第43話 心の通った満月の下で
眼前の景色を見下ろし、卯未は覚悟を決めた。
自分自身に開いている連絡回線上に意思を傾け、その中から浮絵の意思を掴み取る。
「浮絵さん、応答してください。 こちら卯未」
『卯未ちゃん? こちら浮絵。現在、鬼島さんと一緒に、突撃隊のバックアップ用に船を航行中』
脳裏に、浮絵の声が聞こえた。どうやら、事件解決時に部隊の撤退手段として船を調達していたらしい。どういう方法で調達したのだろうか? 船を魑魅境が所有しているとは聞いた事もないし、まさかレンタルか、利園貿易会社関係の船を頂いたのだろうか。
「こちらの状況をお伝えします。…敵味方、関係なしにほぼ壊滅。敵のリーダー利園校正が沼の力を艦上で暴走させ、無差別攻撃をしました。結果、敵味方。戦闘続行可能なのは、恐らく私とエリカ、利園のみ」
『なんですって!?』
脳裏に浮絵の驚きの声が聞こえた。そして、向こう側で誰かに話す声が聞こえたかと思うと、連絡回線上に鬼島リーダーの声も聞こえだす。
『こちら鬼島。部隊は壊滅だって?』
「はい。…ですが、大半は負傷しつつも、生存しています。直ちに彼らの救助を願います」
『承知。もう既にタンカー近くに来ている。すぐに救助を始める事にしよう』
「……ありがとうございます。リーダー」
卯未は目の前の真っ黒な大樹を見返して、心に思う。私たちは、鬼島リーダーが隊長で良かった。
『……タンカーが止まってない以上、緊急措置が必要そうだな。……君たちは?』
鬼島リーダーは、重く悩まし気な声をあげ呟いていたが、ふと何かに気が付いたように声をあげた。
「作戦を続行します」
「そうですわ。私達、まだまだいけますものね。ふふん」
卯未の言葉に、文脈を察したのかエリカが相槌を打ってくる。全く、本当に心を見透かすのが上手いと、この佳境で卯未は舌を巻いた。
『……やるんだな?』
鬼島リーダーは、少し間があって答えた。一瞬詰まったのは、無謀とも言えるこれから起きるであろう特攻作戦に。二人をみずみず
「はい。 私達も魑魅境ですので」
『……分かった』
鬼島リーダーは、静かに頷いた。
『こちらから、全体に撤退命令は出す。君たちは、心残りを何一つ残さないよう、死力を尽くせ!』
「了解!」
卯未もまた頷いた。
それから、魑魅境の連絡回線上に高らかに鬼島リーダーの声が響いた。
『総員、撤退せよ! 海上に撤退用の船を回してある。タンカー左舷だ! 空を飛べるものは可能であれば仲間を連れて本部へ避難。 飛べずも動けるものは、仲間を連れて海に飛べ!必ず私達が引き上げる! 卯未とエリカ、二名のみを残し、総員撤退せよ!!』
その意思が伝わり次第。魑魅境達は一斉に撤退し始めた。
艦上で動けるものは動けない者の肩を取り、ふらつきながらも飛べるものは、枝の先に巻き込まれた仲間達を救出しに向かう。タンカークルーもまた、これ以上攻撃もしないのか、魑魅境に紛れて似たように撤退し始めた。
「ふぅ……。これで良いね」
「そうですわね。残るは私達二人だけというわけかしら」
目の前の大木が、再び轟音を唸り始める。巨人の咆哮のようなそれは、利園自身が内部で全てを嘲笑うかのように笑っているからなのかもしれない。
それに伴い、先ほど大木の全身から自然の摂理に反するように伸びた枝たちが、一斉に枯れだし、枝先から焦げるように消え始めた。
おそらく、もう一度同じ攻撃を始める為の準備が始まったのだろう。
「いいか、エリカ。 狙いはあの大木が生気を溜め初め、枝を吹き乱れ始める直前だ。その瞬間に、木を根元からバッサリ斬る」
「豪快ですわねぇ。 あんな太いの、斬れるかしら?」
「出来る。それぐらいの覚悟はある」
枝が半分枯れ落ちる。この枝が無くなった時が、こちらの最後の突撃の瞬間だ。
「……エリカ」
「なんですかしら?」
「……浮絵から、エリカがどんな人生を送って来たか、聞いたよ」
「!」
一瞬、いつもお調子ものめいたエリカが、身体をこわばらせ動揺したのが見てとれた。
「…そうなの。 良い人な顔して、誇れもしない人生送ってるでしょ?」
エリカが、乾いたように笑う。自嘲しているようだ。
「どうだろうね。 エリカ程長生きしてないから、想像ができないよ」
「あはは、そう?」
「……でも」
卯未は、エリカの顔を最後に見る。
「途方も無い時間苦しんで。かつての間違いを進もうとしていた、一人のハーピーを救ってくれた。……濁った過ちは過ちであれ、取り返そうとしたエリカの人生は、間違ってない」
「!」
エリカも、卯未の顔を驚きの目で見た。
「生きててくれてありがとう、エリカ。 エリカが居てくれて、本当に良かった」
その言葉を聞いた途端、エリカの目から一筋の涙が流れてしまった。
「……ふ、ふふん。卯未が救われたのなら、良かったですわ!」
