第34話 エリカと言う花の意味
それから数刻後。卯未はビルの屋上で仰向けに寝転がり、空を見ていた。
空には飛行機の轟音が鳴り響いていたり、穏やかに風が吹いていたりした。
「……」
そうやって、黙々と空を見ている間も、別の任務か休暇かで外に出向いていた魑魅境達が、ビルに帰って来ていた。
ある者は雲の上から屋上まで、身体にリーフィーシードラゴンのように垂れるヒレを激しくなびかせながら、高速で跳び込んできて、衝撃を伴って着地する。
ある方は風が屋上にそよそよと流れてきたかと思うと、その風を巻き取るように渦を巻かせて、その中から姿を現す、どこか精霊みたいな見た目をした人がそっと降り立つ。
他にも、人それぞれに様々だ。
大体、みな一様に卯未を見ては首を傾げて、それからビル内部に入っていった。
「…………こうやって見ると。やっぱり後者ばかりだなぁ…」
ぽつりとつぶやく。今すれ違った人たちは、みな人間としての生が何かしらで尽き、この世に転生し直した事で後天的に魑魅魍魎の仲間入りをした人たちばかりだ。
純粋な魑魅魍魎。先者産まれの魑魅境は、異様に少ない。
それは最もな話だ。魑魅境を務めていると、大体相手をするのは先者だろうと後者だろうと、人間ではなく魑魅魍魎を相手にする事ばかりである。
人間側が行動する事件を防ごうと言う話なら、先者側からもそれなりに多くの物が魑魅境に志願するかもしれない。
だが、既にこの世は人間側の領域が大半になってるんだ。魑魅境は解放軍とかでは無い。
だからこそ、魑魅境はお互いのパワーバランスを拮抗するように保つというよりかは、
そう考えてみると、人間が作ったメンインブラックみたいな取り組みだ。それを、人間ではなく魑魅魍魎が執り行うんだから滑稽だ。
「……結局、人間なのか」
はぁっと、ため息が出る。
エリカが、なんでそんな魑魅魍魎側には無益そうな活動に参加してたんだろう。
聞いておけば良かった。そうやってまた後悔した。
「…………」
またも、ゆっくりとした時間が流れていく。
ふと、卯未は横を振り向いた。
何もない空がそこには広がってるんだが、何かを感じる。
「……てい」
卯未は、そこに何気なく翼を振ってみた。
「わぷっ」
翼の先に柔らかい感触を感じ、女性の声が聞こえた。
「…浮絵さん」
「……うわぁー。とうとう、卯未ちゃんにもばれるようになっちゃったかぁ」
そう声が聞こえると、何もない空間に色が染み込むようにしてしゃがんだまま卯未を見る浮絵が現れた。
「みたいですね。なんか……居るかもって思わないと分からないけど、静かだと、それなりに呼吸音が聞こえますや」
「あはは、そうなのよねぇ……。私、サプライズとかしようとすると、どうしても緊張しちゃって。おかげで潜入任務も、できない残念さんなのよねぇ…」
浮絵は乾いた笑いをしつつ、そのまま腰かけた。
「……エリカの事が心配?」
「ええ。…ですが、絶対助けます」
「助ける、ね……」
「鬼島リーダーが言ってた事も、分かります。……ですが、無理だろうなぁなんて諦めながら助けにいくのなら。……私は、助けられたかもしれないエリカさんを、助けられないかもしれません」
卯未は浮絵の目を見る。
その目には、迷いのない光が宿っているようだった。
「助けたい。その気持ちだけはっきりしてればいいんです。私は、エリカを絶対助けます」
「……そう」
浮絵は、寂しそうに微笑み頷いた。
「……浮絵さん」
「なに?」
「一つ、聞きたい事があるんです。……エリカと浮絵さん、長い付き合いなんですよね」
「ええ、それなりにね。私が魑魅境に入った後かな…任務で外に行ってたら、観光船で行くような離れの島に一人で生活してたエリカを、私が見つけたのよ」
「!そんなところから……」
「そうよ?その頃から、わりと今みたいな調子だったわよ。ちょっと暗かったかもしれないけど」
「暗いエリカ……あまり想像がつきません」
「でしょう?魑魅境に入って、良かったと思うわ」
卯未は感嘆とする。結構長い縁がエリカと浮絵には合ったようだと。
だが、その話も聞きたいけれど、今はそれよりも聞きたい事がある。
