第42話 二人の魑魅境
利園の両腕に沼が集まる。それは即座に肥大化し、まるで巨人の腕とも言えるほど大きな両腕となった。
利園はそれを一振り、二人に向けて振り下ろす。
「エリカ!」
「ふふん、任せましたわ!」
卯未とエリカは声を掛け合うと、まずエリカが織二口の顎を沼の拳にぶつけた。そこにすかさず、潜り込むようにして卯未が前に出る。
そして、一瞬の風切り音。次の瞬間には、拮抗していた沼の拳が輪切りになり、宙に焼き消えていった。
「ぐうっ! 斬ってくるとは!」
利園がそう口にした直後。エリカが獣の手を利園に差し向ける。利園の腹部を狙って、一直線な攻撃だ。
だが、利園が一歩も動くことも無く、その獣の手は動きを止める事になった。
利園のスーツ表面から、服を突き破って無数の沼のトゲが跳びだす。獣の手が届く前に、あっという間に串刺しにしてしまい静止させた。
「! タンカーを覆っていた檻かしら」
「他の奴らと同じだ。こいつも服の下に沼を纏ってる!」
利園は妖艶に笑い、二人を嘲笑する。
「それだけでは、ありませんよ。沼に生気を供給される量は、一番多い配分を貰っておりますのでねえ!」
そう言った瞬間。二人の目には利園がはじけ飛んだように見えた。
怯みつつもよく目を凝らしてみれば。今しがたトゲで開けた穴や、服のあらゆる隙間から、一斉に沼があふれ出したのだ。
沼は今度は離縁の首から下を全部覆いつくし、その体積を更に肥大化させていく。
あっという間に、利園は天井に頭を付けるぎりぎり程の、
「でかっ!」
「厄介ですわね……」
「あはははは!見た目通りの戦いをしてくると、思わないことですよ!」
利園がそう言った瞬間。沼の巨人の真っ黒な腹から、エリカの織二口にもにた巨大な顎が跳びだし、エリカを喰らわんと口を広げる。
「なっ……!」
「させるか!」
エリカの回避が間に合わない。その前に、エリカと巨大な顎の間に卯未が飛び込んできた。
「
卯未が両翼を乱れ打つように振る。
顎はエリカを食い潰す前に噛む力を失い、これまた宙に霧散していった。
だが、これで攻撃を失敗したという利園でも無かった。残骸として沼の顎が消えていく後ろから、後続隊とでも言わんばかりに無数の触手がその姿を現した。
「がっ!?」
卯未は肩に肘の観察を抑え込まれ、腕を振るえなく拘束される。足で蹴り飛ばし剥がそうとするが、触手を引きはがす前に足もまた、別の触手に拘束されてしまった。
「卯未!」
「平気だ! それよりも頼む!」
「ええ! ……なっ!?」
エリカが檻二口を呼び出そうとすると、その前に卯未を拘束したまま利園が動き出した。
ボロボロでもう本来の機能を発揮しないだろう、ずらりと並ぶ制御台の上に乗りあがり、利園は後ろを見やる。
そこは、卯未が最初に乗り込んできた窓だ。利園はそんな事もお構いなしに窓側へ体を傾ける。
「!? ま、まさか窓から落ちる気か!?」
「安心しなさい。この程度のことじゃあ、ねえ!」
そう言うと、利園は肉体を窓の外へと投げ出し、落下しだした。触手に拘束されている卯未も、そのまま窓に引き込まれ、一緒に窓の外へと落ちていった。
「うわぁあ!」
「卯未!!」
利園と卯未が窓から落ちていき、エリカは急ぎ窓際に駆け寄る。
窓の淵に手を掛けエリカが艦橋の下を覗くころには、利園が激しい音と衝撃を放ち艦上の床に落下したところだった。
「そんな……!」
エリカは青ざめる。卯未までも一緒に落ちてしまった!
