第35話 暗がりで火を灯す

 エリカは、薄暗がりの中で意識だけがぼんやりと漂い始めた。

 体中が痛い、何かが全身に這っている感覚がする。何かが顔に覆っていて、目も見えない。


『ん……い、いた、い。痛いですわ……』


 ここはどこだろうか。最後に何があったんだろうか。

 エリカはぼんやりとした中で、最後に何があったのかを思い出していく。

 ……そうだ。自分は卯未だけでも逃がそうと、外へ卯未を逃がしたんだ。

 その後、利園校正が仕向けた沼の攻撃が、自分の全身を貫いて……。

 そうだ。咄嗟に霧になって逃げようとしたんだ。しかし体全部を霧にするのは間に合わなくて、幾らかはそのまま串刺しにされてしまった。

 その時に受けた激痛で、自分は気を失ったんだった。

 …いや、本当に自分は気を失ったんだろうか?目も見えないし、身体も何かに押さえつけられ、全身が動かない。

 もしかして、全然間に合ってもいなくて、自分は死んだんじゃないだろうか?

 そう考えると。

 自分が自発的に償える事は全部終わったのかも知れないという事だ。後は、地獄かなにかで、延々と自分にふさわしい罰を与えられ続けてもらえるのかもしれない。

 ……でも、もしその地獄が一番ふさわしい罰を与えられるのだとしたら。何もないただっぴろい荒野で、責める人も地獄の鬼も、殺してきた人も誰も居ない中で、自分の頭の中の責める声さえも奪われて、何もない中に放置されるのかもしれない。

 もしそうなったら……。自分は、本当に絶望するだろうな…。


 ……いや、違う。それだけじゃない。

 自分を責め立てるとかそんなんじゃない。エリカは、こんなところで終われない。

 今、ドッペルゲンガーが大勢の人間の人生を奪い、成り代わろうとしている。それこそ、まるでかつての自分が行った事のようにだ。

 私が生きている理由は、私と同じ転落の道を進む子を救うだけじゃない。同じ転落の道を実行しようとしている人を、止める事もあるはずだ。

 目を覚ませ。自分にはまだやるべき事がある。


「!!」


 エリカは目を見開き、驚愕した。

 自分の全身を沼が覆っていたのだ。体の下半身が沼に沈み、沼から生えた不定形の物が自分の全身を縛っている。

 沼は異様な肌触りをしている。注射をされているわけでもないのに全身に何かしらの物がうごめいているのを感じる。それが注入されているのか、摘出されているのかも良く分からない。

 だが、不気味だ。こんなとこに居る場合じゃないのだけは分かる。


「ん、んぅぅぅ!!お、び、んば、づ、ぢ…!!」


 エリカは、声も出せない中で昔なじみの妖具の名前を呼んだ。

 沼に沈んだ空間から、弱弱しくも掻き分けるようにして、か細く獣の顎が跳びだした。自分自身にもう血がほとんど無いからなのか、呼び出された獣の顎もとても小さい。

 沼の中からほっそりと現れた獣の顎は、エリカの顔部分を覆っている沼に食らいつく。そして、力いっぱい引っ張り、沼を剥がした。


「ぷはっ!!はぁ、はぁ……!!」


 顔を剥がした途端、反射的に息を大きく吸い込んだ。

 危なかった。自分自身が酸欠になっている事すらも、認識できてなかったようだ。

 エリカは呼吸を整えつつ、辺りを見回す。

 周りは、いくつもの台座とディスプレイ、そして見渡しの良い窓が一面に付けられていた。何を思ったのか、エリカは艦橋の操舵室に拘束されているらしい。

 そして、前を見た時にエリカはハッとした。


 正面の窓には、夜空に満月が浮かんでいた。

 そして、その前に満月を眺めている青年の後姿があった。


「おはようございます。吸血鬼にはちょうど良い起床時間でしょうね」

「貴女は……」


 男はエリカの方へと振り返る。利園校正だった。


「いやはや…。貴女を延命させるのには苦労しましたよ。なにせ、霧に変化していた部分と生身の重傷の部分で、肉体が分離してしまったのですから」

「!?え、延命ですって?」

「ええ。肉体の回収も大変でしてねぇ……通り水内部に貴女の体を全部放り込んで、貯めておいた生気を多少使って修復しておりました。今、貴女の体がそれなりに形を取り戻して、こうしてここに浮上してきたわけです」


