第33話 喪失感を味わえる心臓
遠くで、反響するような声が聞こえる。
慌てる人たちの声。何かの手順を支持する声。誰かが卯未と呼びかける声。
それが、乱発的に弾み続け、幾らかの時間が過ぎていった。
どれぐらいその反響を聞いていただろうか。ふと、柔らかい日差しを眼に感じ、目を覚ました。
「……ここは…」
目に入って来たのは、白い天井だった。
顔を横に向ければ、ビルの間から優しく照る日の光が見える。
今度は、反対側を見る。
そこには、椅子に座ったまま引き出しのある台に体を預けて眠る、浮絵の姿があった。
「…浮絵さん」
「……んぅ」
声に反応して、浮絵は目を擦り体を伸ばす。
それから、しばらくぱちぱちと瞬きをして卯未を見る。
少しの間があって、浮絵が跳ね上がり近寄った。
「卯未ちゃん!?」
「うわっ」
「意識が戻ったのね、大丈夫!?体の感覚、ある!?」
「え、ええ。大丈夫、です。ほら、この通り」
卯未は自分の体を起こしてみる。
今気が付いたが、どうやら自分は、ビル内の医務室でベッドに寝かされていたようだ。
卯未は、羽が布団に引っ掛からないようにゆっくりと翼を外に出し、窓にかざして振ってみせた。
動かすたびに、多少軋むが、昨日よりは断然回復しているようだった。
「……はぁ…良かった……」
その姿を見た浮絵は、安堵の息をつきながら、優しく抱きしめた。
「すみません。迷惑をかけてしまって。実は―――」
そう口を開こうとしたところで、卯未は硬直した。
一気に、昨日の出来事が全部頭の中に帰って来た。
「!!そうだ、浮絵さん!鬼島リーダーを呼んでください!!」
「えっ」
鬼気迫り顔を挙げる卯身に、浮絵はたじろぐ。
「報告があるんです。急がないと、エリカが。エリカが!!」
「エリカ君は、敵の手に落ちたのだろう」
「!!」
その時、部屋の入り口から低く重音がありながらも、どこか穏やかさのある男の声が聞こえた。
卯未も浮絵もそちらに目を向ける。
そこには、病室の入り口をくぐり、部屋の天井近くまでもある背を見せつける大きな鬼の後者。鬼島リーダーが居た。
「鬼島リーダー…!」
鬼島リーダーは、動揺を見せる卯未の目を静かに見つめる。
そして、目を閉じて何かを祈るように俯いた。
「…君だけでも、どうにか帰って来てくれて良かった。何があったのか、敵は何をする気なのか。教えてくれ」
鬼島リーダーは、静かにそう言った。
「なるほど…。本命は、集めた生気による爆破テロ、および全ドッペルの強化による騒乱の中の成り代わりか」
「はい。あのタンカーの中身は、全てドッペルゲンガーの沼でした」
卯未は、ベッドから身を起こしながら、利園校正の計画の全貌を話した。
浮絵は二人の横で話を聞きながら、顔を青ざめさせていた。
「こ、この町の人間を、みんな?」
言葉の節々に戸惑いを隠せない。浮絵は、魑魅魍魎に転生した後者の中では、今でも人間らしい姿で振舞うことができる貴重な後者だ。それゆえに、今もそれなりに人間社会に溶け込めており、おそらくそれなりに人間の知人も多いのだろう。
だから、浮絵がこの敵の計画に対する動揺は、人一倍に強そうであった。
だが、それは人間社会に離れている魑魅境のリーダーたる鬼島も遅れをとってはいないようだ。
浮絵の話を聞きながら、眉を潜めて何かを思案する。リーダーも落ち着きを見せながらも、目の前の危機に脅威を強く感じているようだ。
「……これは、緊急事態とする。魑魅境は、途中中断が不可能な緊急性の高い任務を除き、総員でタンカーに攻撃を仕掛ける」
「…!かしこまりました、リーダー。 皆さんに、緊急任務の発令と、伝達網を構築します」
浮絵は、鬼島の決断に真っ先に頷いた。
「ああ。できれば、戦闘中の連絡手段。及び現場の連絡網も組み立ててくれ」
卯未は思う。これが、エリカに託された願いの結果だ。自分は、エリカの意思を継いでちゃんと情報を持って帰れたんだ。これで、魑魅境が大きく動ける。
「……それでだ、卯未君。これから魑魅境は一斉に大きく動くことになるが、エリカ君はどうしたかな」
