④
貳
最後にお礼を言われながら宿を出て、紺はすこし疲れたようにため息をつく。
「…まさかあんなに感謝させるトハ」
「ふふ、いいことをしたのは変わらないのだから、こういうときは素直に受け止めるのが定石よ」
巴がおかしそうに笑うので、紺はうなずきながらも口を尖らせる。
「そうなんだケド。まぁ、ご飯もうまかったし、結果的には良かったカナ」
「俺たちも思わずご馳走になっちゃったからね。紺のおかげだ」
その足元で、留守番を食らっていたネロをが不満そうに低く鳴いた。それに、三人は苦笑する。
「ごめんごめん。ネロは食べれてないもんね」
「あとで貴方にも何かあげるわ」
幻と巴がネロの頭を撫でると、満足げに喉を鳴らす。そして、紺を見上げた。まるで、お前は何もないのかと訴えているようだ。
それに、彼は何か思い出したような顔をして、おもむろにすぐ隣にある川の横の簡単な草むらに足を踏み入れていく。
そんな紺を怪訝に見守っていると、すぐに何か木の枝を手に持って戻ってきた。
木の枝を細かく割いて、それをネロの鼻先に差し出してみる。その行動に、二人はもしやと目を瞬かせた。
ふんふんとその枝の匂いを嗅いだ途端、ネロが枝の皮を巻き込んでその場にゴロンと寝転んだ。紺がニンマリと笑ってその枝を次々に割いていき、それをネロの腹の上に撒き散らしてやる。
徐々にネロの表情がだらしなくなっていく。
「それ、またたび?」
「ウン。さっきたまたま見つけて」
昔、湊から猫を酔わせる植物だと見せられていたのを思い出したのだ。
「ネロはまたたび、初めてね。私も初めて見たわ」
少し怖いくらいに夢中になっている自分の飼い猫に、巴は目を丸くしている。
「これでお詫びになったカナ?」
「充分だと思うわ。何本か手折っていきましょう」
「じゃあ、俺とってくるヨ。結構危ないから」
それに、巴は少し迷った末にうなずいた。もう一度草むらに行ってしまった紺に、巴が軽く息をつく。
「なんだか…優しくしてくれるのはありがたいけれど、彼、少し気を使いすぎじゃない?」
「まぁ。紺のお父さんは結構男らしい人だから、その影響が強いんじゃないかな?」
「そうなの。貴方のお父様は?」
それに、少し困ったように笑った。
「あんまり男らしくない。むしろ、結構女々しいかも」
彼の言葉に、彼女はおかしそうに笑った。
ネロからまたたびを一時的に取り上げて、三人と一匹は荷物を持って泊まった宿を出た。あのままずっとネロにまたたびを与えたままでいたら、キリがなさそうだったので巴が取り上げたのだ。その時のネロははっと我に帰った様子で、三人はおかしそうに笑った。
「一応、昨日店を開く場所は決めてあるんだ」
「了解。じゃあ、お店の準備が終わったらいつもみたいに俺は街を散策するネ」
それにうなずいて、幻が巴に目を向ける。
「君はどうする?」
「そうね…じゃあ、紺さんについて行ってもいいかしら」
「エ」
予想外の発言に、紺は目を丸くする。その反応に、巴が傷ついたような顔をした。
「嫌なの?」
「…いや、そういうわけじゃないケド」
そしてぱっと表情を明るくする。
「じゃあ決まりね」
「………」
紺は黙ってしまった。
そんな相棒に、元は少しばかり気の毒そうな視線を投げるのだった。
幻と別れて、紺と巴は二人で街中を散策していた。ネロはというと、今回は珍しく幻の元へと残っている。今頃看板猫として活躍している頃だろう。
ちらりと隣を歩く巴を盗み見る。今まで一人で自由に散策していたので、新鮮だ。
「…なんか見たいの、アル?」
一応要望があれば聞いておこうと思って、紺が首をかしげた。すると、彼女はにっこりと微笑む。
「紺さんが見たい、入りたいって思ったお店がいいわ」
「エェ…」
その笑顔には、有無を言わせない圧があるように感じられて、それ以上の質問は躊躇われた。
「文句、言わないでネ?」
先に断っておく。それに、巴は望むところだとでも言うように、大きくうなずいた。
昼食時。そろそろ店じまいをしようと幻が最後の客を見送って思う。
ネロは子供達の相手に疲れて丸くなって寝ている。その体にそっと手を置くと、ほんのりと暖かかった。
「すみません、これっていくらですか?」
眼鏡をかけた書生服の青年が、一つの手鏡を手に取って聞いてきた。それに、幻は柔らかく微笑んで応える。
「6銭になります」
それに、青年は少し眉を寄せたが、意を決したように巾着から6銭ぴったりを幻に手渡した。
「ありがとうございます」
きっと女性への贈り物だろうなと検討をつけて、色紙で丁寧に包んでいく。
それを受け取って、青年はぺこりと頭を下げてから去って行った。
「…まけてあげれば良かったかな?」
少し笑って、彼はその背を見送った。
初めて見かけたとあるお店に、紺の食べ物に関する勘がくすぐられた。
「アレ、絶対うまい」
氷と書かれた旗の下に立てかけられた「あいすくりん」という看板をじっと見つめる紺に、巴は目を瞬かせる。
「どうしてそんなことがわかるの?」
「勘。大丈夫、俺のこういう勘は外れないカラ。幻ちゃんのお墨付き」
へらりと笑って、彼は店員にアイスクリームを一つ頼んだ。
それを少し離れた場所で見ていた巴だったが、値段を聞いた様子の紺の反応が少しおかしかったような気がしたが、気のせいだろうか。そっと巾着を開いて、代金を店員に渡した。
少しして、硝子の器に白くて冷たいものが乗ったものが紺に手渡された。匙を二つ受け取って、彼が戻ってくる。
「食べヨウ」
「えぇ。お先にどうぞ」
それに少し迷った末、匙で一口分すくって口に含む。紺の目が大きく丸められ、固まった。
そして、噛み締めるように一言。
「…ものすごく、美味しい…」
巴もそれに、そっと匙で一口分すくって食べてみる。
口と中に今までに感じたことのない滑らかさとまろやかな甘味が広がった。
「美味しい…」
「ダヨネ!」
にっこりと無邪気に笑う紺に、彼女はうなずく。
「こんなの初めて食べたわ。貴方の勘、本当に当たるのね」
そして、少し困ったように眉を寄せる。
「これ、高かったでしょう」
「…値段、聞ク?」
怖かった。が、知らないわけにはいかない。こくりとうなずいた巴に、彼はそっとその値段を告げる。
「……ー」
ひゅっという息を呑む音がした。
「…大切に、食べましょう」
そっと言う巴に、紺は無言でうなずく。
二人は、少しずつ少しずつ、アイスクリームを平らげていった。
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