第12話 理想の前に安らかに
叫び声があがった。
エリカに首元を咬まれ、断末魔をあげたドッペルゲンガーは。そこから再び力が入ることなく、弱弱しく目を閉じると。真っ黒な瘴気に分解され、宙に霧散する。
再び形を作る様子もない。再生する力もなく、消滅したようだった。
「復活しませんわね…。卵未さん、彼らは本人とドッペルで生命線が一本ですわ」
ふふんと笑い、周囲で今しがた起きた事にたじろいでいるドッペルゲンガー達を指さす。
「一人ずつ引き上げて討っていけば、相手がどう動こうが、数も減っていきますわ」
「みたいだね……!」
卵未は確信をすると、周りを見返して声をあげる。
「お前たち!見ての通りだ……。これ以上この人間達を喰おうものなら、一人ずつ消えていく事になる!……悪いことは言わない!今、全員解放すれば。弱っても追い打ちをしない!」
焦りを孕んだような声。卵未の目には、勝利の心地は籠っていなかった。
できれば、願わくば。彼らと戦いたくはなかった。
人間を襲おうとしてるのは許せないが、彼らの願いは、卵未にとって否定できるものではない。
だからこそ、
「ふざけるな!」
ドッペルゲンガーの一人が叫ぶ。
「手を引けだ?何甘優しいこと言ってるんだ!強い立ち位置になれば哀れみなんて、腹立たしい!」
そう叫ぶと、ドッペルゲンガーは卵未に飛び掛かって来た。
振り下ろされる乱暴な拳。卵未は、またも羽で前を隠し、フェイントを効かせて敵を躱す。
避けたばかりのわずかな刹那。卵未の目前には、今にも簡単に足詰めで掻っ切れてしまいそうな首筋があった。
「……!」
交渉は決裂だ。話を持ち掛けた末に、こうして攻撃されてしまったんだ。
話は終わりとして、今、爪でこのドッペルゲンガーの首を掻っ切ってしまうべきだ。
頭の中で、卵未はそれが分かっていた。目的は、彼らを倒し、被害者を助けることだと。
……だが、卵未にその一瞬が出来なかった。
「くっ……!」
卵未は、被害者の人間を片足に、部屋の端、エリカの居る方へと飛ぶ。
人間を足元に置き、息を整える。
「今、首斬れそうでしたけど」
「!」
エリカに指摘されてしまい、動揺する。
「……この人を、持ったまま戦い始めても」
苦し紛れに、足元の人に目を向ける。
エリカが周囲の敵に一瞥をし、倒れている人間の脈を図った。
「……窒息は、してないですわね。驚きましたわ、わざわざ半殺しに生かされてたのかしらねぇ」
ちょっと予想外とばかりに、口に手をあてた。
「卵未さん」
「な、なに?」
「貴女が救おうと決断した事は、間違ってませんわ」
「!」
戦えなかった自分に、差し出された花束のような言葉だった。
グールには戦えたのに、意図が見えたドッペルゲンガーに対しては、戦えなかった自分に対しての優しい言葉。
志が折れんばかりの矛盾に苛まれている自分にとって、何気ないその一言は余りにも救いになった。
「私に任せて」
エリカは立ち上がり、マントを翻してドッペルゲンガー達を見る。
「プランは先ほどと同じ。貴女が助けて、私が守り、倒す。全員助けますわよ」
「……うん!」
強く頷き返すと、二人そろって、再び目の前の敵に立ち向かった。
卵未が沼に飛ぶ、エリカが護衛として隣に沿う。
ドッペルゲンガーも、相手がする事が分かっているから先回りして、犠牲者たちの前に立ち憚る。
だが、そのたびに二人の空飛ぶ魑魅境達は、軌道を翻して防御の甘い所をついていく。
ひとたび卵未が被害者の頭上に到達してしまえば。必死に救助作業を始める。
そのたびに、ドッペルゲンガー達は顔色を青ざめさせ、卵未を阻害しようと飛び掛かる。
だが、どれもこれもが。エリカにガードされ捕食される末路をたどるか、エリカが恐ろしく、手を出せないかであった。
一人また一人と、卵未が沼から助け上げては。それと同じぐらい一人また一人と、ドッペルゲンガー達はその数を減らしていった。
