稽古場の隅の方に置いてあった荷物の中から、紺がいつもの紅く塗られた棒を取り出す。

 それを幻に手渡すと、彼はマジマジと見始めた。何気に、紺の武器をちゃんと見るのは初めてである。

「…結構重いんだね」

「まぁ、鉄で出来てるからネ」

 よく見てみると、たしかに至る所に傷ができている。まぁ、二年も使っていれば当たり前かもしれないが。

 不意に、幻が首をかしげる。

「でも、所々にすごい古い傷があるね?」

「ああ、それはオヤジがつけたやつダ。昔、オヤジもそれ使ってたんだって」

「へぇ、じゃあこれ湊さんのお下がりか」

 感慨深く思って、それをそっと撫でる。

「…なんか、その言い方恥ずいナァ」

 口を尖らせる紺に、彼はおかしそうに笑った。

「そう言わずに、事実なんだから。ん?」

「ン?」

 首をかしげた幻に、紺もまた同じように首を傾ける。

「ドウカシタ?」

「…湊さんが昔これを使ってたって言ったんだよね?」

 それに、紺はうなずく。なにかおかしなことがあっただろうか。

「もしかしたら、湊さんも旅に出てたのかも。この街はできてからそんなに経ってないって父さんが昔言ってたし、少なくとも俺はこの武器を湊さんがこの場所で使っているところを見たことがない」

 彼の言葉に、紺は目を瞬かせる。そういえば、自分の義父だというのに紺は港が昔なにをしていたのかを何も知らない。

「オヤジが旅、ネェ」

 まぁ、想像できなくもない。

「あとさ、俺昔から思ってたんだけど」

 武器を紺に戻してから、幻が思い出したように言う。

「なんで湊さんは父さんのこと苗字で呼んでるんだろう。父さんは下の名前で呼び捨てなのに」

「あー、タシカニ」

 ふむと一つうなずいて、紺はあぐらをかく。

「後で二人が戻ってきたときに、聞いてみヨウ」

「うん」

 幻がその場に寝転んだ。ひんやりとした床が冷たく心地よい。

「なんかさ、子供の頃は見えなかったところが、大人になって見えるようになったよね」

 手のひらを窓から差し込む日差しにかざして、幻はのんびりと言った。

「そうダネ。昔はオヤジが若い時何やってたかなんて興味なかったシ」

 それもそれでどうなんだと思うが、それが事実である。

「…昔、幻ちゃんについてくって決めて、この武器をもらった時、オヤジに言われたんだよネ」

 背中を壁に預けて、紺がポツリと言葉をこぼす。幻はそれに、黙って耳を傾けた。

「お前は強いから簡単に人を殺せる。だから、簡単に人を殺せるような武器はまだ、お前には渡さない。人を殺す覚悟ができたら、相応のやつをやるよ。ッテ」

 手の中にある紅く塗られた棒を握って、彼は目を閉じた。

「そん時のオヤジの顔とか、声音を今でも全部覚えてル。忘れられない…っていうか、忘れちゃいけないんだとオモウ。人を殺すっていうのは、それだけ重要で、怖いことなんだヨネ」

 金箍を床に突き立てると、ズンと思い音が鳴り響く。

「これじゃ、人を殺せナイ。殺傷能力はないからネ」

 けれども、紺が力を入れてそれなりの速さで相手…人間の急所を突けば、相手は簡単に気絶した。もしかしたら、本気でやれば殺せたのかもしれない。だが、今まではあえて、相手を気絶させて身の危険を回避してきたのだ。

「俺ね、幻ちゃん」

 寝転んで話を聞いてくれている相棒に、彼はへらりといつものように笑った。

「人を、殺す覚悟ができたヨ。この前、銃で撃たれたことあったでショ?あの時思ったんだ。もしも撃たれたのが俺じゃなくて、幻ちゃんだったら」

 すぅと紺の目が細められていく。

「俺はあいつから銃を奪って、殺しテタ。それこそ、なんの躊躇いもなく、ネ」

 低い声音に、幻は軽く嘆息して目を閉じる。

「…俺は紺が人を殺そうが、なにか犯罪を犯そうが、どんな時でも君の味方でいるよ。湊さんに話すのが、怖い?」

 それに、紺が降参だというように両手を挙げて無意識に入っていた肩の力を抜いた。

「バレてたか。そーなんだヨネ。怖いんだヨ。なんか、怒られそう」

 乾いた笑い声に、彼は苦笑する。

(紺の気持ちはわからなくもない。湊さん、怒ると怖いからなぁ)

 昔、紺と二人で雀蜂の巣を見に行こうとしたことがある。その時、計画をたまたま聞いていた湊が危ないことはしようとするなと、とんでもない剣幕で叱ってきたのだ。その時のことは記憶に新しい。親子ともなると、紺の方がよっぽど叱られてきた回数は多いだろう。

「うーん…でも、紺ももう大人なんだからそこまで強くは言われないと思うよ?たぶん」

「そのたぶんが怖いんダヨ」

 ごもっともである。

「まぁ、旅に戻るまでには話さなきゃなんないんだケド。その時、幻ちゃん隣にいてクレル…?」

 どこまでも弱気な紺に、幻は笑いながらうなずいた。


 湊と鹿波が道場に戻ると、庭で幻がコロンと遊んでいた。あまりにも無邪気な笑顔で遊んでいるので、二人は少しの間こっそりとそれを覗き見ていたのだが、目があった。

 ぴしりと音を立てて固まる幻に、二人はあはははと乾いた笑い声をあげる。

「俺は旅に出ます。さようなら」

 真顔で言って、彼は不思議そうに自分を見上げてくるコロンの頭をそっと撫でてから庭…というか、敷地を出て行こうとする。

「ちょ、おい待て待て。紺置いていっていいのかよ?」

 湊が慌ててその腕を掴んで止める。

「くっ、話してください湊さん!俺はもうこの街にいられません!」

「はいはい、恥ずかしいからって逃げないの。いいじゃないか、見られたって」

 鹿波が苦笑混じりに幻の肩に手を置いて、にっこりと微笑む。その笑みが今は鬼のようだ。

「…ほんと、腹立つ」

 舌打ちして言う幻に、鹿波は傷ついたような顔をして項垂れた。

「…やっぱり、幻が冷たい…」

「ははは」

 さすがに気の毒になって、湊は乾いた笑い声をあげて目を半目にする。紺は割と気を使ったりするので、今のような扱いをされることはない。まぁ、たまに心にグサリと刺さることを言われることもあるが。

「卯月は性格悪いからなぁ」

 しみじみと言う湊に、鹿波はひどく不満げに顔をしかめた。

「それ、湊にだけはぜっったいに言われたくないんだけど。幻の性格ひねくれたの、半分くらいは君のせいだと思うよ?」

「それ紺にも言われた。けどもう半分は?」

「…僕のせいかもね」

 それに、彼はふふんと鼻を鳴らす。きちんと自覚があるのならば良いのだ。

 そんな大人たちの会話をガン無視し続けていた幻が、冷ややかな視線を向けてコロンを抱き上げた。

「あんな人たちの近くにいたらコロンも悪い子になっちゃうから、あっちに行こうか」

 にっこりと自分に笑顔を向ける幻に、よくわかっていない様子のコロンが尻尾を振って、元気よく鳴いたのだった。


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