⑦
なかなか見つからない探し人に、紺は困ったように頭をかいた。
「こりゃ、こっちは外れだナァ」
一番初めに、一度覚えたあの女の気配を探ってみたのだが、いかんせん人が多いのもあってか探すことはできなかった。
かれこれ結構探しているので、あるのなら見つかってもおかしくない頃合いだ。だというのに見つからないのだ、きっとここにはいないのだろう。
そこまで考えて、紺はため息混じりに足に手を当てる。
「幻ちゃん、いつになくあの女にご執心ダシ…おかしなことしてなきゃいいケド」
曇りだした空を見上げて、彼は不安そうにつぶやいた。
紺との待ち合わせ場所でもある個室のある茶屋で、幻と女はお茶を飲んでいた。
お互い無言で、口元には笑みを浮かべている。側から見ればおかしな人間たちだが、彼ら本人たちとしてはそれだけでと愉快だった。
口火を切ったのは女だった。
「私はこのまま何も話さずいても良いのだけど、せめてお互い名乗りませんか?」
「ああ、そうですね。では、そちらから」
「あら。残念ながら私、男性に女性から名乗らせるような不躾なことをさせる主義ではないの。遠慮なさらず、ご自分からどうぞ」
「いえいえ、お気遣いなく。私は幼い頃から父に、何事も女性を優先すべきだと教わっておりますので。どうぞ、そちらから」
お互い、にっこりと微笑んだまま見つめ合う。当然、彼らの目は笑っていない。
「ふふふ…面白い方」
「ふふ、それを言うならそちらも」
謎の交戦を繰り広げていると、個室の襖が開いた。開けたのは紺だった。彼はげんなりと顔をしかめる。
「何このよくわからない空間…コワイ」
「ふふ、こんにちは」
おかしそうに笑う女に、紺は少し眉を寄せながらぺこりと頭を下げて返した。
幻の隣に座って、こそこそと耳打ちする。
『今どういうジョウキョウ…?』
『うーん、勝負中、かな?』
その返答に、紺は微妙な顔つきをする。一体、なんの勝負をしていたのだろう。
「こんな話を、ご存知ですか?」
こそこそと話をする二人を前に、女は切り出す。
「昔、とある男女が旅先で出会いました。女性の方が先に名乗って、男性の方が後から名乗りました。するとたちまち、大地が揺れ地面にヒビが入ってしまったのです。以来、初対面で名乗る際には男性から、という決まりがあるのです」
微笑む女に、幻は微笑み返す。
「では、こんな話をご存知でしょうか。昔とある老夫婦がいました。その二人にはある伝説がありました。初めて会った時、男性の方から名乗り、女性が後から名乗りました。すると、二人はどういうわけか一瞬で年老いた姿になってしまったのです。それ以来、男性から名乗ってはいけないという掟ができているのです」
二人の話を聞いて、紺は目をすがめる。
「いや…どっちも嘘デショ」
「あら」
「あーあ」
図星だったようで、二人は各々反応示した。
なんの勝負をしていたのかが、大体見当がついた。結構くだらない内容だったので、紺はため息をつく。
「で、どっちが先に名乗るかッテ?」
二人は無言でうなずく。呆れたようにため息をつく。
「普通にジャンケンで決めれば?」
それに、二人は無言のまま手を出してジャンケンを始めた。大の大人二人が、何をやっているのやら。
やがて勝敗がつき、勝ったのは幻だった。心なしか勝ち誇ったような顔をしている気がする。
「仕方ありませんね。私は
「卯月幻です。あまり仲良くはなれないでしょうけど、よろしくお願いします」
「伊月紺」
珍しく、紺が不機嫌そうにそれだけ言って黙る。
それに珍しいこともあるもんだな、などと呑気に考えて、幻はまぁそれも仕方ないかと納得する。
巴はいちど逃した相手だし、元々は敵だ。というか、今も敵なのか味方なのか分からない。警戒、もしくは嫌っていてもなんの問題はないだろう。むしろ好意を寄せていたら驚きだ。
お茶を飲んで一息つく。
「それで、私はあなたに聞きたいことがあるのですが」
幻が巴を見つめる。それに、彼女はこてんと首をかしげた。
「なんでしょう?」
「なぜ、今回の連続殺人犯である高瀬を殺したんですか?」
「そうですねぇ…」
可愛らしく、彼女は人差し指を顎に添えてか首をかしげる。
「気味が悪かったというのが一番の理由ですが、これ以上被害を増やさないためですかね?」
なぜ疑問系なのか。
そこが少し納得いかないものの、幻はうなずいた。
「そうですか」
「…なぜわざわざそれをお伺いに?」
それに、幻は少し考え込むように目を伏せてから、答える。
「あなたが今回の件になにか関わりがあったのか、否かを確認したかったというのと、単純に興味があったからです」
一度言葉を切って、にっこりと微笑む。