「くっ、ふぅ……!もう、一人!」
沼からまたも一人が助け出された。もう既に十数名近くが、沼の外の部屋の端に転がされている。
ドッペルゲンガー達が、彼らを沼に戻さないのは。彼らと表裏一体関係にあったドッペルゲンガー達が、もうこの場に居ないからなのだろう。
卵未は息を整え、目線をあげる。そこには、もう二人の犠牲者と、二体のドッペルゲンガーしか居なかった。
「あと、二人……」
「ですわねぇ。あのお二方は元気ですが、実質虫の息ですわ」
残されたドッペルゲンガー二人は、息を飲む。せわしなく周囲を見るが、たくさん居たはずのドッペルゲンガーはもうどこにもいない。目の前のハーピーと吸血鬼の餌食になってしまっていた。
「結構。それなりには美味しかったですわ。お腹いっぱいには、まだまだですけど」
「……もう、終わりだね」
卵未は、部屋の端に倒れている人間達に目を見やる。
どれもが、無理やりに延命されていたようだ。かろうじて生きており、まだ病院に運べば助かりそうである。
「……最後に、聞いておきたい事がある」
ドッペルゲンガーに目を向けないで口を開く。
「お前たちが先ほど言っていた。
卵未の声には、静かに怒気が含まれている。そうだ。こんなことを、ドッペルゲンガーはするはずじゃなかった。
こんなことを提案した、リーダー格となる主犯が居る。
事件はこれで終わらない。これ以上、人も魑魅魍魎も犠牲にならないために、主犯を止めないといけないのだ。
「……」
しかし、ドッペルゲンガーは口を開かない。
「答えろ!」
羽を怒りで振るい、ドッペルゲンガーを睨みつけた。
「……言ってたまるか!」
そう言って、ドッペルゲンガーは大きく足踏みをした。
その瞬間。沼のあちこちから一斉に蒸気が噴き出す。
「なっ!?」
驚く卵未。沼そのものが霧散していく。沼のかさが徐々に減っていき、それに合わせて、部屋が沼と同じ色に真っ暗になっていった。
「なんだ、何も見えない!!」
「卵未!あまり吸っちゃだめ!」
真っ暗な煙の中で、何かが跳ぶ音が聞こえる。その後に響くのは、大きな素振りの音。おそらく、エリカが闇雲に敵に攻撃をしかけにいったのだ。
「!からぶりましたわ……!」
その時、部屋の外から、カンカンと何かが梯子を上る音が聞こえた。
「!エリカ、あいつらは外だ!」
「なんですって!」
驚くエリカ。
やがて、室内の煙は晴れていったが、そこで二人は気づく。
沼に沈んでいた、
「あいつら!!」
卵未が駆け出し、エリカもその後を追った。
「ぷはっ!!」
荒っぽく梯子を上り、地上に顔を出した卵未。
辺りを見渡すと。道路にトラックが出て、走り出していた。
先ほどエリカが覗いていたトラックだ。ドッペルゲンガーの所有物だったというわけだ。
「まずい、逃げられる!」
卵未が穴から跳びだすと、エリカも一緒に出てくる。
「まったく、今瀕死でしょうに……死に物狂いですわね!」
「もう死ぬ直前だしね…追おう!」
「オッケーですわ!」
二人は翼を広げ。夜の星空へと飛び出した。
地上から10m前後ほどの高さを飛び、トラックを追う。
トラックの荷台にはカバーシートが掛けられており、そこに残りの犠牲者2名が載っていると考えられる。
トラックは廃工場からまっすぐの道を走っている。その先には、海岸沿いの主道路への合流地点が待っていた。
「まずいですわ……。あそこまで行かれたら、干渉も難しくなりますわ!」
「その前に、トラックを止めないと!」
二人は、急いでトラックを追う。
二人の飛行速度は速く、アクセルを踏みきっている乱暴なトラックに、徐々に接近し始めている。
「どうしよう、どうやって止めよう……」
「卵未さん!」
風を切る中、エリカが話しかけてくる。
「貴女、私よりも飛ぶの上手いですわよね!?私に、いい考えがありますわ!」
「それって、どんな!?」
「話してる暇ありません!私を掴んで、トラックに追いついてください!」
