⑥
初撃で巴の腕力や握力が弱まっていたのもあり、疲労が溜まって手の力が緩まったのだろう。
「その腕でここまでやれたのは褒めてやる。けどなぁ、もう限界だろ」
意地の悪い笑みを浮かべて男が刀の切っ先を巴の喉笛に当たる。
一応銃の引き金に手をかけているが、少しでも動かせば殺されるだろう。
幻がそっと懐のナイフに手をかけようと動いたが、男がそれに視線を流す。
「変な動きはしねぇ方がいいぜ?あんたが俺をヤる前に、この女の首が飛ぶ」
「…でしょうね。けど、あなたに彼女を殺す度胸がありますか。今まであなたの戦いをずっと観察していましたけど、致命傷を与えられる機会はいくらでもあったはずだ。なのにそれをしなかった」
微笑んで、幻はその瞳を見る。それに、彼は面白そうに笑った。
「そんなの、すぐに終わっちまったらつまらねぇだろ。俺は戦いが好きなんだよ。あんたのことも正直すぐに殺すこともできたが、そしたらこの女はもっと弱かった。だから殺さなかった」
「なるほど。戦いは楽しむものですか…いいですね。何事も、一度きりの人生楽しんだ者勝ちかもしれません」
食えない笑み。男が首をかしげる。
「あんたら旅人だろ。なんでこの家に近づいた」
「復讐です。私の母がこの家の主に謂れのない言いがかりをつけられたせいで、噂が広まり、私たち親子は街の住民たちからそれはひどい扱いを受けました。母は心労がたたり、一年前に亡くなりました。私たちの人生を狂わせたこの家が憎い。同じように壊してやろうと、ここまで来ました」
怖いくらいの美しい笑みを浮かべて、幻はすらすらと言葉を紡いだ。
(流石幻さん…)
動けない巴は心の中で呆れつつも感心する。この状況下でよくもまぁ、ああもすらすらと話せるものだ。すっかりと男は幻の話に引き込まれている。
「その女性は腕が立つので、用心棒に良いと思ってここまで共に来ましたが…あなたの方がよほど腕が立つようだ。そうだ、よければ私と共にこの家に復讐しませんか。あなたが味方になってくれれば、心強いのですが」
それに、彼は喉の奥で笑った。
「そいつは面白そうだ。別に俺はこの家に執着はねぇしなぁ。けど、この女はどうする?」
幻がにっこりと笑った。
「殺してくれて構いません。彼女には申し訳ないですけど」
あまり申し訳なさそうには見えない様子で言う幻に、男は口元に弧を描いた。
「あんた見かけによらず悪人だなぁ。ここまで一緒に旅してきた仲間を簡単に見捨てるとは」
「おや、不満でしょうか」
「いいや、嫌いじゃねぇよ。そんじゃ、遠慮なく」
男がとどめを刺そうと刀を振り上げる。一瞬巴が幻の目を見る。彼は安心させるように目尻を和らげた。それに、彼女はそっと目を閉じる。
「あばよ!」
幻が楽しそうに、笑った。
「ま、嘘なんだけどね」
それに目を丸くして動きを止めようとした、その時。
背中と左足に、鋭い痛みが走った。男が息を呑み、刀を落とす。膝をついた。立て続けに腹を思いっきり蹴り飛ばされる。
「カハッ…!」
吹き飛ばされて、男は吐瀉物を地面に吐いた。
「おぉ、よく飛んダ」
満足げな声に、歪む視界でその人物を捉える。
黒髪を緩く一つにまとめて、猫のような形をした黒い瞳。口元には、ニンマリと笑みを浮かべている。
「アンタ強そうダネ。今の状況で後ろから襲ったのは勿体なかったカナ。時間があったら、ちゃんとヤり合いたかったナァ」
笑う紺に、男は咳き込みながらも声を上げて笑った。
「あんたも相当強いべ…俺の仲間を短時間で倒してきた」
「ソーダネ。あの二人も十分強かったんダケド。俺の大事なヒト、傷つけたから」
紺の瞳がきらりと輝いた。暗に最初は手加減をしていたと告げられる。男はため息をついた。ゆっくりと立ち上がる。足と背中に刺さったナイフを、抜き取った。鮮血が流れ出る。
「本気でやったらすぐに終わった、と」
それには返事をせずに、彼は接合した三節棍を構える。
「巴、下がってもらってもイイ?」
愉しそうに笑う紺に、彼女はそっと銃を下ろして身を低く。
「もちろん。私も疲れたもの」
それに笑って、目の前に立つ満身創痍の男を見据える。
「…
名を言って、笑いながら刀を構える。
「伊月紺」
紺も同じように名乗って、三節棍の接合を解き、構える。
二人の間に緊張が走る。龍の機動力は皆無に等しい。次が、最後だ。
同時に地を切った。一瞬だけ影が重なる。
紺の右腕と右頰から血が流れた。龍の体がその場に崩れ落ちる。
頰を伝う血を拭って、腕を下ろした。紺は巴に笑いかける。
「お疲れサマ。幻ちゃん守ってくれてありがとう」
それに、彼女は申し訳なさそうに眉を寄せる。
「守りきれなかったわ」
「いや、それは俺の責任。距離があったから二人には届かないと油断シテタ」
ちらりと胸を撫で下ろしている幻を見る。申し訳なさそうに自分を見つめる紺に、彼は笑った。
「大丈夫。そんなに深い傷じゃないよ」
「本当…?」
「心配性だなぁ」
ため息混じりに肩の部分だけ見せてやる。たしかに、そこまで深い傷ではなかった。それにようやく安心したように、紺は笑った。
「…それよりも、紺さんの怪我の方がひどいと思うわ」
未だに流れている血を見て、巴が苦笑する。
「本当だよ。自分の心配をしな」
不服そうに言う幻に、紺は苦々しい顔をした。
「ハーイ…」
巴が手ぬぐいを引き裂いてそれを紺の傷に巻きつける。縛る瞬間、紺は顔をしかめた。それに少し笑って、巴は幻のそばにいたネロの頭を撫でる。
「貴方のおかげで最初の攻撃を躱せたわ。ありがとう、ネロ」
それに、ネロはふふんと自慢げに胸を張る。紺がため息をついて、肩をすくめる。
「俺にはお礼ナイノ?」
「もちろん紺さんにも感謝してるわよ。ただ、実力差を見せつけられて不満なだけで」
にっこりと微笑む巴に、紺は口をへの字に曲げた。
「えェ…」
「嘘よ嘘。ありがとう」
笑う巴に、紺は目をすがめる。なんとなく、少なくとも今口にしたことが半分は本心だったような気がしてならなかったが、紺はあまり深く考えるのをやめた。
「…ドウイタシマシテ」
諦めたように言って、紺は三節棍を背中に収める。
「それにしても、幻さんは商人なんかよりもよっぽど役者をおすすめしたくなったわ。演技がとてもお上手で」
呆れの混ざった笑みを浮かべる巴に、紺も何度もうなずいた。
「いっそ感心するヨネ」
「…それは褒めてる?」
幻が苦笑した。二人は顔を見合わせて小さくうなずく。
「本当かなぁ…」
若干遠い目をする幻である。
「まぁ、それで助かったからいいけれど」
「俺も、あれがあったから気付かれずに攻撃デキタ」
笑う二人に、幻は少し申し訳なさそうに笑った。
「…正直、巴さんには悪いけど結構楽しかった」
それに、彼らは目を瞬かせる。そして、苦笑した。幻が味方でいて良かったと、二人は心から思った。
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