「あなたが理由もなく人を殺せるのか、そうではないか。ね?」
細められた琥珀色の瞳が、きらきらと輝いている。それが好奇心なのか、敵意なのか。はたまた、好意なのか。不思議な輝きだった。
「そう…ふふ、やっぱり面白い人ね」
妖艶に笑って、巴はそっと小袖の袂に手を入れた。
紺がぴくりと反応する。幻がそれを視線で制した。
警戒するなという方が無理だろうが、少なくとも巴が今この場で乱闘を起こすような真似はしないように思える。
黙って大人しく肩の力を抜いた紺に申し訳なさを感じながら、幻は目の前にいる巴に視線を戻した。
巴は袂からそっと、金色の懐中時計を取り出した。蓋部分に椿の花が彫られている。
一目で古いものだということがわかる。きっと売れば相当な価格になるはずだ。
職業柄そんなことを考えながら、ふとなぜそれを出したのかを疑問に思った。
「これは私の母の形見です」
すっとそれを幻へ近づける。
「どうぞ。あなたはそういうものがお好きでしょう」
少し戸惑いながら、幻はそれを手に取った。開けてみると、カチャリと音が鳴って開く。状態も悪くなく、時計自体もずれていなさそうだ。
「…いい時計ですね」
「ありがとう」
「それで、この時計が何か?」
時計を返して、幻は首をかしげる。
「この時計は母の形見と言いましたが、母はこれを父からもらったそうです。母をこれをとても大事にしていました」
唐突に始まった巴の話を、二人は黙って聞くことにした。
「母は父を心から愛していたようでしたが、父は違ったようで、母を簡単に捨てました。母は徐々に心を病んでいき、私が12の時に亡くなりました」
淡々と、先ほどまでの笑みは嘘のように消えて、無表情で語っていく。
「私は父を恨んでいます。憎んでいます。母と駆け落ち同然で日本で伴侶となり、母を一番愛していると言っておきながら、自分の父から持ちかけられた縁談を断れず、そのまま他の女のもとへ行ってしまった父を、赦しはしません」
懐中時計を手に取る。金属音がした。
「この椿の花は、父の実家の家紋だそうです。これが唯一の手がかり。私は父に復讐するために、旅をしてきました」
碧い瞳が二人を捉える。
「お願いがあります。私の復讐を、手伝ってもらえませんか」
長い沈黙が続いた。幻がふわりと笑う。紺が軽くため息をついた。
「嫌に決まっているじゃないですか。私たちはあなたに一度襲われている身。なぜそんな相手を手伝わなければならないのか」
彼の言っていることはもっともだ。巴自身、一度襲った相手に復讐の手伝いを頼むことになるとは、あの時は思ってもみなかった。
「…わかりました。今の話はどうかお忘れください」
懐中時計をしまい、代わりに財布をだしてお茶代を机に置いた。
「お時間をいただき、ありがとうございました。楽しかった」
そう言って部屋を出て行こうする巴の背に、幻は心底楽しそうな笑みを浮かべる。
「…ま、嘘なんだけどね」
「………」
もはや呆れて声を出ない紺の代わりに、巴が目を丸くしてゆっくりと振り向いた。
「いいですよ。その復讐、手伝いましょう」
「…どうして」
「そうですねぇ。同じ男として、そんな最低なことをした相手の顔を見てみたいからっていうのと、私たちの趣味と呼べるものが、人助けだから、です」
微笑む幻の横で、紺がいささか不服そうな顔をしている。
「俺は幻ちゃんが決めたなら、それに付き合うだけだけどネ」
「あれ、紺は嫌だった?」
意外そうに目を丸くする相棒に、彼は微妙な顔をする。
「別に復讐自体はいいんだケド。愉しそうだし。ただ、なぁんか、このヒトが気に食わないっていうか…」
むむむと眉間に皺を寄せる紺に、幻はさらに目を丸める。紺は基本的に人が好きで、誰に対しても好意的なことがほとんどなので、こういったことは今までなかった。
一体なにがそんなに気に食わないのだろうか。
首をかしげる幻に紺が肩を竦める。
「まぁ、別にイイヨ。手伝おう。幻ちゃんはやるって決めたんデショ?」
「うん、まぁ。そうなんだけど」
紺がどうしても嫌だというなら、断る。彼はいつも自分を優先してくれているので、たまには駄々をこねたっていいと思うのだ。
「大丈夫。別に嫌いってわけじゃナイシ」
ただ、なんとなく腹が立つだけで。
「なら…いいんだけど」
いいと言っているのなら、いいのだろう。そう結論づけて、改めて巴に向き直る。
「ということなので、あなたの復讐、手伝いますよ」
「ありがとうございます」
巴は、花が綻ぶように微笑んだ。
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