第四章:ハーピーは街道に似合わない
第32話 雨の降る街道
卯未は、雨の中を飛んでいた。
エリカは、雨の中でも飛べるんだよね。なんて言おうとして、横を振り向く。
でも、そこには誰も居なかった。
それだけで、何が起こったのかをまた思い知らされてしまった。
「……エリカ…」
翼一面に雨が降りかかる。体全身が冷えるが、それよりも何より、心臓の奥底が冷えるような寂しさを感じた。
卯未はエリカに逃がされた後、エリカの言われるがままに、タンカーから逃げた。
これ以上敵の追撃が入らないよう、空高くへ飛び上がり、雲の中へ隠れた。更に上へ上へと飛んだ。
できる限り上へと必死に飛んでいたら、雲を突き抜け、以前も見た雲の海にそれを照らす明るい月と、心を震わせそうな景色が広がっていた。
『エリカを置いて来た』
だけど、こんどは心の中が別の事を咎めだした。
同じ景色なのに、感動なんてできる余裕も無かった。
「はぁ、はぁ……はやく、本部へ。エリカが……」
エリカが危ない、だから本部へ行かないと。自分に言い聞かせるように、喋りながら空を飛ぶ。
でも、その言葉が聞こえたら安心しなくちゃいけないはずなのに、逆に体も心もどんどん疲れていくようだった。
自分を逃がした後にエリカはどうなった?
一つでさえ痛いであろうトゲが、あんなにもたくさん。
自分の気持ちが、見た景色に殺されそうになるのを感じる。
「……うぅっ…」
身体が、限界を迎えてきた。既に全身が軋み、頭を何度も打った後だ。そこに翼も含めた広い面積で受ける冷たい雨だ。鳥だけれど、本来の鳥も、時にはこんぐらいの雨に耐えながら飛ぶのだろうかと思うと、尊敬してしまう。
そこで耐えられず、翼のバランスを崩して地面に落下し始めた。
周りの暗さ、そして地上にはそれを照らすビル群。この落ち方も、あの時のエリカを思い出す。
「……っ!!」
駄目だ。あの時は初めてエリカを助けた時だった。
今もエリカは生きていて、あの時みたいに助けに来ることを期待しているかもしれない。ここで何も伝えられずに朽ち果てるのだけは駄目だ!
卯未はそう叫び、翼を再び広げた。
空を飛ぼうにも、広げた以上に体を起こせない。それなら、地上に目を向ける。
近づいてくるビルの屋上。前を向き、まだまだ遠くに見える魑魅境本部ビル。なるべく、人が少なそうなところに落ちるべきだ。
落ちていく先の景色で、照明ができる限り付いていないビルを探す。
深夜だからだろうか。人間達の町の大通りに近いビルが、照明がほとんどついてないのを見つけた。
「……あそこだ…」
落ちていく体の軌道を整え、ビルの横を滑り落ちていく。
そして、そのままビルとビルの隙間を降りていく。そのまま、薄暗い建物同士の隙間の道に落下した。
「うあっ!!」
水が溜まった荒々しいコンクリートの地面に肩から不時着した。
ザーッと聞こえ続ける雨音に合わせ、卯未の周りにじわりと血が染み出していく。
タンカーでの戦いで出た傷なのか、今コンクリートに擦るようにして落ちた傷なのか。それも良く分からなかった。
「はぁ……帰らなく、ちゃ」
ゆっくりと起き上がり周りを見て見れば、不法投棄されたのかいくらかの残骸ゴミが転がっている。目につかないと思って人が捨てていくぐらいだ。周りには誰もいなかった。
問題は、この大通りだ。
なるべく側面の壁に身を寄せ付けて、おそるおそる外を見る。
そこは、明るい街道だった。懐かしい人の道だった。
歩道は、つるつるとした表面のレンガタイルで舗装されていて、街道のあちこちにはお洒落な屋根が架けられて、雨よけになっている。
車の音は聞こえない。ただ、まばらに2、3人ほどがゆっくりと歩いていたりした。
「…さすがに、深夜でも人は居るか……はは、あははは……」
一旦表を見るのを止め、狭く暗い路地に戻りしゃがみこむ。
「懐かしいなぁ……昔は、あそこを通るのに、悩む必要も無かったよなぁ……」
なんだか、虚しくなってしまい顔を翼で隠す。
翼が目に見え、今度は、人間社会に合わない存在の象徴以上に、別の意味でむかついてきた。
この翼も、
偏見に塗れて、誰かをぐちゃぐちゃにしてやろうって言う、歪みの結晶だった時には使えたくせに。本当に大事な時に使えないでやんの。