エリカは、涙を必死にこらえつつ、にっこりと微笑んだ。
ああ、そうか。卯未は今になって気が付いた。
エリカがふふんといつも笑うのは、強がりだったんだ。
いつも自分が頑張れてるか悩んでて、心が折れそうになるたびに、自信のある自分を見せるたびに、強がって口に出てしまう癖だ。
本当に、エリカはずっと頑張って来たんだね。
「エリカ。一緒に行こう」
沼の大樹の枝が全て枯れ落ち、内部に生気の濁流が流れ始めた。
「! …もちろんですわ! 最後まで!!」
卯未とエリカは、二人して沼の大樹に向けて飛び込んだ。
重々しいポンプのような音が響き続ける中、一層と内側に光を溜め込む大樹。向かってくる敵二人に気が付いたのか、これまでのような触手を無数に噴き出し、襲い掛かって来た。
「
エリカが真っ黒なマントの名前を叫び、血を注ぐ。マントから噴き出した獣の爪が、触手たちを斬り払った。
卯未はエリカの背後から飛び出し、エリカもその後に続く。
今度は、沼の巨人の大きな手が、大樹の表面から飛び出してきた。二人を握り潰そうと、手を伸ばしてくる。
卯未は大きく翼を振るった。沼の巨人の5本指が全て吹き飛び、手のひらだけになる。そしてそこに、すかさずエリカが飛び込んだ。
エリカは真っ黒なマントを前に翻す。そして、沼の巨人の手はエリカのマントに防がれる。
「ふふっ、
沼から大きな顎が飛び出し、沼の手を丸ごと噛み千切ってしまった。
エリカは喰いちぎって手が無くなった、空白となった前方を見据える。
そこには、真っ黒な木と、その内で輝くはち切れんばかりの濁流が見えた。
「今よ、卯未!!」
エリカは、相棒の名前を大きく叫んだ。
卯未は、その声に呼応し、全身の力を振り絞って翼を羽ばたかせ飛んだ。
コンドルのように速く、その目は、目の前の狩るべき獲物を捉えている。沼の大樹の根元が、そこにはあった。
「
橙色の光は、更に激しさを増し、太陽のように輝いた。
そして、卯未が全身を振り絞り、振り下ろした斬撃は、大樹の根元を、一刀両断の元斬り裂いた。
直径でさえ人の何倍もあろうかと言う太さの大樹は、根元とその上部を残さず切り離される。
その瞬間、斬った隙間から、真っ白な閃光が走った。
「きゃあっ!?」
海上で、海に飛び込んだ魑魅境達を引き上げていた浮絵は、激しい光と衝撃に怯んだ。
辺りからも大きなどよめきが聞こえる。
「い、いったい何が」
「おい! あれ!!」
近くで、誰かがタンカーの方を指して叫んだ。浮絵も釣られてそちらを見る。
「! タンカーが!」
そこには、艦上で激しい閃光を輝かせ続け、船体が真っ二つに折れたタンカーの姿があった。
光はジェット噴出のような勢いを今も保っているようで、艦上の設置物から艦橋までもが、衝撃のままにひしゃげていく。
浮絵は気が付く。あれが、おそらく生気の爆発というやつだ。利園貿易会社は、あれを町で起こすつもりだったのだ。
水平線の先、遠くで輝く町の光を眺めたが、あまりにも距離が遠い。この距離の様子じゃあ、爆発した生気を、町のドッペルゲンガーが受け取れる事も、殆ど無いだろう。
「……卯未ちゃん、エリカ。やったのね……」
ただ小さく、浮絵はそう呟いた。
だが、作戦は成功したと言うのに、まだ卯未からもエリカからも、作戦成功と言う連絡は来ていなかった。
エリカは身体が焼き焦げそうと錯覚さえする激しい閃光の中で、大樹の中に一つの影を見た。
おそらく、利園校正で間違いはないと思う。
大樹を斬られた瞬間、驚いたように見ながらも。すぐに体の息を抜いて、全部が終わったと安心するように光に包まれていったのを最後に見た。
その直後、激しい衝撃に体を放り投げられ、意識が途絶した。
それからどのぐらいの時間が経ったのだろうか。エリカは突然ハッと目が覚めた。
体が優しい波の揺れで揺られ続けている。空には、雲も無い中、満月が浮かんでいた。
自分は、海上に浮いているようだった。
「……生きている」
エリカは小さく呟いた。
辺りには、タンカーの姿が無い。同じ海上のはずなのだが、爆発でぐしゃぐしゃに砕けて、そのまんま深海に沈んでしまったのだろうか。
船は、少しの間は耐えるものの、一線の限界を越えると、まるで海に連れ込まれるように一瞬にして沈没すると聞いたことがある。その沈没の際の引きずり込みに巻き込まれなかったのは、幸運だと思った。
「……! そうだ! 卯未!!」
エリカは体を起こし、泳ぎの姿勢と翼を開こうとした。
だが、飛べない。 海に浸かってるからなのか、身体が疲れ切ってしまったからなのか、上手く羽ばたかせることができなかった。
仕方なく泳いで辺りを見回す。波が揺れる中、全方向を見ても、卯未の姿が無い。
まさか、そんな事が。エリカの頭の中に、最悪の想像がよぎる。
沼の内部ではなかったとはいえ、爆発した根元だ。 じゃあ、そこに居たらどうなるか?
