③
そろそろ夕日が沈むといった時間帯に、幻と紺は店を畳んで芳樹との集合場所へと向かった。
橋に着くと、川の水が沈みかけている夕日の光を反射してキラキラと輝いていた。それを見て、紺が目を細める。
「幻ちゃん、今回は何するツモリ?」
「んー?」
幻がふわりと、何を考えているのかわからない不思議な笑みを浮かべる。
「ま、別に何をしても良いんだケドネ。俺は幻ちゃんに着いて行くだけだカラ」
頭の後ろで手を組んで、彼はへらりと笑って振り返った。
「うん、ありがとう」
綺麗な笑顔で、幻は言う。
「すみません、少し遅れました」
後ろから芳樹が少し慌てた様子でやってきた。それに、幻は先程の雰囲気を一瞬で変えて元に戻す。
「大丈夫ですよ。お疲れ様です」
「ありがとうございます。そちらもお疲れ様でした。お客さん、たくさんきましたか?」
「結構来てたヨネ。やっぱり女の人が多かった」
紺が答えて、幻は苦笑する。
「まぁ、ああいう小物を好んで買うのは女性が多くなるからね」
「へぇ…やっぱりそうなんですか」
ふむふむとうなずく芳樹にうなずいて、幻は笑う。
「では、案内おねがいします」
「はい、お任せください」
出会った時のようにキリリと表情を引き締めた芳樹に、二人はおかしそうに笑った。
芳樹の自宅は、至って普通だった。特段変わったところはなく、静かだ。
玄関を開けて芳樹が声を張る。
「ただいま」
「「お邪魔します」」
続いて挨拶をしながら幻と紺も家の中に入る。
「おかえり。あら、お客さん?」
母親らしき女性が二人を見て首をかしげる。それに芳樹がうなずいた。幻が人当たりの良い笑みを浮かべる。
「はじめまして。卯月幻といいます。旅をしながら西洋の商品を売り歩く商人をしています。こっちは用心棒の伊月紺」
紺がぺこりと軽く頭を下げる。それに、女性は軽く会釈を返した。
「私は芳樹の母、美夜と申します」
幻もそれに軽く頭を下げたところで、芳樹が口を開いた。
「今日、たまたま縁があって卯月さんに小夜のことを話したんだ。そしたら、話をしたいって言われて。あいつの気晴らしにもなるだろうから、いいかなって、連れてきたんだ」
息子の説明に、彼女は一つうなずく。
「そうですか。では、小夜の部屋に案内して差し上げなさい。私は夕飯の支度をします」
最後に軽く会釈をしてから、美夜はその場を後にした。
「では、案内しますね」
芳樹の言葉に、二人はうなずいた。
「小夜、入るよ」
襖の前で部屋の主に一言声をかけて、芳樹はそっとそれを開けた。
「兄さん、おかえりなさい」
「ただいま。今日はお客さんを連れてきたんだ」
ちらりと後ろの二人に目を配って、入ってくるように促す。
察した幻が紺の腕を掴んで部屋の中に入った。
「こんにちは」
柔らかく微笑む幻に、小夜は少しだけ頬を染めて俯いた。
「こんにちは…」
それを、紺がつまらなそうに眺める。
「私は西洋の輸入品を取り扱っている商人をしているんです。旅をしながら。それで、あなたも西洋品に興味があるとお兄さんから聞いたので、会ってみたいなって思って」
彼の言葉に、小夜は目を瞬かせる。
「旅人さん…?」
その呟きにうなずいて、幻は楽しそうに目を細めた。
「旅の話、聞きたいですか?」
彼女はそれにぱっと表情を明るくさせて、大きくうなずいた。
「はい!お願いします」
(うーん、幻ちゃんはホント、人の心掴むの上手いよなぁ)
こっそりと苦笑して、紺は幻の隣に腰を下ろした。
「あれは私たちが町の境界を跨ごうとした時でした。二人で買い食いした饅頭を食べていたら、そこに見知らぬおばあさんが声をかけてきたんです」
始まった旅の話に、小夜はじっと耳を傾ける。芳樹も興味があるようで、静かに座って聞いていた。
「彼女は言いました。この先の町には恐ろしい大蛇がいて、変わりゆく現代に恨みを持っている。大蛇はお前のような異国の血を引いた人間を特に嫌い、大きな口で一気に食べてしまうんだ、と」
その姿を想像したのか、小夜が怯えたように身をすくませる。
「私はその話を半信半疑で聞き流しました。今思えば、あの時の話を信じていればあんなことにはならなかったかもしれません…」
