⑦
昔から鹿波と一緒に買い物に来ていた八百屋の女性に、幻はにっこりと笑って声をかけた。
「おばさん、おはようございます」
「あらあら!幻くん、帰ってきたって言うのは本当だったのね。昨日子供達が騒いでたのよ。最近鹿波さん全然姿を見せないから、死んでるんじゃないかって心配してたんだけど…」
おほほほと口元に手を添える女性に、彼は苦笑した。
「一応生きて元気ですよ。湊さんのところにお世話になってるみたいで。今日は俺がご飯を作ろうと思って、食材を買いに来たんです」
「そうなの!じゃあ、久々に会えたからいっぱいおまけしておくわね。鹿波さんにしっかり食べさせてあげて」
頼んでいないのに次々と野菜を包んでいく女性に苦笑して、幻はうなずいた。
その後もどの馴染みの店に行っても同じようなことがあったため、家に帰るときには幻の腕には沢山の食材で溢れていた。
(ありがたいけど…結構きつい…)
この街の大人はみんな優しく明るい。だが、その優しさは同情からきていることを、幻と紺は知っている。
本当の親がいなくてかわいそう。血の繋がりがない他人と暮らしてて辛くないか。母親の代わりがいなくて寂しくはないか。
そんな思いが、どうしてもこの街の大人たちには少なからずあるのだ。それを辛いとは思わない。なぜなら、それが事実だからだ。言いがかりでもなんでもない、それが真実。彼らの優しさを煩わしく思わないのは湊と鹿波のおかげだ。
湊と鹿波は、紺と幻に血の繋がりがないことを物心がついてすぐに打ち明けたのだ。街の人々から聞くよりも、きちんと自分たちから打ち明けた方がいいだろうとの判断らしい。
鹿波から血の繋がりがないと聞いた時、幻は特に驚かなかった。当然だ。髪色や目の色が明らかに違かった。黙ってうなずいた幻に対して、鹿波はふわふわと柔らかい笑顔で幻を抱きしめた。
『僕たちに血の繋がりがないことはどうしようも無い事実だけどね、街の人たちにどう思われようが何を言われようが、僕たちは親子だよ。幻って名前をつけたのは君が赤ん坊の時、
とても穏やかで、柔らかな声音で言われて、幻はらしくもなく鹿波に抱きついて大泣きした。もしかしたらずっと不安だったのかもしれない。いつか、この優しい人にも捨てられるのかもしれないと。鹿波は大泣きする幻に戸惑いながらも必死にそれを落ち着かせようとギュッと抱きしめてくれていた。それがとても嬉しかったのを、よく覚えている。
(うーん…今考えるとすっごい恥ずかしいな)
それから約一年後に、紺に会いに行ったのだ。自分と同じような境遇をもち、父の友人の息子である、伊月紺という人物に、幻はどうしようもなく心惹かれた。
「会いに行ってよかったな…」
ポツリとつぶやいて、彼はふっと笑う。ようやく家の前にたどり着いた。
「さぁて、父さん起きたかな」
足で玄関の引き戸を開けて、どさどさと本日の収穫を置いた。軽い足音が聞こえてくる。
「おかえり。いっぱい買ったねぇ」
まだ少し眠そうな様子の鹿波がのんびりと言った。それに、幻は苦笑する。
「父さん、街のみんなに心配されてたよ?全然買い物に来ないけど生きてるのかって」
「えぇ…ああ、たしかに。最近行ってないなぁ。湊のところ行ったり、家にある残り物適当に食べたりしてたから」
なんとも生活力のない発言に、幻は肩をすくめる。
「はぁ…で、これはほとんど買ったものじゃなくて貰い物。ありがたく食べようね」
「そうなんだ。じゃあいつも以上に感謝して食べなきゃね。今日は僕も作るの手伝うよ」
「…うん、お願い」
それに、鹿波は目をしばかせる。
「驚いた。いつも手伝うの断られるから今回もそうかと」
「別に…たまにはいいかなって」
微笑む幻に、彼は不思議そうに首をかしげる。
「ふーん…?」
「ほら、早く作ろう。俺、また後で紺のところに行かなきゃならないんだから」