さらに、みじめになってきた。
「…………でも」
卯未はゆっくりと立ち上がる。
そして、近くの残骸ゴミを足爪でごそごそと探し出した。少し探したところで、身体を一回り隠せそうなぼろ布に、ぐにゃぐにゃの長靴を見つけた。
「何としても本部に帰る。人間社会に帰ろうとするよりかは、みじめじゃないよな」
誰にともなく卯未は呟く。そして、そのごみを体に纏った。
肩からぼろ布をまわし、できるだけ中に溜まった泥を捨てると、長靴を履く。
顔より上は、それほど人間とは離れてないので大丈夫だ。ハーピーらしい部分をだいたい隠し終えると、卯未は街道に足を踏み入れた。
「……行くぞ」
卯未は、ボロボロの格好で街道を歩き始めた。
それは人間らしさにこだわっていた以前よりも、更にみすぼらしい。
行き交う人は卯未を見ては目を困惑の表情を浮かべ、人によっては横切る前に反対車線の方の歩道に移ったりする。
これでいい、これでいいんだ。卯未はそう呟く。
自分が今人間の尺度で、ゴミに身を固めた汚い人間に見えていてもいい。ただ、ハーピーだと言う事がばれて、本部に戻るどころじゃなくなってしまわなければいいんだ。
そうして、暫くの間街道を歩いていた。
「……警察に、目がつかなくてよかった」
街道を歩いていく中で、だんだんと周りの照明が少なくなっていき、活気が減っていく。
卯未は曲がり角の所で、雨雲の暗い空を見上げた。
視線の先には、暗い夜空よりも真っ黒なシルエットとしてそびえたつ、荒れ果てたビルが見えた。
まるで人間社会における、企業発展の失敗の象徴とさえ言えそうなそのビルは。活気無く見せかけた魑魅境本部ビルだった。
「……中へ…」
卯未は、重々しい足取りで玄関扉を開き中へ入る。
1階エントランスに入ってみると、それこそ企業が既に撤退した後の廃墟のようだった。
正面に受付カウンターがあるものの、明かりも何もついていない、目立った設置物もさほどない。消灯時間を過ぎた病院内でもあるように、ただ外の薄明かりと雨の音だけが聞こえた。
「うっ……」
卯未は痛みで呻く。安心しかけてしまったのか、急に意識が揺らぎ始めた。
どこだ。どこにある。卯未は受付カウンター回りを探した。
以前、
なら、逆説的に1階から食材を受ける手続きがあるはずだ。
「はぁ、はぁ……!」
体のバランスを崩し、カウンターに手をつく。その時、カウンターの端である目の前に、呼び出しボタンのようなスイッチがあるのに気が付いた。
「……これ、かな」
卵未は、翼の骨を押し当てるようにして、呼び出しボタンのスイッチを押した。
真っ暗なエントランス空間に、くぐもったぴんぽーん、ぴんぽーんという音が鳴り響く。
「
その木霊する音を聞くと、卯未はカウンターから滑り落ち、地面に倒れ込んだ。
そして、気を失ってしまった。
エントランスホールの奥の方、スタッフ専用と書かれた古びた扉の鍵を回し、中から一人の女性が出てきた。
割烹着で銀髪が目立つその人物は、このビルの上の階で銀母食堂を務める料理長、三札だ。
「なーんかしらねぇ? こんな時間にインターホン鳴らすたぁ」
三札は、辺りを見回すが、この位置からは誰も見えない。
はぁっとため息をつき、カウンター前へとぼつぼつ歩く。
「まーた悪戯好きのがきんちょかねぇ。魑魅境に喧嘩うるやつあぁ、私が一発かましたろうかっての。……って!?」
カウンターを前に回ったところで、三札は青ざめた。
そこには、雨水と血で水びだしになったまま、カウンター前に力なく倒れている、ハーピーの卯未の姿があった。
「卯未ちゃん!?」
三札は慌てて卯未に駆け寄る。しゃがみ、首元の脈を図った。
「……生きている。でも、体温が低い!!」
三札は戸惑い辺りを見回す。しかし、周りには一緒に出発したはずのエリカの姿はどこにもなかった。
いったい何があったのだろうか。でも、今は目の前の卯未だ。
三札は、割烹着が汚れる事をもいとわず卯未を抱きかかえる。
「待ってな……とにかく、もう大丈夫やからな!!」
そして、卯未を連れて、魑魅境本部ビル内部へと急ぎ連れて行った。
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