第肆章 吸血鬼
壱
幻と紺が新たに訪れた街中で、奇妙な噂が流れていた。
なんでも、西洋で悪名高い吸血鬼が若い娘の血を吸って、殺してまわっているらしい。
普段ならば話し手をしている側の幻が、たまたま商品を買いに来た街の長からその話を聞いて、背筋を凍らせた。
「…それは、また。ずいぶんと物騒な話ですね」
平常心を装うと、彼は微笑んで言った。若干、引き攣っていたが。
「そうなんです…あの、つかぬことをお伺いいたしますが」
長が、少し聞きづらそうに、だが微かな期待を込めた瞳で幻を見る。
「あなたが噂の化け物二人組の、一人でしょうか?」
「ば、化け物…?」
急に貶されて、幻は面食らったように顔をしかめる。
「一応、私は人間なのですが…」
とりあえず自分が人間であることを言っておく。それに、長は慌てたように首を振った。
「それはわかっています。すみません、あなたの…というか、あなたたちの噂がありまして」
今ここに、紺はいない。いつものように街を散策しているのだ。
なのに、長は二人で旅をしていることを知っていた。一体、どういう噂なのだろうか。
「…その噂、詳しく聞かせてもらっても?」
それに、長は大きくうなずいた。
「あなたたちの噂は大体、一年ほど前から流れています。内容は簡素に申し上げますと、正反対の二人の青年が旅をしながらさまざまな人を助けて回っているというものです。黒髪の男は鬼の如き強さを誇り、異国の血を引く男は悪人を得意の嘘で翻弄し、懲らしめ、その一方で街の人々には嘘で笑顔にする。そんな、変わった二人の噂です。そして、その二人の呼び名を、我々は敬意を込めて『化け物二人組』と、呼んでいるのです!」
鼻息荒く興奮気味に話す長に、幻は目をすがめる。
間違っては、いない。間違ってはないのだが。
(そんな噂が広がってるとは…)
一体誰がそんな噂を流したというのか。
思考に没頭しかけて、長の期待のこもった視線に気づき、目を瞬かせる。
「…あの?」
「そんな、あなたたちに折り入って頼みがございます」
いつの間にか、手を握られていた。なんだか嫌な予感がする。
「ぜひ、かの噂の化け物二人組様たちに、先ほどお話ししたこの街で起こっている殺人事件の解決を、依頼したいのです!」
幻は、諦めたようにため息をついた。
「…話だけでよければ、聞きましょう」
「ありがとうございます!」
冴え渡る日差しの下で、長の雄々しい感謝の言葉がその場に響いた。
とりあえず紺が戻ってこなければどうにもならないから、ということで、幻は長である
「うーん…」
客も来る様子もないので、幻は改めてなぜそのような噂が流れたのかを考える。別に、噂を立てられるのは構わない。だが、もしもそれがきっかけでおかしな輩がちょっかいをかけてくるようになってしまったら、紺の負担が圧倒的に多くなってしまう。それは避けたいのだ。
まぁ、考えても仕方のないことなのだが。どうにも、引っかかるものがある。
ふと、長のもう一つの噂を思い出す。
「吸血鬼、ねぇ」
息を吐きながら、幻は自分の荷物の中から一冊の本を取り出す。パラパラと中身をめくって、止めた。
「紺が買ってくれた本が役に立つね」
つぶやいて、それを読み込んでいく。
ー吸血鬼とは。生命の根源である血液を吸い、栄養源とする蘇った死人あるいは不死の存在。その存在や力には実態がないとされる。多くの吸血鬼は人間の生き血を啜り、吸われた人間も吸血鬼になるとされている。
「…へぇ」
次の頁をめくる。
ーその姿はぶよぶよした血の塊のようなものであるか、もしくは生前のままであるとされることが多い。両者とも、一定の期間を経れば完全な人間になるとされることもある。また、様々な姿に変身することが出来るとされる。吸血鬼は、虫に変身する、ネズミに変身する、霧に変身するなどの手段を用いて棺の隙間や小さな穴から抜け出し、真夜中から夜明けまでの間に活動するものとされた。
(ってことは、殺人は夜中に行われてるのかな。でも、なんで吸血鬼?)
本を読みながら、彼は首をかしげる。何かそれを確証づけるものがあるのだろうか。
と、本に影が刺した。顔を上げると、十代半ば程度に見える少女が、商品を見ていた。
(いけない。今は仕事中だった)
すっかり忘れていた幻は慌ててにっこりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ。西洋品に興味がおありで?」
「あ、はい。綺麗だなって思って」
少し恥ずかしそうに頰を染める少女に、彼はうなずいた。
「お嬢さんなら、このサタンのリボンなどはどうでしょう?値段も手頃だし、日常的も使えますよ」
鮮やかな赤い色をした光沢のあるリボンを手渡されて、彼女は瞳を輝かせる。
「可愛い」
手触りも滑らかだ。
「…これ、二本ください」
「二本ですね。色は同じでいいですか?」
「あ…じゃあ、もう一本は青がいいです。ありますか?」
それに幻がうなずいて、同じ種類の青いリボンと少女から受け取った赤いリボンを包んでいく。
「二本で二銭になります」
少女が手に下げていた巾着から金を出し、それを手渡す。
「ありがとうございます」
商品を手渡し、幻はにっこりと微笑んだ。
「気をつけて帰ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
笑い返して、少女は軽く頭を下げてから道を歩いていく。
「さてと、吸血鬼のことは置いといて、今は仕事しなきゃね」
そう言って、幻は軽く伸びをした。
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