⑧
茶屋をでると、黒猫…ネロが巴の足元にすり寄ってきた。
「おかえり、ネロ」
それを見て、幻は嬉しそうに笑った。
「あ、紺似の猫だ」
その言葉に、後から出てきた紺が首をかしげる。
「俺…?」
じっとネロを見つめると、ネロはふんと鼻を鳴らして目を逸らした。紺は悲しそうに肩を落とす。
「…俺、こんなに愛想ないように見えル?」
「えぇ、違うよ」
前はとても人懐っこかったのに。
不思議に思っている幻の足元に、するりとネロが体を擦り付ける。
ふわふわの毛並みが気持ちよかった。
「ほら、愛想いいよ?」
「えぇ〜?」
不満そうに言って、紺はしゃがみ込んでそっとネロの前に手を出してみる。やはり、そっぽを向けてしまった。
「……俺が嫌われてるのか」
肩を落とす紺に、幻はどう声をかけて良いか分からず苦笑する。
「同族嫌悪、ってやつね」
巴がしたり顔でぼそりと呟く。それに、幻がなるほどとうなずいた。
しゃがみ込んでうつむく紺の頭上にも、その会話は無情にも響いていた。
巴が泊まっている宿の外で、幻、紺、ネロの二人と一匹は彼女が荷物を持って出てくるまで待っていた。
「幻ちゃん、さっきあのヒトに嘘で仕返しできて満足したデショ?」
少し呆れたように笑う紺に、幻は大きくうなずいた。
「絶対次会った時騙し返してやるって思ってたからね。湊さん以外に騙されたままでいるなんて、俺のプライドが許さない」
なんて無駄なプライドなのか、と少し、いやかなり失礼なことを考えた紺であったが、それは言わなかった。
「まぁ、ヨカッタネ」
「うん」
にゃーん、と一つ、ネロも足元で労うように鳴いた。それに、幻がくすりと可笑しそうに笑う。
「お前、可愛いなぁ」
「そーォ?」
紺が不服そうに眉を寄せて言う。幻が苦笑し、ネロが髭をぴくりと動かした。
そして、紺の足をわざとらしく踏んで見せた。
彼が無言でネロを見下ろす。ネロがふふんと胸を逸らした。
「やっぱりコイツ、可愛くない」
「なーん」
低い声で鳴いた。まるで、それで結構とでも言っているようだ。
一触即発の雰囲気に、幻が少し焦りを感じていると、巴が戻ってきた。ふわりと椿の香りが舞う。ネロが一瞬で可愛らしく鳴いて、彼女の足元に擦り寄る。まさに猫かぶりである。
ネロを睨みつける紺に、巴が不思議そうに首をかしげる。
「何か?」
「その猫に足踏まれタ」
「まぁ…」
予想以上に仲が悪い自分の飼い猫と復讐仲間に、巴は目を丸くした。
「どうしてそんなに仲が悪いのかしら。ネロ、仲良くなさい」
「うにゃーん」
不服そうに一つ鳴く。それは嫌らしい。
「ふっ…まぁ、そのうち仲良くなるんじゃありませんか?」
「そうですね…」
ため息混じりにうなずいて、巴は落ちかけてきた被っていた布を少しあげる。その時、左手に傷跡が残っていたのを目に止めて、幻はそっと目をそらす。
それに気づいて、巴は目を瞬かせる。そして、可笑しそうに笑った。
「ふふ、お気になさらないで。あの時はああされて当然でした。まぁ、貴方があんな乱暴なことをするとは思っていなかったけれど」
「…一応、男なんで」
苦笑して、その布に手をかける。
「布はやはり、必要ですか」
「…そう、ですね。一目がつくので。幻さんは?」
「私は慣れました。この容姿のおかげで客足も伸びるっていうのもありますし、特に隠してません。でも、私よりもあなたの髪色や容姿の方が目立ちますね」
異国の血を引くもの同士でしか、わからないものがある。それは、わかっている。だが、ずっと二人で旅をしてきて、小さい頃から一緒に育ってきたというのに、仲良さげに言い方はなんだがぽっと出の女に隣を奪われるのは、紺としては面白くない。
どうやら、隣にいるネロも同じようで、目をすがめて二人のことを眺めている。
(なるほど…同族嫌悪って言われた意味、わかった気がスル…)
少し好感が持てて、ネロの頭をそっと撫でてみた。今度は避けられずに、むしろ頭を押し付けてくる。
「ふ…可愛いところアルネ」
「ふにゃ」
一人と一匹の間に、奇妙な絆が生まれた瞬間を、巴と幻はこっそりと見て笑った。
「仲良くなれそうですね」
「えぇ。良かった」
巴はぱさりと布を外した。美しい金髪が現れる。
「私も母譲りのこの容姿、自慢しながら街を歩きましょう。それに、貴方のお店の客足も伸びますよね?」
「はい。助かります」
笑って、幻がうなずく。紺がふと、彼女の肩を叩いた。
「ネェ」
「はい?」
「荷物持つヨ」
意外な言葉に、巴は目を瞬かせる。紺が少しバツが悪そうな顔をした。
「オヤジから女の人には優しくしとけ、できなきゃお前は男とじゃねぇ、って言われてるんデ」
「…ふっ…ふふふっ」
可笑しそうに笑って、彼女はそっと自分の持つ荷物を紺に渡した。
「ありがとう。良いお父さんをお持ちですね」
「そりゃドーモ」
不満そうにしながらもそれを受け取って、肩にかつぐ。幻がそれに、可笑しそうに笑った。
街を出て、しばらく歩いていると幻が思い出したように声を上げた。
「巴さんに聞きたいことがあるんですけど」
それに首をかしげる。
「どうして、私たちの噂を流したんですか?」
「噂…あ、あの化け物二人組とかイウ?」
今回の事件に巻き込まれる原因となった噂を思い出して、紺が目を丸める。
「このヒトが広めたの?」
「なぜお分かりに?」
「半分は勘です。けど、私たちを知っていて、紺の実力を知っている人物は限られているので。もしかしたらと」
「なるほど。噂を勝手に流してしまったことはすみません。貴方達を試してみたくて」
それに、彼はうなずいた。なるほど。だからそんな噂を流したのか。
「まぁ、構いませんよ。あながち嘘でもないので。尾鰭はついてましたけど」
苦笑する幻に、巴もくすくすと笑う。
「人の噂というのは面白いですね」
「えぇ」
そんな二人の会話を少し後ろで聞いていて、紺は軽くため息をつく。
(うーん…なぁんか未だに腹の探り合いがあるような…なんでダロ)
少し考えて、紺は目を丸くする。
「ネェ」
呼びかけられて、振り返る。
「幻ちゃんは良いかもしれないけど、俺は敬語、慣れてないカラ。これからは普通に話すけど、イイ?」
それは巴に向けられた言葉だった。彼女は目を瞬かせた後、うなずく。
「なら、私も紺さんには普通に話すわ」
「ウン」
違和感があったのはこれだ。垣間見る巴の口調から、彼女がまだ素ではないことを知ることができた。
「あ…じゃあ、俺も」
幻も少し気まずそうに言う。二人がうなずいた。ネロがその真ん中で、にゃーと一つ鳴いた。
奇妙な組み合わせの旅が、始まった。
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