第貳章 伊月紺、その人は。


 幻が嘘をついて、商品を見にきた客を楽しませている間、つまり商売中、紺は大抵街の見物をしていることが多い。

 今日も今日とてぶらぶらと街並みを探索していると、一軒の古い本屋が目についた。別段とかに変わったところはない、普通の本屋のように見えるのだが、どこか心惹かれるものがあったので試しに入ってみることにした。

「いらっしゃい」

 初老の眼鏡をかけた店主らしき男性が、しゃがれた声で一言告げる。それに軽く頭を下げてから、彼は店内を物色し始めた。

 きちんと棚に入れられた本や雑に床に積み上げられた本まで。百冊はあるだろうなと検討をつけて、幻が好きそうな本を一冊手に取ってみる。紺自身は本があまり好きではないが、幻は暇さえあれば好んで様々な本を読み込んでいる。そろそろ今読んでいるものが終わってしまいそうだと、少し前に言っていたのでちょうど良い土産になりそうだ。

 手に取った本をパラパラとめくって適当なところに目を通してみる。やはり、漢字と文字の羅列で頭がおかしくなってしまいそうだ。

「ウワァ…」

 思わず口をへの字に曲げてしまう紺である。それをすぐに閉じて、同じようなものをもう何冊か手に取って、会計へと向かった。

「お願いシマス」

 先程の店主の前に置いて、紺は腰に下げていた巾着を手に取る。

「全部で四銭だ」

 お台分を巾着から抜き取り、それを店主に手渡す。

「まいど」

 金を吐き出しの中にしまって、購入された本を新聞紙で包んでいく。それを待つ間、紺は店の外を眺める。この街は治安がいいらしく、子供達が楽しそうに道を走り回っていた。

「できたぞ。持ってきな」

「あ。ありがとうございマス」

 新聞紙に包まれたそれを受け取って、その上に一枚の金属でできた栞が置かれているのに気づいて、彼は首をかしげる。

「これは買ってませんヨ?」

「それはおまけだ。要らなかったら捨てればいい」

 それに、紺はにっこりと笑った。

「いえ、連れが喜びマス」

「そうか。連れは大事にしろよ」

 店主の言葉に、彼は大きくうなずく。当然だ。

「それじゃ」

 店主に手を挙げて、紺は店を出ていく。その背中を見送って、店主は新聞紙を広げるのだった。



「ま、嘘なんだけどね」

 幻が楽しそうにお決まりの言葉を告げると、周囲に群がっていた街人たちが一斉に笑い出す。

「兄ちゃん面白いやつだな!気に入った、一つ買っていこう。家内への土産だ、女が好きそうなもんを選んでくれるか?」

 中年の男性の申し出に、彼は嬉しそうに笑って一つの簪を手に取った。

「ありがとうございます。これなんかどうでしょう?天然の琥珀が嵌め込まれた簪です。長持ちしますし、値段も手頃ですよ」

 手渡されたそれを受け取って、男性は簪を一周させて見定める。

「こいつぁいい。いくらだ?」

「五銭になります」

「はいよ」

 金を受け取って、彼は軽く頭を下げた。

「ありがとうございました」

「おう、頑張れよ〜」

 ひらひらと手を振って行く男性にうなずいて、次の客の相手をする。

「これを一つくださいな」

 今度は十代半ばの少女だった。女学校へ行く途中だろうか。紅色の袴に黄色い着物姿がよく似合っている。

 少女の指さしたものは翡翠のブローチだ。繊細な金の細工で縁取られたものなので、女性に人気な西洋品の一つでもある。

「ありがとうございます」

 指を刺されたものを取ってそれを花柄の色紙で包んでいく。

「お嬢さん、これから学校ですか?」

 幻が話しかけると、彼女はうなずいた。

「はい。商人さんは、お一人で旅をしているんですか?」

 それに、彼は包み終わったブローチを手渡しながら緩く首を振る。

「いいえ。私の幼馴染が用心棒として一緒に旅をしているんです」

 三銭になります、と言う幻に、彼女は金を手渡しながらうなずいた。

「そうなんですか…いいなぁ、私も旅をしてみたい」

 彼女の言葉に、彼は苦笑する。

「危険も多いので、あまりお勧めしませんよ」

「ふふ、冗談ですよ。けど、憧れているのは本当です」

 おかしそうに笑って、彼女は軽く頭を下げた。

「では、これで」

「はい。ありがとうございました」

 同じように頭を下げてから、幻は次の客の相手をするのだった。



 ちょうど正午ごろ、昼食をとるために一時的な店じまいをしているところに、紺が戻ってきた。

「あ、おかえり」

「ただいま。幻ちゃんお土産があるヨ」

 にこにこと笑って手渡されたものに、彼は首を傾げながら包んでいた新聞紙を外す。

 出てきたものに、幻は嬉しそうに瞳を輝かせた。

「本だ…ありがとう、紺」

「ドウイタシマシテ」

 満足げに微笑んで、紺は店じまいを手伝い始める。

 本を汚れないところに置いて、幻も再開した。

 店をたたみ終えると、幻は商品の入った箱を背負う。

「紺、どこか良さそうなお店見つけた?」

「うん。蕎麦かトンカツ、どっちがイイ?」

 少し迷って、幻は口を開いた。

「蕎麦がいいな」

「じゃ、決まり。案内するネ」

 こうやって、幻が商売をしている間、紺が昼食に良さそうな店を探しているのだ。彼の食べ物に関する勘は特に当たるので、今まではずれを引いたことはない。

 二人は、気分良く晴天の下を歩いて行った。

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