悲しそうに目を伏せる幻に、小夜と芳樹がごくりと生唾を呑んだ。
「まさか…本当に?」
芳樹の問いかけに、彼は無言でうなずく。
二人の顔色から一気に血の気が引いた。
「私たちがその町に足を踏み入れた途端、何の前触れもなく地面が揺れました。最初は単なる地震かと思ったのですが、違ったのです。その揺れは時間が経つにつれ治るどころか、徐々に大きくなってきました。そしてついに、私たちの目の前に恐ろしい大蛇が…!」
恐ろしげに兄妹がお互いに身を寄せ合う。
「私たちは逃げましたが、すぐに追いつかれてしまいました。紺は無事でしたが私は…残念ながら、腕を奪われてしまったんです。この腕は義手なんです」
左肩をそっと押さえる幻に、二人は気の毒そうな顔をする。
「あまり気分の良いものではないかもしれませんが、ご覧になりますか?」
その問いかけに、二人は顔を見合わせ少し迷った末に小さくうなずいた。
幻が軽く服をどかし、左肩を二人に向ける。
二人が慎重にゆっくりと覗き込んでみると、そこにはなんの変哲もない人間の肩があったのだ。それに、彼らは目を瞬かせる。
本物をみたことがあるわけではないが、義手にしては、ずいぶん綺麗な肌をしている。
不思議に思っていると、幻と目が合った。
「ま、嘘なんだけどね」
にっこりと楽しそうに笑って、彼は言う。
二人は目を瞬かせ、少しの間ぽかんと口を開ける。やがて、小夜が堪え切れなかった様子で吹き出した。
「ふふっ、面白い人…!」
その後も笑い続ける妹に、芳樹もつられて口元に笑みを広げる。そして、首をかしげた。
「どうして、そんな嘘を…?」
それに、今度は幻が目を瞬かせた。
「…そうですね。一言でいえば、趣味です」
思わず紺が吹き出す。それを言ってしまうのか、この状況で。
そんな相方を軽く睨みながら、幻は肩をすくめる。
「私は人に嘘をついて笑わせるのが好きなんです。タチの悪い嘘はそうそうつかないので、安心してください」
まぁ、たしかに今の彼の嘘によって自分たちは笑っていたが。
「なるほど…?」
納得したようで納得できないような。そんな微妙な気持ちで、芳樹は呟く。
「ふふ…ともかく、これで小夜さんの緊張はほぐれましたね?」
言われて、小夜がはっとする。
「…はい」
うなずいて、彼女は感心したように息をそっと吐いた。
「小夜さん、よければなんですけど叔父様からもらったと言う人形を見せてもらってもいいですか?同じ西洋品を扱う者として、興味があるんです」
「いいですよ。少し待ってください」
快く返事をして、彼女は立ち上がる。
少し離れた場所にある文机の引き出しから、中位の大きさのドレスを着た人形が姿を現した。
目は丸く緑色で肌は真っ白。よく手入れされているようで、金のブロンドヘアは部屋の明かりを受けてキラキラと輝いている。
小夜はそれをそっと腕に抱き抱えて、幻に渡した。
彼は人形をじっと見つめ、ゆっくりと一周まわして観察する。
「よくできていますね。小夜さんが気にいるのもわかります」
言いながら人形を返してくる幻に、彼女は嬉しそうに笑った。
「はい。叔父様にはとても良くしていただいて…これも、ただでもらってしまったんです。少ないですがお小遣いを払うと言っても取り合ってくれなくて」
少し困ったように微笑む小夜に、幻は目を細める。
「きっと小夜さんがとても可愛いんでしょうね。大切になさってください」
「もちろんです」
笑ってから、小夜が何かを思いついたように手のひらを合わせる。
「そうだわ。お二人とも、宿は決まっていますか?」
幻と紺を交互に見やる小夜に、彼らは緩く首を振る。
「でしたら、どうかうちに泊まって行ってください」
にこにこと笑って言う小夜に、二人は目を瞬かせる。そして、幻がちらりと芳樹を見た。
「私たちとしては嬉しいですが…お邪魔では?」
芳樹が苦笑して、肩を竦める。
「構いませんよ。母に言ってきましょう」
「決まりですね!」
こうして、二人は高木家に泊まることになった。
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