それだけ長い仲なのなら、聞いたことがあるだろう。
「……浮絵さん。なら、知ってるんじゃないですか」
「なにを?」
「……エリカの昔の話です。……元居た家を出て、日本に来たって行ってました。……なんで、エリカが家を出て、なんで…………魑魅境に入るって答えたのか、知りたいです」
「…………」
浮絵は、少し黙った。人の昔話を掘るなんていけないわよ、なんて言おうとしたのか、ちょっと口を開きかけた。だが、その口もつぐみしばらく考える。
「……エリカの後悔と、魑魅境が合っていたのよ」
「え?」
浮絵は卯未に目を向けて語る。
「人の昔事に首入れるんだから、ちゃんと聞きなさいよ、卯未」
そう言い、浮絵はゆっくりとエリカの昔の話を話し始めた。
昔々、人々が魔女狩りをして人の中に紛れる悪魔を探していた時代のことでした。
人々が悪魔を探す中、山奥の大きなお屋敷に住まう吸血鬼たちが居ました。
その城には、吸血鬼の両親と、その下に姉妹の吸血鬼が居ました。
姉は心優しく、人々の騒乱を憂いており、妹は好奇心が旺盛で花が大好きな無邪気な子でした。
妹は、心の優しい姉が大好きで、そんな姉を困らせる騒ぎを遠くでしている、人間達が嫌いでした。
妹は、姉が涙を流すたびにお花を持っていっては、姉を慰めました。
「マリーお姉ちゃん、人間の事は諦めようよ、違う生き物なんだって。もっと楽しいことをして、忘れよう?」
妹は、姉を人間から遠ざけようと毎日説得します
「……いえ、それは違うわ、〇〇。彼らは、外にあるものが全部同じだと思って、疲れてるだけなのよ」
姉はそのたびに、いつもそう言いました。
この花なら、この薬にする事ができる。この雲なら、明日はこんな天気になる。
そんなふうに、この国の人ならこんな人だ。この動物ならこんな性質だ。この魔物なら、こんなに危険だと、大きな括りに縛られちゃっているのだと。
たとえ大きな名前が与えられても、大きな名前で個を語れないのよ、姉はそう言いました。
妹は、納得できませんでした。
妹がいつも目にするのは、そうして人間の中から別の名前で呼べる何かを探し出し、炙り出そうとする人間ばかりです。
大きな名前が違ければ、それはもう別の何かです。妹は、姉を泣かす人間達を許せませんでした。
ある日、屋敷の近くに大勢の人間がやって来ていました。
目的は分かりません。でも、松明をもって何かを隈なく探しているようです。
妹は思いました。
人間が私達吸血鬼を殺しに来た。お姉ちゃんが殺されちゃう!
妹は、全部を奪われる日が近いと思いました。
このまま、日が過ぎていけば。彼らは全部を奪ってしまうでしょう。彼らは奪いに近寄って来たんだと。
妹は、屋敷の宝庫から家に伝わる、真っ黒なマントを取り出すと、村に降りていきました。
全部奪われるなら、先に奪い返してやると。
妹は、村人たち相手に悪魔のような争いの限りを尽くしました。
悪魔狩りをする中心者達から喰い殺し、それを見つけた者達を喰い殺し、叫ぶ者達を喰い殺し、逃げた奴らを、私たちから全てを奪おうとする罰だと殺しました。
数日の間、外から誰も止めるものはいなく、村の中で兵士達と争いつつ、妹は戦い続けました。
やがて、村にはもう誰も居なくなりました。
やった。怪物達は居なくなった。もう、私達から何も奪うものはいなくなった。
妹は全ての死体の前で、誇らしい気持ちになりました。
奪いに来る奴らはみんな倒したよ、悪党たちはもういなくなったよ。妹は家族に安心してもらおうと、急いで屋敷に戻りました。
そうして屋敷に戻ってみると。屋敷には火が付き、死体で溢れておりました。
一つの村が吸血鬼に滅ぼされた事を知った近隣の村人たちは、人と怪物の境界を踏み抜き、人の世界を喰い荒らす怪物達を殺しにやって来たのでした。
大勢の人が吸血鬼の屋敷に攻め入り、吸血鬼も抵抗し、たくさんの血が流れ、全てが壊れました。
空からは、この惨状を見せつけるように激しい雷雨が鳴り響いていました。
屋敷の惨状を眼にした妹は、必死に死体の山から家族を探しました。
探し続けた結果。父と母の死体を見つけました。
