第伍章 背中


 新しい街に辿り着くと、日が暮れ始めてしまった。今日はさすがに店を開けそうにない。せめて今日中に店を出す許可証をもらいに行かねば。

 そう思って、幻が二人に声をかける。

「紺、巴さん。今日はもう遅いので、店は出しませんが許可証をもらいに行きたいんだけど…どっちか、宿を取っておいてもらえない?」

「あ、じゃあ俺やっとくヨ。そのヒトがいれば邏卒さんもイチコロで許可証簡単に出してくれそうだカラ」

 ちらりと巴を見て、紺が言った。幻と巴が苦笑する。

「じゃあ、お願い」

 うなずいて、ネロと共に宿を探しに行った紺を二人は見送る。

「…名前、なかなか呼んでもらえないわね」

 紺は道中ずっと、巴のことをアンタ、もしくはこのヒト、の二択で呼んでいた。

「やっぱり嫌われているのかしら」

 ため息混じりに言う相手に、幻は唸りながら息を吐いた。

「…嫌っては、ないと思う。紺が人を嫌ったことなんて今までなかったからなんとも言えないけど、嫌いだったら一緒に旅をするのを最初から拒否してただろうし」

 拒否は、していなかったはずだ。渋っていたのは事実だが。

「俺の予想は半分意地と嫉妬で、もう半分はまだ信用しきってないか…」

 可笑しそうに笑う。

「俺たちはあんまり女性と深く関わったことがなかったから、どう対応して良いかわからないってらところかな」

 紺は、優しい。荷物も持ってくれているし、基本的には巴を優先して行動してくれている。目は決して合わないが。

「…後者だとしたら、少し納得できるけど」

 その行動を思い出して、少し笑う。

「でも、だとしたらどうして貴方は平気なの?」

「うーん…別に平気ってわけじゃないけど。意識してないって言えば嘘になるし。だけど、父からあんまり性別を意識しすぎるとかえって相手に失礼になることもある、って教わってるから。そこまで表に出さないようにはしてる」

 鹿波の顔を思い浮かべて、次に湊の顔を思い浮かべる。

(湊さんなら紺に女性に優しくって言うのを教えたっていうのも、うなずけるけど…紺が巴さんを避ける理由、それだけじゃないような…)

「…まぁ、たぶんそのうち治ると思うから、心配しないで」

 まだ戸惑いもあるのだろう。

 そう言って笑う幻に、巴は小さくうなずいた。



 無事に宿の確保をして、紺は近くの川にかかった橋の真ん中の高欄で、項垂れていた。ネロはその足元で優雅に毛繕いをしている。

(ウゥ…あのヒトに対してどう接すればいいのか、わかんない…)

 最初の方は嫉妬と意地が混じって避けていたのだが、それも薄れていって無くなった。それと引き換えに、湊の言葉と慣れない同じ年頃の異性との交流に、どう接していけばいいのかわからずに困惑してなかなかうまく行かないのだ。

「なんで幻ちゃんは平気ナノカ…」

 至っていつも通りに巴に接しているように見える幻を思い浮かべて、紺は口をへの字に曲げた。

「俺が甲斐性なしなのかナァ」

 足元のネロに声をかける。ネロはふんと鼻を鳴らした。やはりあまり好かれてはいないようだ。

「ウーン」

 悩んでいても仕方ない。とりあえず、二人と合流せねば。

 そう思って歩き出したところで、少し離れた場所で老婆が転倒した。慌てて駆け寄る。

「大丈夫デスカ」

 体にそっと手を添えると、老婆は少し恥ずかしそうに頰を染めた。

「すみません。歳をとるとどうしても足腰が弱くなってしまって、困るわぁ」

「…よければ目的地まで一緒に行きマスケド」

「あらそう?じゃあ、お願いします」

 柔らかく微笑んで、老婆はゆっくりと立ち上がる。

「屯所に孫が働いていて、忘れ物を届けに行くんです」

「そうなんですか。俺の連れも今頃ちょうど屯所にいると思うので、偶然デスネ」

 へらりと笑って、荷物を持ってやる。歩幅を合わせて、屯所までの道のりを歩いて行った。



 無事に許可証をもらうことができて、屯所で紺を待っていると、中にいた邏卒がお茶を勧めてきたのでありがたくいただくことにした。

「失礼ですが、お二人はご夫婦ですか?」

 お茶を勧めてくれた眼鏡をかけた柔和な顔をした邏卒が聞くと、二人は顔を見合わせ微笑んだ。

「はい。そうです」

「そう見えるのなら嬉しいですね」

「そうですか…!仲がよろしいようで何よりです。うちは両親の仲が悪いので、私の世話を祖母がしてくれたんです」

 慈愛に満ち溢れた瞳に、大事に育てられたことがわかる。

「私には祖母という存在がいないので、羨ましいですよ」

 幻が言うと、巴もうなずく。彼女の場合、遠い海の向こう側に、祖母にあたる人物がいる。

「…まぁ、私たちが夫婦だというのは嘘なんですけど」

 さらりと言って、幻がお茶を啜る。

「え」

 目を丸くする邏卒に巴が笑った。

「すみません。私たちは嘘をつくのが趣味なんです。夫婦などではなく、単純な旅仲間ですよ」

 もちろんこれも嘘である。事実を言うとややこしいので今回は誤魔化させてもらう。

「後もう一人いるんです。多分そろそろここに来る頃かと…」

 ちょうどその時、屯所の扉が開いた。老婆と共に紺が顔を出す。

「コンニチハ」

「あ、紺」

「幻ちゃん。許可証もらえた?」

「もらえたよ。そちらの方は?」

「私の祖母です」

 老婆の手を取って、邏卒が席を譲った。

「すみません、祖母が世話になったようで」

 紺に向かって頭を下げて、邏卒は首をかしげる。

「えっと、貴方がこの方々のもう一人の…?」

 どういう状況なのかは知らないが、とりあえず間違ってはないので紺はうなずく。

「なるほど…いやぁ、世間は狭いですね」

「はぁ…?」

 曖昧にうなずいて、紺は二人を見た。

「どいうコト?」

 首をかしげる紺に、二人はおかしそうに笑った。


 

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