しかし、そんな不安の中、下から叫び声が聞こえる。
「ちくしょう! はなせ、離せこいつ…!」
「! 卯未の声……!」
エリカは吸血鬼の翼を広げ、操舵室の窓から外へと飛び出した。
下へ降りつつ眺めてみると。たしかにまだ触手に縛られて悶えてる卯未の姿があった。
「くそう…! かなりの高さはあっただろ、なのに受け身も無しでピンピンしてる…!」
「あっはっはっは! ほらね? 心配なんて何もありませんよ、それだけ、この沼は強固なんですよ、あははははは!」
利園の口調はもはや静かなプレゼンター等ではない。自慢のおもちゃを思うがままに自慢する無邪気な子供のようだった。
「うわっ! 操舵席からなんか落ちてきたぞ!」
あちこちで乱戦している魑魅境の一人が、叫んだ。それにつられて、戦っている全員が突如姿を現した大男に驚愕する。
それに相反して、タンカークルー達の間からは大きな歓声が上がりだした。
「利園様!」
「利園社長!」
「利園様が通り水の力を解放なさった! 勢いに乗って、奴らを倒せ!」
タンカークルー達は更に機敏に動き、一人で一度に二人も攻撃したりと、猛攻撃をし始める。卯未の見た感じでは、開戦から比べて、こちら側よりもタンカークルーの方が脱落者は多いように思える。それでも、その小数が再び脅威になったのは間違いないようだった。
そんな中、利園は沼の体を起き上がらせ、艦上の中央へ向かって走り出す。
「! 何をする気だ…! くそう、早く、抜けださないと……!」
卯未は必死に体をよじる。しかし、触手は緩まる様子もなく、卯未は抜け出せない。
その時、利園に向かって飛び掛かる魑魅境達が3人ほど現れた。その内の一人は、卯未がこの艦上に跳び下りてから出会った、隊長呼びの狼男の魑魅境だった。
「いやっはー! リーダー格を討つぞ! こいつさえ倒せば、流れはこっちのもんだー!!」
そう叫び、利園の頭部を狙ってこぶしをかました。
「なッ!?」
だが、その一撃は利園には当たってない。攻撃をした途端に、まるで宇宙飛行士のヘルメットのように沼が利園の頭を覆う。しかもなんということだろうか、薄く伸びたはずのその膜が、今の一撃を完全に防ぎとめてしまった。
「まじかよ! かたッ!」
隊長予備の魑魅境は驚いた。だが、その直後、利園の肩と横脇から幾つかの手が伸び出ると、攻撃してきた3人を弾き飛ばしてしまった。
「ぐあああぁぁああ!」
その瞬間だった。利園が弾いた3人を眺めた隙に、エリカが急降下してきた。狙いは、卯未を拘束している触手だ。
「織二口!!」
エリカのマントから無数の小さな獣の顎が飛び出し、拘束している触手全てを噛み千切った。
自由になった卯未は、翼を広げてエリカの横へと戻っていく。
「エリカ! すまない、助かった!」
「ふふん、サポートは任せなさいですわ!」
いつものお調子めいた笑い声を出して、エリカは親指を立てた。
しかしその時、利園が艦上中央にたどり着いた。
「さあ、全部一気に! 派手に終わらせましょう!!」
そう言うと、艦上に設置されていた石油タンクの供給口が、再び一斉に開いた。
タンク内に満たされていた沼は一斉に噴き出す。だが、今度はタンカー周りの柵へと流れ込もうとはしない。噴き出した沼は、
「あはは、あはははははははは!」
沼の巨人の体は、更に肥大化していく。大きくなっていくにつれて、人型のシルエットさえも崩しだした。
大きく高笑いし続ける利園の顔さえも飲み込み、やがて円柱上に大きく伸び、太さを増していく。
「これは……」
「……凄い、ですわね。まるで大樹ですわ」
宙を飛び並ぶ卯未とエリカは、目の前の景色に驚愕とした。
沼の柱は、艦橋の高さをも超えていく。そして、伸びきったところで、今度は幹を網目状に広げ、満月の月を半ば見えなくさえした。
その姿は、エリカの言う通り、さながら大樹であった。まるで、こここそが命の源であり、ここから生命、ドッペルゲンガーが広がっていくんだと、象徴として語っているようであった。
「! 幹の中に、何かが……!」
真っ黒なその大樹の表面に、何か濁流の物が透けて見え始めた。
木の根から幹全体へと流れていく、輝かしき濁流。その光景には、卯未は見覚えがあった。
あれは、
「!! 全員、あの木に気を付けろおおぉぉおお!」
卯未は、自分の繋がっている連絡回線に、大きな叫び声を挙げた。
そして、自分はエリカの前に立ち憚った。
「!」
その直後。大樹の幹全身から、すさまじい速度で枝が噴出した。
まるで、攻城兵器が搭載していた槍を射出したかのような光景だ。大樹が生気を消費し爆発させた枝たちは、艦上全土を串刺しにし、衝撃であらゆるものを薙ぎ払っていく。
艦上全土から、絶叫が響き渡った。
枝を体に受けタンカーの外の海に打ち飛ばされる者、枝が体に刺さり悲鳴のままに枝の先へと消えていく者、驚きの叫びをあげ必死に逃げる者。
その光景は、魑魅境だけのものでは無かった。
「うおおぉぉおおお!!