妹は、涙と叫び声で顔をぐちゃぐちゃにしながら、まだ見つかっていない姉を必死に探しました。
最後には、ぼろぼろに変わり果てた庭園で、姉の死体を見つけました。
そして、その姉の死体を抱きかかえたまま。焦燥のままに死んだ人間の男の死体までもがありました。
妹は気づきます。姉は、人間に恋人が居たのでした。
妹は雨の中、雷が鳴り響く音を聞きながら歩き続けました。
自分の行いで、全部が壊れてしまった。
奪われたくないから、奪いつくして。結局、全部失った。
姉が言っていたことを、自分はなにも学べていなかった。
一括りに、全部が悪だと思い、罰の限りを振舞った結果。生きていて欲しかった姉も父も母も、みんな、みんな失った。
私が家族全員を殺した。
妹は、雷雨の中で狂い叫びました。
妹は、それから世界のあちこちを彷徨いました。
家族に与えられた名前は、家族の人生を全て奪いきった自分に相応しくないと捨て去り、代わりに孤独という花言葉をもつエリカの花を、自分に呪いとして付けました。
それから数百年。目を覚ましては叫びそうになる日々を過ごし続けます。
人生を奪った。そこに合ったものを奪った。大切な人を裏切った。みんな殺した。愛してくれていたのに、大好きだったのに。全部奪った。なのに、まだ生きている。全部台無しにしたのにまだ私は生きている。生きてしまっている。
自殺をしようと、何度か日の前に出ようと試みましたが。今度は自分の中の何かが無責任だと叫び続け、エリカは耐える事ができなく何度も壁に頭を打ち付けました。
自分が行った罰は自分を非難し、自分自身のしたことに自分自身が非難している事を非難し傷を付け、寝ても起きても、どんな事をすればあの時何かが変わっていたのかと頭に木霊し続けました。
今自分が生きているという事全てが、なんであんな事をしたのにお前はまだ生きてるんだと、自分を許せない理由に繋がりました。
数百年の月日が流れ、エリカの中には姉の言葉だけが残り続けました。
『何かが憎い、許せないと大きな括りで蔑んでしまうのは。どんな人が居るか、まだ知らないから』
じっくりと待って、静かに見守り続ければ、いつかその偏見も和らぎ、きっと分かり合える。
あの時、そんな簡単な事には上手くならないと思った姉の言葉が、エリカの全てになりました。
エリカは、優しかった姉の代わりに。誰かの心の助けになろうと思いました。
誰かが自分と同じ後悔をする前に、そんな事をしてしまった私が、その心の助けになることが。かつて全部を台無しにした自分の償いの道だと。今も願い続けているのでした。
「……エリカから、そう聞いていたわ」
浮絵が、静かに言葉を終わらせた。
卯未は、目を見開き焦燥とした表情を浮かべていた。
だから、自分にあそこまで優しかったのか。だから雷にあんなにも取り乱してたのか、だからエリカって名前なのか。
伝えられたエリカのかつての事に、卯未は激しく動揺した。
「……だから。鬼島リーダーから貴女の話を聞いたときは、エリカがお願いしたのよ。私に卯未のパートナーをさせてくださいって」
浮絵はゆっくりと立ち上がり、卯未に背を向けて空を眺める。
「……だから、だから…。貴女と居れて良かったのよ、卯未。エリカは、憎しみで先者全てを呪っている貴女を見守って、貴女の心を和らげられて。やっと生きていた意味があったって、報われたんだと思う」
浮絵は、肩を震わせて頷いた。
「……だったら」
浮絵の背中に、強い風が吹き当った。
浮絵は余りにも強い突風に、思わず振り返る。
そこには宙に舞い上がった卯未が居た。
「これで終わりになんかさせない」
卯未の翼に、肩から翼の先まで、光が流れ出す。
「私が、これから先もエリカが生きてて良かったと思える理由になる!」
エリカが居なければ、私の心は死んでいった。エリカが居たから私は救われた。その恩返しだ。
償いと安心だけじゃない。喜びも生きて良かった理由に加えてみせる。
そう叫び、エリカは翼を大きく回し振った。
風が切裂かれ、翼を振った以上の突風が屋上に吹きすさんだ。
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