 そう言って、利園はエリカの下の沼を指さした。


「つまり…。貴女が助けたのです?」

「まあ、ほぼそう言うことになるんですかね……」

「……何のためなのかしら」

「……ただの興味本位ですよ」


 利園は肩をすくめて軽く笑う。


「私は貴女達が侵入した時。我々ドッペルゲンガーにしか同意していただけないと申しました。ですが……本当に同意してもらえないか気になりましてねぇ」

「……」

「そうだ。貴女達の組織名などは」

「教えませんわ」


 少しの間があった。

 エリカは、拒否した瞬間に沼を暴走させて苦しめてくるかと思ったが、意外にも利園は自分が上位であると追い打ちはしないようだった。


「まあ、いいですよ。ひとまず、人間の味方をする組織なんだろうと思っておきます」

「……利園さん、でしたっけ。貴方、自分の言葉にかなり理由を重ねる癖がありますわね」

「……なんですって?」


 淡々と喋っていた利園が、珍しく声のトーンを落としてエリカを見た。


「貴方は、誰かに何を言っても頷いてもらえなかった事があるんじゃないかしら。……なんで何も分かってないって言われるんだろう。なんで全部断られるんだろう……とか」

「……」

「簡単に言えば……虐待とかいじめにあってた人の癖よ。分かってもらいたくて、とにかく言葉を重ねてしまうの」


 エリカは顔を上げ、利園を見る。


「穏やかに紳士的に振舞ってるけど……人間に、何かされたの?受けた苦しみを聞いてほしいの?」


 エリカはそう静かに言った。ミステリアスな人物を振舞っている利園だが、エリカの目には、これだけ大勢の部下が従っているのに、親しい人程に、自分の気持ちを打ち明けられず、それゆえに知らない人に自分の寂しさを明かしてしまったりする。可哀そうな青年にしか見えなかった。


「…………驚いた」


 利園はぽかんと顔をしたのちに、小さくそう呟いた。

 そして、まるで子供みたいにぽんぽんと拍手をし始めた。


「素晴らしいよ、吸血鬼のお嬢さん。まさにその通りだ、まだ本題を話してもないのに凄いね!」

「……人の気持ちを見るのは、得意な方なのよ」


 事実、エリカは大昔に後悔して以来、ずっと人の気持ちについて延々と頭の中で考え、時には無意味に書物を漁り続けたり、人の振舞を観察したりして。人の思考を理解しようとして来ていた。

 結果。接し方はいまだに不器用であれど、人が今何を思っているかについては並みの人よりも鋭い才を身に着けていた。


「そうか……うん、面白い。そうだね、私は貴女に寂しさを聞いてほしいのかもしれない」


 ひとしきり拍手をし終えた後、利園は近くの台にそっと手を触れた。


「……このタンカー。星握しょうあくは、私がドッペルゲンガーである以上、もともとは本来の利園校正の所有物だった。彼は、若き天才でね……貿易会社として一代で名を広めた」


 利園は、懐かしいようにそう語る。


「だが、野心も同じぐらい強くてね…。私達魑魅魍魎みたいな存在が居ると、何処で知ったか。…そこに商売性を見出した」

「……商売?」

「ああ、商売だよ! 君が今付けてる妖具とか、魑魅魍魎ならではの知識とかが商売になると思ったんだ!」


 そして、利園はエリカに近寄るとしゃがみこむ。


「だが、そう言った世界に首を突っ込むという事は。いつその世界の住人に逆に食われてもおかしくない魔境だ……!!だからこそ、奴は使を見つけた!!」


 声を抑えるように叫び、利園は自分のスーツの胸元を、引きちぎるようにめくった。


「なっ!!」


 エリカは、スーツの下に現れた物に驚愕した。

 そこには、煙草の焼き跡に鞭のようなものの跡。膿んでないのが不思議なぐらいの荒々しい傷跡の数々だった。


「この傷は戒めとして、通り水で治療せず残している物だ…。奴はいざという時に自分の代わりに死んでくれる影武者が必要だった! 私は、人間であった利園校正の奴隷だったんだ……!」


 それまで穏やかに振舞っていた利園とは裏腹に、その顔には影が落ち、憎しみを孕んでいた。

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