卯未とエリカの元へも、枝は伸びてくる。卯未は声一杯にエリカの名付けた技の名前を叫び、自分たちに向かってくる枝を何度も何度も斬り刻んだ。
やがて、あらゆるものを巻き込んだ結果、艦上で砂ぼこりが巻き起こった。
もくもくとこみ上げる砂ぼこりの中、争いの音は静かになり、タンカーが海を進む、波の音だけが聞こえるようになった。
「はぁ、はぁ……はぁ…」
やがて、砂煙が晴れる。そこには、息を切らしながら飛ぶ卯未と、その体を支えるエリカが飛んでいた。
「卯未、大丈夫…!?」
「うん。……良かった、今度こそ、守れたんだね…‥」
心配そうに自分を見つめるエリカの顔を見て、卯未はほっと息をついた。
「…それよりも。なんてことだ……」
卯未は艦上に目を向ける。地上には、もう動けるものはほとんどいなかった。
皆が地面に倒れ、苦しそうに声を挙げている。生き延びた者が重たい体を引きずりながら、動けないものを助けたりしているが、もうこれ以上の戦闘は出来なさそうだった。
そして、タンカークルー達も。畏敬とも違う、畏怖の目で目の前の真っ黒な大樹を呆然と眺めていた。
「……利園……。口に出したことは、本当だったのですね。本当に、何もかも滅茶苦茶にする事以外、興味も無いのですね……!」
「……そんなこと言ってたのか、あの社長」
悔しそうに声をあげるエリカに、卯未は寂しそうに頷いた。
卯未は遠くの水平線、地平線に目を向ける。
遠くには、これからタンカーが突撃する街の明かりだけが見えていた。
陸の細部がまだ見えない分、時間的には余裕があるのだろう。だが、あと少しは時間が過ぎれば、町の人たちがタンカーがまっすぐ陸に向かっている事に気が付く。
何か事件が起きたとざわつきだし、次に起きる惨状の予測が出れば、阿鼻叫喚の騒ぎが広がりだすんだ。
……そんなことさせるか。
卯未は大樹を睨んだ。私は、エリカも町も、魑魅境も。
今無力になるのは、自分自身が許さない。
「卯未」
ふと、横でいつの間にか顔を見て来ていたエリカが声を掛けてきた。
「最後のぎりっぎりまで、ついていきますわ」
「! ……もちろんだ、エリカ!!」
卯未は強く頷いた。
「……一ついいかな、エリカ。考えがある」
「ふふん、面白そうですわね、聞かせて」
「あの大樹が攻撃をしてきたときに、内部に見えたもの。あれは見覚えがある。あれは……生気だ」
「異常な成長による攻撃は、生気を一気に消費して使ってるってわけですわね」
「そうだ。……きっと、かなりのエネルギーが、あの瞬間圧縮される」
卯未はエリカの顔を見て、少し悩む。
そして、覚悟したように大樹を再び見た。
「あいつがそんなに爆発したいのなら、爆発させてやればいい」
卯未は両方の翼から光を放ち叫んだ。
「あいつを、海上で爆発させて終わらせる!!」
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