一度置いた食材を持てる分だけ抱えてから台所に向かう幻を、鹿波は不思議そうに眺めるのだった。
紺が作った朝食を食べながら、湊は縛っていた髪をほどき自然に乾くまで待っていることにした。が、食べている最中に目をかかるので、やはり邪魔である。
「やっぱ縛っちゃ…」
「ダメ。そんなに邪魔なら切れば?」
なんだか今朝も同じようなやりとりをした気がする。
「…面倒なの」
幻に返したように言ってから、湊は味噌汁を啜った。
「ていうか、お前も人のこと言えないくらいには髪、伸びてきてるからな」
言われて、紺は少しだけ視界に侵入してきていた黒い前髪をつまむ。
「タシカニ…」
そんな息子の様子を見て、湊は立ち上がって台所の引き出しををごそごそと漁り始める。それを不思議そうに首をかしげながら、紺は見守った。
やがて目当てのものを見つけたようで手の動きを止めて、座って机の上に一本の碧い髪紐を置いた。
「これやるよ。邪魔の時に髪括りな」
「…アリガトウ」
嬉しそうに笑って受け取る紺に苦笑して、彼は頰杖をついた。
「ちなみに、それも俺が若い時使ってたやつな。お下がりだ」
「へェ…」
たしかに使い古された感がある。
「旅で誰かと戦う時、使うネ」
何気なく言った言葉だったのだが、湊が微妙な面持ちをする。それに、紺は首をかしげた。
「どうかシタ?」
「…んー、紺。お前さ」
食べ終わった食器を積み重ねて隅の方に置いて、湊は居住まいを正す。
「人殺す覚悟、できたよな」
語尾に、疑問符がないのは明白だった。あえての断定。有無を言わせない、無言の圧力。
湊の瞳の奥がきらりと紺を試すように光った。
紺は意外なまでに、至極冷静だった。もしかしたらこうなることがわかっていたのかもしれない。時々、ここに戻ってから湊が自分を見る視線の中に鋭いものが混じるのを感じていたのだ。
「ウン」
間が空いてしまったが、ゆっくりと、けれども大きく、紺はうなずいた。
「人を殺してでも守りたいものは?」
「幻ちゃん」
即答である。
間髪入れずに言い切った息子に、彼は目を伏せ俯いた。よくみると小刻みに肩が震えている。それに、紺は怪訝そうに眉を寄せた。
声をかけようとしたところで、湊が顔を上げた。その表情を見て、彼は心底呆れたように顔をしかめる。
湊は笑いを堪えていただけだったのだ。
「あっはははは!」
ついに声を上げて爆笑し始めた義父に、彼は深いため息をついた。だが、お陰で無意識に張り詰めていた緊張が一瞬で溶けた気がする。
「…ちょっと、結構真面目な話だったヨネ?」
いつまでも笑っているので、さすがに睨みつける。
「いや、悪い…ぷっ」
一発蹴ってやろうと机の下から足を上げたがかわされてしまった。
「チョット…」
「うん、ごめんな。いやぁ、予想はしてたけどまさかあんなに間髪入れずに言われるとは思ってなくて、おかしくてな」
くくくと喉の奥で未だ笑っている湊を睨みつけて、紺はお茶を啜った。
「で、真面目な話」
思わずむせそうになるくらい、一瞬で湊の雰囲気がガラリと変わった。紺はそっとお茶をおく。
「お前にその覚悟ができたことは、再開して一眼でわかったよ。顔つきが全然違うんだ」
腕を組んで、人の悪そうな笑みを浮かべる。
「で、だ。一番大切…知っておいて欲しいことは、人を殺すってことはつまり、自分も相手に殺されても文句は言えないっていうこと。それだけは、忘れるな」
その言葉が、視線が。自分の中にすぅと音を立てて溶け込んでいくのを、紺は感じた。
「ウン。忘れない」
噛み締めるように、紺は言う。
「ならいい。幻が来たら、お前にいいもん渡してやるよ」
ふっと笑った湊に、紺は肩の力を抜いて首をかしげた。
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