「……分かった!」
エリカが何をするかも分からない。
だが、今はエリカの言葉を信じようと思った。
エリカは翼をひっこめて、飛ぶのをやめる。そこをすかさず、卵未が足爪で背中から鷲掴んだ。
「行くよ!」
「任せましたわ!」
そして、ハーピーは急降下して加速し、トラックに向かっていく。
高さが低くなるに合わせ、トラックとの距離が急速に近づいていく。
そして、主道路にたどり着く前に卵未はトラックの横にたどり着けた。
「着いたよ!後はお願い!」
「任されましたわ!!」
エリカは強く頷く。そして、エリカは目を閉じる。
すると、エリカの体が徐々に白く、透き通っていき始める。
エリカの体が霧になっているのだ。その霧は、トラックの扉のすきまへ吸い込まれるように流れ込んでいく。
トラック社内では、息が切れ切れの、弱弱しい状態でアクセルを踏んでいるドッペルゲンガーが二人居た。
「急げ、急げ……。逃げれば、ゆっくり成り代われる……!」
自分に言い聞かせるように喋るドッペルゲンガー達であったが。その時、扉の隙間から白い霧が入り込んできた。
「な、なんだ!?」
助手席側のドッペルゲンガーが慌てて扉の方を見る。窓を閉めてなかったのかと、窓が締まっているのに開閉ボタンに手を伸ばす。
が、白い霧の中から。青白く幼い手が伸びてきて、ドッペルゲンガーの手を握りつぶした。
「ぎゃあぁぁ!?」
絶叫を挙げるドッペルゲンガー。運転席のドッペルゲンガーも、それに悲鳴をあげた。
やがて、二人の正面。車の正面窓に、一人の少女が形を作り現れる。
エリカ=ウォルフローだった。
「逃がしませんですわ」
マントが窓を遮るように一面に広がる。そして、二人のドッペルゲンガーに闇が覆いかぶさった。
「うわぁっ!?」
突然、車が大きく蛇行し、卵未は慌てて距離を取った。
ぐわんぐわんとうねり動き。ききぃぃぃと乱暴にブレーキが踏まれ、車体は横滑りし回転する。
そのままぐるぐると回っていき。間一髪、主道路に合流する直前で停車した。
「……ぎり、ぎり……? ……!エリカ!!」
状況を飲み込むのに少し間を開け、卵未は急ぎトラックに寄った。
そして、運転席側の扉に足爪をひっかけ、乱暴に扉を開けた。
「エリカ!!」
卵未は、トラックの中を見る。
そこには、運転席で動かなくなったドッペルゲンガー。そして、その上で逆さまになって、片手をトラックのブレーキに押し付けているエリカが居た。
「あ、あははは……どーにか、止めれましたわ」
「え、エリカ……もう、貴女って人はあぁ!」
エリカの無事な姿を見て安心し、気が抜けたのか。卵未は膝をつくと、そのまま逆さまのエリカを抱きしめた。
「わぷっ、もー、大丈夫ですってー」
「派手に回転したから、心配したよ!」
ちょ、ちょっとこの姿勢は恥ずかしいと。エリカが頬を赤らめつつ、体勢を整えなおす。
こほんと一息をついて、トラック荷台のカバーシートをめくった。
「……よかった。こちらも、なんとかなりましたわ。 表に逃がすわけにはいかないといえ、壁に衝突してたら、どうなってましたか…」
どうやら、エリカ自身にとっても。結構無謀な挑戦だったらしく、ほっと胸をなでおろした。
「これで、犠牲者全員の救助と、誘拐していた犯人たちの全員撃破、完了ですわね」
「そうだね…。でも、彼らの手を引いていたのが、まだ……ん?」
卵未はもう一度社内を一瞥したところで、妙なことに気が付いた。
トラック内部に倒れてるドッペルゲンガーが、運転席の一人しか居ない。その運転手は、エリカからとどめの一撃を刺されているようで、少しずつ身体が蒸発し、消え始めていた。
「エリカ、一人だけ食べて、片方は残したの?」
「どういう意味ですの?車内のは、二人ともひとまず一撃食らわしただけですが……」
「!」
その言葉を聞き、卵未はハッとした。
エリカは、車内の二人を喰っていない。一人、どこにもいない!
