⑥
事情を全て話し終え、芳樹と正寿の間には重い沈黙が降り注いでいた。
やがて、正寿がすっと頭を下げる。
「…すまなかった。私が深く考えずにあの人形を小夜にやってしまったばかりに」
それに、芳樹が慌てて膝立ちをして、その肩を掴んだ。
「謝らないでください!俺が最初、あなたに事情を話さなかったのは訳を知ればきっと、罪悪感を感じさせてしまうと思ったからなんです!」
「これがどうして謝らずにいられると思うか。芳樹、考えてもみろ。お前が私と同じ立場であれば、お前は謝罪するだろう。それと同じだ」
厳かに、芳樹の肩の手を掴んで言った。正寿は、甥の目をじっと見据える。
「あの人形は私が責任持って保管、もしくは処理する。あれは災いを呼ぶものだったのだろう。ほんの出来心で買う代物ではなかったのだ。そうだろう、商人さん」
話を振られた幻は、少し困ったように笑ってうなずいた。それに、隣に座っていた紺が目を瞬かせる。
(一昨日の夜、確かに幻ちゃんはあの人形が高価なもの、とは言ってたけど…そんなスゴイものだったんダ)
内心で感心して、紺はことの成り行きを見守る。
「あの人形、新しいように見えるかも知れませんが、大分古い年代に作られたものかと思われます。職人の腕が良かったのでしょう、細部まで精巧に作られていて、転売でもすれば5円はくだらないかと」
彼の言葉に、二人は目を丸くした。まさかそこまでとは。そんなものを歳はもいかない少女持っているとなると、それは先程のような事件にもなるだろう。
「やはり、あれは私が厳重に保管する。先程の連中のようなものたちに対抗できるよう、警備も雇おう」
固い意志を込めた正寿の瞳に、芳樹はうなずいた。
「わかりました。俺も邏卒として、尽力します」
二人の会話を見届けて、幻がこっそりと紺に話しかけた。
『紺』
それに、彼は幻に耳を傾ける。そして、楽しい内緒話に紺は口元に笑みを浮かべるのだった。
その人の夜、もう一晩どうか泊まっていってくれと言う高木一家の好意を断り、紺と幻は街を歩いていた。
「幻ちゃん、俺思ったんだケド」
不意に、紺が話し始めたので、幻は黙って続きを待った。
「あの人形、幻ちゃんが商品として持ち帰れば良かったんじゃないカナ?そうすれば、これからやることもやらずに済むシ。普通に一件落着にならナイ?」
ま、俺としては愉しいからいいケド。と最後に付け加えた相棒に、彼は一つうなずく。
「まぁ、確かにそうなんだけどね。でも、あれはきっと家族の問題だし、正寿さんはあの人形を自分でどうにかするって決めていたから。俺が口を出すべきではないかなって」
それに、と、にっこりと微笑む。
「悪事を働く奴らを懲らしめる、いい機会になるしね?」
「なるホド?」
二人は、ある木造の蔵の前で立ち止まる。
「じゃあ、頑張ってね。用心棒さん」
不思議な魅力のある笑みを讃えて、幻は言う。紺は、ニンマリと笑って蔵の戸を開けた。
ギィと、鈍い音がした。その音に、蔵の中にいた数人の黒づくめの者たちが振り返る。
「何者だ」
低く警戒した声音に、紺はのんびりと返す。
「コンバンハ。あんたらを、始末しに来まシター」
その言葉に、彼らは身構える。軽く金属音もしたので、何人かは武器を持っている者もいるのだろう。
紺もまた、背中に背負っていた鉄製の両端に
双方に緊張が走る中、一人の黒づくめが前に出てきた。
ぴくりと紺がそれに反応し、棒を握る手に力を込める。
「こんばんは」
女の声だった。そういえば、幻が手を刺した黒づくめは女だったと言っていたような気がする。はたして、今自分に話しかけてきた黒づくめと同一人物だろうか。
ちらりと女の両手に目を向ける。左手を布で巻いていたので、幻が刺した張本人で間違いなさそうだ。
「もうバレているでしょうけれど、私、昼間貴方達を襲ったの」
顔まで黒く薄い顔で隠されているため、女が今どんな表情で話しているのかはわからない。
「だろうネ。その傷、俺の相棒がつけたものでショ?」
紺は警戒を解かずに、そう聞いた。それに、女はくすくすとおかしそうに笑う。
「そう。あの子、少しも躊躇わずに私の手を刺したわ。見かけによらず、やんちゃなのね」
(なんか…腹立つなァ…)
よくわからない不思議な苛立ちを感じて、彼はふっと息をつく。今ここで苛立っていては、今後に支障が出るかも知れない。
「…それで、本題なのだけど。どうして貴方はこの場所がわかったの?」
なるほど。わざわざ話しかけてきたのはそれが知りたかったからか。
目をすがめて、紺はふっと笑った。
「教えない、って言ったらドウスル?」
「力づくでと、答えるわ」
それに、彼は黒い瞳をきらりと輝かせた。
「じゃあ、オシエナイ」