「!!」
浮絵もまた、卯未を見る。
卯未は、恐る恐る口を開いた。
「……私と、エリカは。二人でタンカー内部への潜入を果たし、情報を入手しました。ですが、帰還の際、敵に発見され、お互い助け…………いや、動けなくなった私を、エリカが必死に守ってくださりました」
自分は、あの時何もできていない。
ただ協力しながら進む場で、エリカだけ残して行動不能になってばっかりで。エリカばかりが、身体を保って脱出までの道を切り開いた。
「最後も……敵のリーダー格、利園校正との攻防の末、包囲網を構築され。……檻の中から、私を逃がす為に、自分を、犠牲に、犠牲に……して…………」
「…そんな……」
敵の包囲網の中に取り残され、私はエリカに最後に託された情報を持ち帰りに、逃げました。
その一言が、朝でただでさえ静かな場を、更に静かにした。
「……エリカは、私を、かばって……かばって……」
叫びそうになる。なんで自分がここに居るんだろう。なんで、優しかったエリカが生き延びれず、その彼女を一時敵視さえしてしまった私が、ここに居るんだろう。
答えははっきりしている。自分が、エリカにお返しできなかったからだ。助けてもらった分、エリカを助けられなかったからだ。
最後のタイミングまで、優しかったエリカの、優しさに甘えた結果。ここに居るんだ。
この言葉を、今鬼島リーダーに喋ったら、リーダーはどんな言葉を返すかな。ひっぱたかれるかな。
どんな言葉で取り繕うと、どんな言葉を返されようと。口にしてみれば、ただの甘えんぼゆえに生かされた馬鹿なハーピーの、失敗話でしかなかった。
「……そうか…」
鬼島リーダーが起き上がる。近くのポットから水をコップに注ぎつつ、言葉を続ける。
「君は、間違っていない。 情報を伝えた事も、悔やむことも、後悔する事もだ。 エリカ君なら、君を変えてくれると、私が思った事も間違いではなかった」
そう言って、鬼島リーダーは病室を後にしようとする。
「待ってください!」
卯未は、去ろうとする鬼島リーダーを呼び留めた。
「満月の深夜、敵の行軍が始まる。今日の深夜ですよね! 私も作戦に参加させてください!! 怪我だって、治っています!行かせてください!!」
気づいた後悔で終わらせたくない。返したい。そして、この寂しさを埋めたい。
エリカが居ないと駄目なんだ。
「エリカに帰ってきてほしいんです! だから…!!」
必死に懇願する卯未の言葉を、鬼島リーダーは遮らなかった。ただ、静かに聞いていた。
卯未の懇願の声が、荒い呼吸音だけになって少し。鬼島リーダーは振り返った。
「……エリカに帰ってきてほしい。 君から、そう言う言葉を聞けるとはね」
振り向いた鬼島リーダーの顔は、どこか寂しそうにも見えるし、ほっとしたようにも見えた。
「…身体に鞭を打ち。それでも守りたいがゆえに戦う。 その意思を否定することはできない。卯未君。君も今夜の作戦に参加してもらう」
「!リーダー…!」
鬼島リーダーの言葉に、卯未は明るい表情を浮かべた。
「だが」
鬼島リーダーが、そこで言葉を遮った。
「これは、誰かの間違いであるという事ではない。魑魅境がゆえの話だ。……エリカ君が、死体としてそこで待っているかもしれないことを、考えていてくれ」
「……えっ」
君の今の心がまた壊れない為に、覚えていてくれ。
最後にそうとだけ言って、鬼島リーダーは病室を去っていった。
「……」
卯未は、声を失ってしまった。
まるで諦めを覚えておいてくれと言わんばかりの、今の鬼島リーダーの言葉。どこか、いつもの鬼島リーダーの言葉じゃないようにさえ思えた。
声が出ないまま、卯未は浮絵の方に顔を向ける。
浮絵も、下唇を噛み、寂しそうな目で卯未を見つめ返した。
どれだけ懇願しても、もう戻せないものしかそこには無いのだろうか?
その言葉が、卯未の心臓を突き刺した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます