第21話 穏やかな卯未と罰する卯未
卵未は姿勢を低く低滑空し飛ぶ。
狙うは締結の両足。翼を構え、両足を切断し転ばす気だ。
斬られる直前。締結は軽く跳びあがり回避する。
「そんな顔で戦いやがって!凝り固まった頭のやろーは、足元掬われて、それで終わりよぉ!!」
足元にある卵未の頭に、かち割らんとばかりにパイプを振り下ろす。
が、卵未は地面に足をつけ、勢いよく立ち上がった。
「はっ!?」
パイプを防ごうとしない。理知的でない行動に締結が動揺する。
卵未は額でパイプを打ち付けられる。両目が異様な方向に揺らぐ中、残った足をバネのように締結に蹴り込む。
先端を鋭く細めた足は、締結の腹をまっすぐ貫いた。
「うごはっ!お、おあぁ……!?」
締結は、吐きそうな顔で硬直する。
卵未もまた、脳震盪を起こしたらしく目がバラバラにぶれる。が、すぐに目線を戻し、貫いたばかりの締結の腹を見る。
血だ。人間を苦しめてる奴が腹に穴を開けている。ざまを見ろ。
卵未は、心の中で吐き捨てた。
「お、おおぉおま、おまえぇ……!」
締結は抜け落ちる息を振り絞り、卵未の両肩を掴む。
そして、片足で蹴り剥がし、腹から卵未の足を引き抜いた。
「俺ぁ、戦いの競い合いをしてえんだ……! 変に自分を守る事も考えないような、馬鹿みてえな奴と戦いたくて、引きずり込んだんじゃねえ…!」
指を指して、卵未に怒鳴る。
締結は派手に暴れつつ、お互いに競い合うような闘争に恋い焦がれる身だ。この体になってから、楽しむのは限界までの競い合い。お互いを嵌めようとばかりの、即興の捻り合い。それを味わい続けるのが、命よりも大事な締結の価値であった。
だが、だからこそ今の締結は笑えない。先ほどは、自分が出し抜かれ真っ二つにされたことに驚き、上手を取られたとむしろ嬉しくなっていた。
それなのに。今のこっちの攻撃を無視した自暴自棄の一撃だ。
良い卵だと思ってたのに、産まれる前に腐ってしまった卵だ。そうとさえ言いたい気分だった。
「ちっ……しけてるぜ! 戦いって、もっと攻防楽しむもんだろうがよぉ!」
腹がまだ修復しきってないのに、締結は再び卵未にパイプで殴りかかる。
今度は、卵未の首を横狙いだ。
「……」
卵未は言葉を返さない。パイプが首に当たった。
だが、卵未は首を打たれると同時に、翼を縦に振る。
狙いは、今パイプを振るっている持ち手。自分の首と引き換えに、締結の腕を切断した。
「うぎっ、がああぁぁあぁああ!!」
締結の絶叫が響き渡る。
卵未は地面に倒れ、締結も地面に倒れ、腕を抑えて悶える。
パイプで打たれたばかりの卵未は、倒れて首を痛がろうともしない。ゆっくりと起き上がり、のろのろと締結に歩み寄る。
「い、いってぇ……いでぇ……! それに、わくわくもしねぇ!外と最初にここに来たときは、もっとおもしろやつだったろ、おまえぇ!」
「……うるさい。だまれ、だまれ。おまえが、おまえらが、先者が。助けてって言ったのに、やめてって言ったのに。なんで、なんで、なんで!!」
ぶつぶつと言葉を呟いた卵未は、足を振り上げる。
そして、締結の残った腕を踏み砕く。
足を砕く。鎖骨を潰す。潰すたびに、締結の絶叫が響いた。
「ちぐしょう!ぢぐしょう!!でめえ、いっだいなにがあったら、そんながおになるんだよ!!」
助けてとは言わない。締結は痛みと苛立たしさを混ぜた声をあげる。
そのとき、その口を二度と吐かせないようにとばかりに、卵未は締結の喉を踏み潰した。
「…………」
そこで締結の意識は落ちた。最後に締結は思う。一人になったとたんに、些細な一言でこんな情緒不安定に、見境の無い復讐に溺れる奴を連れ込んだのは、間違いだったと。
こいつもまた。種族関係なしの、心の歪んだ化け物だと。
ああ、残念だ。本当に、本当にもったいない。
せめて復讐以外で戦えるようになれば、こいつはもっと幸せになれるだろうに。
それだけ、締結は思った。
濁流の音だけが聞こえる。そこには、締結の残骸と息を切らして焦燥しきった顔をした卵未だけが居た。
静かになった。敵はもう居ない。
だが、卵未の衝動は終わっていなかった。
敵が居なくなった。本当にそうか?憎悪が収まれば、今度は疑問、その次に恐怖が沸き起こってくる。
ここは、敵の沼の中だ。つまり、ドッペルゲンガーだけが通り方を知っている回路だ。
まだ、敵は居る。まだ、人間を、
「……どこ、どこだ」
卵未は辺りを見回す。すると、円筒の端の方で壊れたバイクが転がっているのが見つかった。
あった、あれだ。あれがちょうどいい。
卵未はバイクを持ってくる。
そして、足爪でガソリンタンクに穴を開けた。
「……うん、残ってる」
翼を広げ、バイクを引きずり。締結の残骸にガソリンを浴びせた。そのまま、離れたところまで一本の線を引く。
これで良し。着火線もバッチリだ。
「…………」
あとは、簡単だ。爪を素早く引いて、ガソリンを着火させる。
さようなら、化け物。
吐き捨てるように心の中で叫び、足爪を構えた。
「卵未!!」
頭上から声がした。
卵未は咄嗟に空を見る。
真っ暗な先の見えない暗闇から、エリカが降りて来ていた。
「!……エリカ」
「卵未ー!!」
着地次第、エリカが駆け寄ってきて跳び込む勢いで抱き着いてきた。
「良かった!無事だったのね卵未!いきなり貴女だけが飲み込まれて、沼も閉じちゃって……もしかしたら、沼に入っただけで消化されちゃったりするんじゃないかって!ほんっとうに心配したんだから……!」
エリカがこんな風に泣きじゃくってるのを見たのは、初めてだった。
口癖さえも崩れて、ぐずぐずに泣いている。先者が、誰に泣いてる?じゃない、泣いてくれてる?