それを合図に、女は後ろに下り他の黒づくめたちが一斉に襲いかかってきた。それを、紺は次々にいとも容易く薙ぎ倒していく。
(あの女だけ襲ってこないナ…逃げたか)
やがて最後の一人を薙ぎ払って、全員が動かないことを確かめてから、目を閉じ、人の気配を探る。
やはり、自分以外には見つけられなかった。
「あーあ、ヤっちゃった」
棒を肩に置いて、紺は一人、呟いたのだった。
紺が頑張っているのと同時刻に、幻は蔵の外で黒づくめたちのうめき声を聞きながらのんびりと月を見上げていた。
ふと、その足元に黒猫がやってきて彼の足元に擦り寄ってくる。
「ふふ、随分人馴れしてるね。飼い主がいるのかな」
それに笑って頭を撫でてやると喉を鳴らすので、少し心配になってくる。
「お前、警戒心ないなぁ。危ないよ?」
困ったように笑う幻を見上げて、黒猫は首を傾げたようだった。
そして、くありと小さなあくびを一つこぼす。それを見て、幻はおかしそうに笑った。
「紺にそっくり」
そんな幻を不思議そうに見上げていた黒猫が、ぴくりと耳を動かして後ろに早歩きで行ってしまう。
「飼い主かな?」
黒猫が向かった方へ目を向けてみると、建物の影から一人の女性が姿を見せた。
「ネロ、そろそろ行きましょう」
しゃがみ込んで、寄ってきた黒猫をそっと腕に抱きかかえる。
その様を、幻はじっと見つめる。黒地に百合模様の小袖姿。そこまでは、一般的な女性だ。だが、容姿が少し変わっていた。夜闇の中で目立つ、少しの月明かりを受けて輝く癖の強い金の髪。黒猫を見つめる瞳は碧い。幻と同じく、異国の血を引いているようだ。
視線に気づいたのか、女性と目があった。
彼女は一瞬、驚いたように目を丸くして、次にすっと目を細める。
「…こんばんは。この子の相手をしてくださったんですか?」
その問いかけに、彼は一度考えてからうなずく。相手をしていたことに変わりはない。
「えぇ、まぁ。可愛らしい子ですね」
「ありがとうございます」
にっこりと、彼女は美しく笑う。
黒猫の背を撫でる左手に、布が巻かれていることに気づいて、幻がそこに目を止める。
「手、怪我してるんですか?」
「ええ。この子がいたずらしまして…大したことはないので、ご心配なく」
そう言って、彼女は左手を隠すように下げる。そして、軽く体を前に傾けた。
「では、私は家がすぐそこなので…失礼します」
「お気をつけて」
軽く会釈をして、女性は背を向けて立ち去っていく。それを見送っていると、どこかやりきれない顔をした紺が倉から出てきた。
「あ、お疲れ様。ちゃんと全員縛った?」
「うん。それは大丈夫…なんだケド」
歯切れの悪い相棒に、彼は続きを促すように首をかしげる。
「一人、逃しちゃったんだヨネ。幻ちゃんが昼間、手を刺した女」
それにうなずきかけて、幻ははっとする。
先程の女性は、左手に怪我を負っていなかったか。それに、普通夜に人気のない蔵の近くに女性一人でいるのはおかしい。だとしたら、目があった時のあの反応にもうなずける。
「あれは嘘か…!」
ぐっと唇を噛んで、紺を見上げる。
「その女、まだすぐ近くにいる。さっきまで俺と話してたんだ」
「エ!?」
ばっと音がつく勢いで周囲を見渡す紺に、幻は女が消えた方向を指さした。
「真っ直ぐ歩いて行った…追うよ!」
二人で走り出し、紺が先に行く。だが、結構な距離を走っていても、それらしき人物は見つからなかった。
息を切らして少し遅れてきた幻が、膝に手をつきながら大きなため息をついた。それが息を整えるためのため息なのか、それとも自分の失態に関してなのかと言われると、十中八九後者だ。
「やられた…まさか俺が嘘をつかれるとはね」
皮肉なものだ。普段嘘をつく側の自分が、逆に嘘をつかれることになるとは。
「ふっ…ふふふっ」
突然笑い出した幻に、紺は目を丸くする。
「ど、どうしたの幻ちゃん」
「いや…」
目尻に溜まった涙を拭ってから、彼はいたずらを思いついた子供のように、笑った。
「決めた。同じ嘘つきとして、このまま騙されたままじゃ後味が悪くて仕方ない。あの
彼の言葉に、紺は呆れたように、けれどもとても楽しそうに笑う。
「幻ちゃん、意外と負けず嫌いだヨネ」
それに、幻は意地の悪い笑みを浮かべた。
「嫌いじゃないでしょ?付き合ってくれるよね、紺」
「勿論。俺はどこまでもついてくヨ、幻ちゃん」
二人は、お互いの拳を突き合わせた。コツンと、軽い音が鳴る。
そよ風が二人の間をそっと通り過ぎていく。まるで、これからの彼らの旅路を、鼓舞するように。そっと、緩やかに。
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