第30話 沼の王

「……利園、校正……!」


卵未は絞るように声を挙げる。やはり、森の中でみたスーツ姿の青年は、ドッペル達のリーダー格。利園校正社長本人で間違いがなかった。

 利園もまた、艦上に倒れ伏している卵未に目をやる。


「君は……。なるほど、侵入者とは君たちだったか。先日は挨拶もできず、失礼だったね」

「貴方が、利園校正だな…」


 卵未はエリカに目を向ける。体を蹴り飛ばされた分と、脚の痛みがきているようだが。幾分自分よりは軽傷そうだった。エリカが無事なのなら、自分は時間を稼ぐに限る。


「貴方が、あの事件を。人間から生気を搾取してたんだな!」

「ええ、その通りですよ。それが私の使命ですので」

「使命?」

「はい、そのまんまですよ」


 利園は淡々と喋り、頷く。


「私もまたドッペルゲンガーなのでね。自分の地位も存在も無く、ただ本物の人間の為の代用品でしか居られないということが、どれほど辛いことかよく分かっております」


 代用品?卵未はその言葉に妙な疑問を覚える。

 たしかに人間とドッペルゲンガーは、見た目がほぼ本人の生き写しのようにそっくりではあるが、それは姿を奪う恐怖だ。

 人間の代用品、なんて言葉はどうも合わない気がするが、どういう意味なのだろうか?

 だが、利園はこちらの言葉を待とうとはせずに、さらに言葉を続ける。


「同意を受けられないのは、承知しております。こればかりは、ドッペルゲンガー以外の方々には利など無い話。止めに来られるのも、当然の事です」


 利園は、そう言ってうんと頷いた。その抑揚の無さと言えば、まるで淡々と説明会をしているプレゼンターのようだった。


「……なるほど、その使命の為なら、人とも魑魅魍魎とも共存はできないと……」

「ええ、我々の為のエゴですので」


 卵未もまた、頷いた。

 どちらのバランスも考えず、土地を踏み荒らす。そうであるのなら、魑魅境の真正面の敵だ。

 今だ、エリカ。


織二口おりふたぐち!!」


 痛みを抑え、息を整えていたエリカが起き上がり、マントを翻した。

 エリカの黒マントに再び血が張り巡らされ、獣の大きな両手が利園へと飛んでいく。

 それに、利園は怯むことも無く、ただ見ていた。

 獣の両手が、橋の上の利園に直撃したように見えた。


「……なっ!?」


 だが、それは違っていた。

 梨園の足元から、何かが溢れている。それは、沼だ。

 沼は利園の足元から噴き出し、利園の正面に壁のようにそびえると、織二口を軽々と受け止めていた。


「あ、あっぶねぇ」

「締結。貴方は油断しすぎです」

「…防がれますなんて!」


 驚くエリカ。そして、利園は滑るような動作で静かに織二口の両手に触れる。

 そして、次の瞬間。手首をくいっと捻り、織二口の両手をガクッと折った。


「!!織二口!!」


 エリカが、掛け声とは違う悲鳴に近い声をあげた。

 卵未が、その場から飛ぶ。

 飛んだ先は、正面の利園だ。


「離せ、このやろうっ!!」


 卵未は、織二口の両手を追っている利園の両手を蹴とばし剥がす。

 利園は手を剥がされると。そのまま片手をゆっくり横へ伸ばした。

 今度は、利園のスーツの裾から沼が溢れ、利園の手へとそのまま流れていく。沼はあっという間に手を包み隠し、そのままどんどん肥大化していく。


「…なっ!?」


 卵未が蹴り回り終え、体勢を整えた頃には。利園の沼の拳は人一人程の大きさになっていた。

 信じられない。沼の操る速度も、これまでのとは比べ物にならない。

 そのまま、利園はなにも言わず沼の拳を卵未に殴りつけた。


「ぐあっ!!」


 全身を殴打される卵未。こぶしは完全に振り切られ、卵未はエリカの真横へと叩きつけられてしまった。


「卵未!!」


 エリカが急ぎ起き上がらせる。だが、卵未はせき込むと血交じりの痰を吐いた。

 甘かった。二人でなら押し切れるかと思ったが、それよりも利園は遥かに強い。

 エリカは、卵未を抱きかかえると、再び翼を広げた。


「押し返せない、引くわ!!」


 そう言い、エリカは飛び上がる。


「させるかっての!」


 エリカ達が飛ぶのを視認すると、締結がまたも跳びかかってきた。

 しかし、エリカは振り返ると織二口を展開する。そのまま獣の顎で締結を喰らう。


「がはっ!」

「二回も、叩き落とされませんわ!」


 そう叫び、地表へ向かって締結を叩きつけた。

 鉄の地表に当たり、締結は一弾みして倒れる。


「ごふっ!?」

「はぁ……才能はあるのに」


 利園はそんな締結を見て近寄ると、ゆっくりと身体を起こした。


「起こしてる場合かぁ!!利園さんよ、あいつら逃げちまうじゃねえか!!」

「ええ、ちょうど飛んでいますね?」


 二人のドッペルゲンガーが見上げる空では、空に浮かぶ満月に成りかけの月、沼の檻、そしてそこへ向かって飛びこむエリカの姿があった。


「こじ開けてでも逃げますわよ」

「う、うん……!」


 エリカは沼の檻に手を掛け捕まり、力づくでこじ開けようとする。

 卵未は、エリカに片手で抱きかかえらえ、朦朧とした状態で地上を眺める。

 すると、目線の先にゆっくりと手を挙げる利園の姿があった。


「……!! エリカ、檻から離れて!!」

「えっ!?」


 咄嗟に言われたことに、エリカは従い檻から飛び離れた。

 その瞬間、エリカが居たところに、沼の檻から無数のトゲが跳びだした。


「ひゃっ、と、トゲが出ましたわ!?」


 危ないところだった。もし、離れるのが少し早かったら。それは、エリカと卵未が先ほどまで居た場所を通っているトゲの数を見れば、目に見えていた。


「ふむ……。先に気づかれたか」


 艦上で利園が意外そうに声を出す。


「すげっ、あんなことも出来るんすか」

「ええ。我々ドッペルゲンガーと通り水。繋がりが強ければ、身体の一部も同然です。しっかりと練習すれば、複雑な形状を作った後も、更に変形させられます」

「そうなのか……あー、身に纏えれば再生できて、もういいやって思った。損したなー……」


 締結が悔しそうに頭をポリポリと掻く。


「ふふ、諸々が終わったら。誰かから学びなさい。今は、侵入者です」


 利園はまたも両手を空に掲げる。


「この檻。こじ開けようにも攻撃は続きます。少なくとも、二人そろっては逃げられませんよ」


 そう言って、利園は目を細め笑った。

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