宿で取った部屋で、幻は紺に首をかしげた。今この場に巴とネロはいない。流石に異性が同じ部屋で泊まることは憚られるからだ。

「なんで巴さんのこと避けるのか、聞いても良い?」

 三節棍の手入れをしていた紺が、ぴしりと固まった。

 ついにこの時が来てしまったか。

 幻は鋭い、勘がいい、自分のことをよくわかっている。ので、きっと避ける理由の見当はついているはずだ。

「なんで聞くノ」

「本人が気にしていたから」

 それに、紺は押し黙る。それは予想していなかった。

「……一番はどう接すればいいのかワカラナイ」

 予想通りの答えに、幻は苦笑した。巴が女性だというのが一番だろうが、元々は敵対していた相手だ。しかも、紺は巴に逃げられている。なおさら、接し方に戸惑いを覚えるだろう。

 幻は茶屋の一件で仕返しができて満足することができたが、紺は違うだろう。

 ため息をついて、なかなか難しい問題に幻は眉を寄せる。

「まぁ、ゆっくりでいいからちゃんと話してみたら?」

「…ウン〜」

 唸りに近いうなずきに、彼は苦笑する。どうにか改善すれば、いいと思う。

「頑張って」

「…ハーイ」

 子供のように、紺は返事をした。


 巴は部屋でネロと戯れていた。紺が猫も泊まっていい宿にしてくれたおかげで、ネロも久しぶりに座布団などの柔らかいところで寝ることができる。

「後でお礼、言いましょうね」

 黒く小さな鼻をツンとつついて、彼女は笑った。

 廊下から人の気配がした。体を少し強張らせる。

「ごめん、入ってもイイ?」

 紺の声だった。ふっと肩の力を抜いて、了承の返事をする。

 叱られた子供のような顔をして入ってきた紺に、巴は目を瞬かせる。

「何かあったんですか?」

「ウーン、幻ちゃんから、アンタが俺の態度を気にしてるって聞いて」

(…結構容赦ないのね、幻さん)

 まさか本人にそれを伝えてしまうとは思っていなかった。幻は紺に対して気心が知れているからだろうが、結構厳しいところがあるようだ。

 部屋に入って出口付近であぐらをかいてしまった紺に、彼女は苦笑する。

「そんなに近づきたくありませんか」

 こうも露骨に距離を置かれてしまうと、やはり少し心が痛む。

「あ、いや。そういうワケじゃないんダケド。俺、言葉にするの下手だし不器用だから、アンタに対して幻ちゃんみたいにうまく接すること、できないんだヨネ。一応言っておくけど、嫌ってはない」

 焦ったように言う紺の全身から、緊張しているのがよくわかった。そのことから、彼の言うことが本心だということがわかる。

「…それで、アンタを避けてる理由なんダケド。今まで女のヒトとそんなに深く関わったことがないってのと、ずっと幻ちゃんと二人旅だったから、不快な思いさせちゃうかも知れない、って思ったら、遠慮しちゃうだけダカラ。そんなに気にしないでもらえると助カル。そのうち慣れると思う」

 我ながら情けないとは思うのだが、事実だ。

「ふっ…」

 それまで黙って話を聞いていた巴が、堪えきれないように肩を震わせた。

「ふふふっ…」

 紺が不服そうに口をへの字に曲げた。それに、彼女は笑いを止めようと努力した。

「ごめんなさい…っ、おかしくて」

「…別にいいケド」

 ため息をついて、笑いが鎮まるのを待つ。

 ネロが紺の指先に鼻をくっつけた。そっとその頭を撫でる。

「…あのね、紺さん。幻さんから貴方が私のことを嫌っていないっていうのは聞いていたから、知っていたの。それと」

 やっぱりなと目をすがめている紺に構わず、巴は続ける。

「貴方が私を避けている理由、てっきり元々私が敵だったから、それが気まずくて避けているのかと思っていたの。だから、正直割とどうでもいい理由で、驚いちゃった」

 さらりと貶されたような気もしなくもないが、今は気にしないでおこう。

「ソウソウ。俺は細かい気遣いとかも苦手な方だから、なんか嫌なことあったら言ってネ」

 へらりといつものように笑う紺に、彼女はうなずく。

「貴方は充分気遣いができると思うけれど…じゃあ、遠慮なく。無理しなくてもいいから、私のこと名前で呼んで欲しいの。ずっとアンタとかじゃ、寂しい」

 そう言われて、少し困ったように紺は笑った。

「善処シマス」

「お願いね」

 にっこり微笑む巴に、紺は早まったかなと、少し後悔する。

 そんな紺の膝に手を置いて、ネロが労うように一つ鳴いた。



 一人で備え付けの煎餅を食べていた幻は、戻ってきた紺の表情を見て笑った。

「うまく行ったみたいだね?」

「ウン。すごい笑われた」

 苦笑して、幻の前に座って同じ煎餅の封を開ける。

 しばらく咀嚼して、それを飲み込んで、紺が首をかしげた。

「巴の目的地って、帝都なんだよね?」

 きちんと名前を呼んでいることに少しばかりの喜びを感じながら、幻はうなずく。そして、嬉しそうに笑った。

「うん。俺もいつかは行きたいって思っていた場所だから、楽しみだな。なんかさ、旅人のロマンじゃない?帝都って。響きもそうだし、商人としても一度は訪れたい貿易地だよね。絶対俺が見たことも聞いたこともないようなものが溢れていると思うんだ」

 瞳を輝かせて言う幻に、紺はうんうんとうなずいた。紺自身はあまり興味はないものの、幻が楽しそうに話している姿を見るのは嬉しい。

(…そういえば、オヤジも武器を買ったのは帝都だって言ってナ。もしかしたら、オヤジの実家も帝都にあったりシテ)

 これは偏見かも知れないが、身分の高い人間や由緒正しいお家柄は帝都に集まっているように思える。

(余裕があったら、試しに探してミヨウ。伊月の苗字ってことしか、手がかりは無いケド)

 心の中でそんなことを考えて、紺は小さく笑った。

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