「!……すごい……卵未、貴女、一人であいつ倒しちゃたの!あらまぁ……!」
頬を赤らめて、エリカが笑顔になる。
卵未も、ぼんやりとした顔でエリカの視線の先を見る。
そこには、バラバラになった締結の残骸があった。
「……!!」
それを見て、卵未は絶句する。
今、エリカはこれを見て喜んだのか?この、ばらばらの肉片を見て?
やっぱり、先者はだめだ。感覚が違う。今すぐ、自分が殺される前に殺さなくちゃ。
卵未は、翼をゆっくりと持ち上げる。
「卵未……貴女、私が思ってたより、もっともっと強いのね……安心したわ……良かった……」
か細く、安堵するエリカの声が耳に入った。
…………。
……ちょっとまて。今、目の前にいる先者は、エリカは怪物か?そうは見えない。エリカは、感性が違うけど、人の事を思ってくれる人だ。
そういえば、ちょっとまて。こんな肉片って、
私だ。私がやった。こんな悍ましい景色を作ったのは、わたしだ。
先者はおかしい?エリカは別じゃないか。
多くの人が苦しめられてるのが怖い?私が過去にされたことに、私が私の為におびえてるんじゃないか。
わたしは、ワタシは、私は。
「う、うぷっ……」
「?卵未……?」
「うっ、おえぇぇぇえええ!!」
自分の脳が限界を越え。地面に向かって嘔吐した。朝方食べただろう殆ど消化した何かが地面にぶち巻かれる。
「卵未!?」
エリカが青ざめて卵未を支える。卵未は、今になって全身が震え始めて止まらなくなった。
エリカは心配してくれている。今、自分はこのエリカを殺そうとしてなかったか?心配、してくれたのに。
先者は危険だと言う自分に親しく感じているエリカ。おぞましい光景をする先者が許せないと言う自分にその悍ましい光景を先者にぶちまけた自分。自己矛盾が体を支配する。
自分自身が、自分自身に殺されたのを感じた。
「卵未……大丈夫、大丈夫だから。安心して、ゆっくり落ち着いて……敵は、もういないから、ね……?」
エリカは、卵未の思考していたことが分かったのか分かってないのか。とにかく、卵未の顔色を見て、そっと背中を撫でた。
撫でられる度に、卵未は安心してくる心地と、
「……ごめん」
「えっ?ど、どうしたの…?」
「ごめん、ごめん、ごめんなさい。ごめん、エリカ……」
何があったのかと戸惑うエリカに、謝る声ばかりが出てしまう。
ああ、今になって鬼島リーダーが、自分にエリカを付けた理由がようやくわかった。
本人スパムのうわさ事件よりも前の私は、こんなにも狂ってたのか。
偏見と憎しみに狩られ、無差別に殺そうとする怪物になり果てていたのか。
見えていなかった。純粋に魑魅境として、ヒーローをやっている気持ちでいた。
『君は、先者に対する拒絶心が激しい。魑魅境として、抑える事以上に、許せない相手を骨の髄まで罰するかのような激しさだ』
あの日、エリカとチームを組むように言われた時の、鬼島リーダーの言葉が頭に乱反射する。
先者か後者かなんて関係ない。ここには、見守ってくれる先輩と偏見で皆殺しにしたがる怪物しか、居なかったんだ。
「卵未…………」
怯えて、ごめんなさいという言葉しか出せなくなった卵未を、エリカは再び抱きしめなおした。
「落ち着くまで、ゆっくりしていいから。大変だったね、大丈夫、もう大丈夫だよ……」
自分が一番の偏見で敵意を向けていたエリカは、ただ優しく、静かに泣く声が収まるまで待ってくれた。
なんで、こんなに静かに待ってくれるんだ。なんで、出会いがしら敵意しか見せてこなかった私を、こんなに静かに、見守ってくれるんだ。
「……エリカ…………」
またも、エリカが一段と不思議な人に見えてきた。
知りたい。エリカの事がもっと知りたい。
そして、今度は敵意じゃなくて、エリカの為に何かしたい。
自分の頭の中に、またも自己矛盾を攻め立てる声と、敵は全部殺せと言う声が聞こえる。
うるさい。だまれ。そんな声で、今手を差し伸べてくれている、目の前の優しさを隠さないでくれ。卵未は卵未に向かってそう叫んだ。
どうかこのエリカへの気持ちを、憎悪で飲み込まないでくれ。そして、頭で思ったことをわすれさせないでくれ。
どうか、エリカの優しさに。素直にありがとうと返せる自分にさせてくれ。
反射し続ける心の中で、卵未はただそう祈った。
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