「卯未ー! どこなの! 返事をして! 卯未ー!!」
エリカは必死に声を挙げた。先ほどの戦乱も全て遠ざかり、辺り一帯が静かになったんだ。なのに、どれだけ声を挙げても卯未からの声が返ってこない。
「卯未ー!! ……あっ!」
ふと、エリカは満月の出ている方に気が付いた。
月明かりで照らされている海上。そこで揺れ続ける波の内に、何かが浮かんでいる。それは翼を広げて浮かんでいて……紛れもなく、卯未だった。
「卯未!!」
エリカは叫び、卯未の元へと泳ぐ。
泳ぐにつれ、満月の明かりが増してきたような気さえして。やがて、月明かりの下で、卯未の元にたどり着いた。
「卯未! しっかりして! 起きて!」
エリカは卯未に呼びかける。しかし、卯未は起きない。
体温を測ろうにも、海水のせいで冷たさ以外分からず。心臓の脈を図ろうにも波に邪魔される。
「ッ!……いやだ、いやですわ。生きてるよね、卯未。私だって、こうして生き延びれたんだから、ねえ!」
それでも、卯未は目を開けなかった。
「……う、ううっ。ううぅ…」
エリカは、静かに卯未を抱き寄せて静かな嗚咽を漏らした。
やり切れなく、空を見上げる。夜の空は、かつて卯未と一緒に飛んだ空のように、美しく。飛ぶと心地が良さそうな景色が広がっていた。
「…お互い生きてなきゃ、意味ないでしょう……こんなに、綺麗な空なのに……」
エリカは、月明かりで涙を輝かせながら泣いた。
「……う」
「!」
ふと、小さな声が聞こえた。その声は、エリカの胸元から聞こえた。
エリカは卯未の顔を見る。
「……エリカ?」
弱弱しくも、ゆっくりと卯未は目を開いた。
「! 卯未!!」
エリカは、声を震わせて、喜びに満ちた声で卯未を再び抱きしめた。
「わぷっ、え、エリカ。体痛い痛い痛い!」
「ひゃっ! ご、ごめんなさい! でも本当に良かった! 貴女も生きてる!!」
「あははは、そうみたいだね……もう、翼も焦げ焦げだよ……」
そう言って、卯未は抱きしめられつつも、翼を片方海上にあげる。翼は全面ボロボロで、荒れ果てていた。
「いっつも、寝るとき布団も被れないで、邪魔だ邪魔だ―って思ってたけどさ…翼広げたからか、衝撃のまま乗って、爆発地から吹き飛べたみたい……」
もし空を飛べない、翼の無い魑魅魍魎に生まれ変わってたら。衝撃で艦上に落ちてても、沈んでいくタンカーにそのまま巻き込まれて死んでいたかもしれない。そう思うと、ハーピーに生まれかわって良かった。
「……ねえ、エリカ」
「…なに?」
「私達、やり切ったね。二人で最後までできたね」
「……うん」
エリカは、卯未をもう少し抱き寄せて頷いた。
卯未はぼんやりと空を見る。
「…あー、満月に星空、綺麗……。身体が動けば、すぐにでも飛びたいのになぁ…」
「ふふ、私もさっき言った」
二人は、思わず笑ってしまった。
遠く、船が二人の元へ向かってくる音が聞こえた。
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