だよ」

 それに、彼女は安心したようにほっと息をついた。そして、紺に微笑む。

「ありがとうございました、伊月さん」

「ドウイタシマシテ」

 笑い返して、紺はくありとあくびを一つする。そんな紺を一目見てから、幻が小夜に向かって困ったように微笑んだ。

「小夜さん、大事な話があるんです。2度目の睡眠に入る前に、聞いていただけますか?」

「はい」

 快く応じてくれた小夜に、幻は先程決まったことをゆっくりと話し始めるのだった。

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