慌てて翼を広げると、軽く3mほど飛び上がる。
見て見ると、近くの塀を乗り越え、森の中に入っていく、死に掛けのドッペルゲンガーが見えた。
「一人逃げてる!」
「なんですって!?」
「私、あの人を追ってくる!エリカは本部への連絡と、被害者たちの看護を!」
そう叫ぶと、卵未は単独でドッペルゲンガーの跡を追った。
森に入られては、飛びながらの追跡は難しい。森の入り口に着地すると、駆け足で森の中へ入っていった。
辺りは一層と暗く、逃げたドッペルゲンガーの姿は見えない。
「くっ……どこにも居ない。見失った……!」
卵未はあちらこちらと駆け回り、ドッペルゲンガーを探した。
運転席のドッペルゲンガーが消えていくのを見る限り、たとえ逃がしたとしても、もう後は無いだろうとは思う。
だが、死ぬ前に、なんとしても手がかりは残してもらいたかった。だからこそ、必死になって探し回る。
「どこだ、どこだ……!」
しばらく走り回り、開けたところに出た。
そこは、森の中にできた開けた広場。
雑草の並ぶ草原に、空には満面の星空と済んだ青い月。そして、遠くの方からは微かに波の音が聞こえて居た。
「……」
卵未は、目の前に見える景色に、ただ立ち尽くしていた。
広場の中央には、一人の青年が座っていた。
スーツ姿で、歳は若そうに見える。そしてなによりも、その青年は卵未が追っていたドッペルゲンガーを抱き寄せていた。
「あ、ああぁ……。まさか、来て、くださったのですね……」
抱き寄せられたドッペルゲンガーは、安心したような声をあげる。
「敵が、現れました。ハーピーと、吸血鬼です。我々の、理想を、邪魔しようと……」
そうか細い声を出しつつ、その体から徐々に光が出て空に向かって上り始める。どうやら、形を保てなくなり消えていくようだ。
スーツの青年は、ただ優しい目でそれを眺め、背中をゆっくりとさする。
「貴方は、同胞として、リーダーとして、とても、大事な事を教えてくれました……我々でも、夢を見ていいと。……きっと、我々が人として生きれる日を、導いて、くださいませ……」
その言葉を最後に、ドッペルゲンガーは宙へと消えていった。
「……」
卵未は、しばし沈黙を貫いていた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「……な、なあ。お前は…誰だ。お前が、彼らのリーダーか?」
そう語り掛ける。
だが、スーツの青年はそれに何も答えない。
ゆっくりと立ち上がり、卵未に目を向ける。その顔には、怒りも悲しみも含まれてない。ただ見守るような静かな目。
少し見つめ続けた後、やがて振り返り、青年の足元から小さな沼が広がったかと思うと。青年はその沼の中へとゆっくりと消えていった。
そうして、そこには星空の下立っている卵未だけが残っていた。
「……今のが、ドッペルゲンガーのリーダー……?」
ただ、遠くから聞こえる波の音だけが、卵未の耳に届いていた。
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