第37話 過去に泥を塗りたくる王

 それからという物の、本物の利園はドッペルの利園に拷問じみた教育を施してきた。

 普段の利園の業務内容。取引先の顔名前、その他プロフィール。営業哲学に技術。

 自分が表舞台に立つことなく、自分の活動を全て代われるようにするためにありとあらゆる人間の利園の全てを教え始めた。

 ドッペルの利園は、それまでの全ての生活を捨てさせられた。

 他のドッペルゲンガーに会う事も、あちこち自由に歩くことも。全ては人間の利園と細部までが同じになる為に。ドッペルの利園らしい部分は隅から隅まで罵倒され、情けない行為だと焼き印をさらに押し付けられ、心が折れたところで優しくして、正しい在り方だと言って人間の利園の在り方をまたも教えた。

 これもまた、利園が魑魅魍魎はびこるの世界に、利園貿易会社をシフトアップさせるための、過程でしかなかったらしい。

 その過程に到達するために、従わせている自分と同じ顔をした奴隷が言うことを効かず、自分と違う理想論を唱えるのは邪魔でしかなかったようだ。

 人間、ドッペルゲンガー。お互い別の人生を生きてきたのに、それぞれ奪っちゃいけない人生があったはずなのに。そう叫んだ日には食事をするたびに痛んで思い出すようにと、舌の上に焼いた鉄の破片を押し付けられ、傷を作られた。言いなりにするには、何気ない部分でトラウマを呼び起こすように作り直すのも効率が良いと言っていた。


 そんな日を、どのぐらい過ごしただろうか。一年以上は教え込まれ続けていた気がする。

 ドッペルの利園は、本物の利園の見たままの通りの、言いなりの影武者に作られて行っていた。

 その頃には、かつてのドッペルとして毎日怯えなくて済んだ頃の生活を、よく思い出せなくなっていた。思い出そうとすれば、自分の体のあちこちにある傷が、本人が居ないのに同じ罰を与えて、思い出すことを罰するような感覚に蝕まれていた。


 「生きてはいたけれど、もう死んでいたんだと思う」


 そんなある日だった。利園が望んだように影武者として傷を負う日がやって来た。

 地元の山奥か何かから、妖具を利園が盗み出したらしい。盗んだ妖具は、さっそくタンカー星握役目を果たし、遠く海外のどこかへと売り飛ばされた。だが、その報復を山奥住まいの魑魅魍魎が果たそうと、夜に襲撃をするという事になったらしい。

 本物の利園は、さっそくドッペルの利園に指示を送り、自分の影武者として死ねと指示してきた。

 大丈夫。お前の通り水とかいう能力は、ある程度ならお前を再生してくれる、治療は任せろ。なんてことを口走っていた。

 どうせ、治ろうが痛みは続くのに。その言葉も口に出せないままに頷くことになった。

 言いなりになったまま、ドッペルの利園は人の少ない表通りを歩いていた。歩く先には利園が普段の交通で使っている車がある。シナリオとしては、何気なく家へ帰ろうとした利園社長が、報復にやってきた魑魅魍魎たちに殺される、と言うものなようだ。

 自分は、そのシナリオの影武者として。不死身の利園社長を演じる為にこれから一度死ぬ。

 そう思うと、ため息が出てしまった。そのため息も、舌がひりひりして自分は奴隷だという事を思い知らされる。

 近くから異様な空気を感じた。利園を殺しに、魑魅魍魎がやって来たようだった。

 これから死ぬ。言う通りにしなくても死ぬのと同じぐらいの継続的な痛みを与えられる。従わないと、苦しい目に合う。染みついた思考回路が、死の手前でもそんなルーチンを頭に走らせた。


「……過程の為の、奴隷か…」


 利園の教育に対する恨み言を、小さく口に呟いた。

 その時だった。染みついていた脳のルーチンに、ほんの一瞬だけ小さなバグのような疑問が浮かんだ。

 これから死ぬだろうし、従わなくても死ぬのと同じぐらい苦しむ。


『なら、従わなくても罰を与えらえないよう、一瞬で本物の利園を殺したらどうなるんだろう?』


 そう疑問が浮かび、近くから魑魅魍魎が放ったと思われる火が吹きだした瞬間。行動は速かった。

 地面に殴りかかるように拳を打ち、床に広げた通り水の中に手を突っ込む。そして、いつでも呼び出せるようにと本物の利園が常に近くに広げていた通り水を、本人の足元に移動させ、その足首を掴んだ。

 本物の利園が驚きの声を挙げる前に、通り水に引きずり込む。そして、今この場に本物の利園を呼び出した。

 引きずり上げたら、後は簡単だ。本物の利園を、火が飛んでくる方に構えて盾にした。


「ぎゃあああああぁあぁああああ!!」


 ドッペルの利園は、感情も何も無い死んだ目で目の前の光景を眺めていた。

 目の前で利園が炎上してもだえ苦しんでいる。そして、主に逆らった場合に全身に激痛が走るように刻まれていた、制縛用の呪印も、ドッペルの利園の全身で発動した。

 ドッペルの利園の方も、全身から血を噴き出し、激痛を走らせるが。不思議と、ドッペルの利園は叫び声もあげなかった。

 ただ、何事も無いような静かな顔で、目の前で苦しむ本物の利園が、直接自分に罰を与えられない姿を見ている。


『ああ、やっぱり。罰も与えられないように、一瞬で息の根を止めれば、もう苦しむこともなかったんだね』


 ただ、自分が受けている痛みも認識できず。静かに安心をしていた。

 近くに目を向けて見る。報復に来た魑魅魍魎は、本物の利園が攻撃を受けたのを確認すると、する事は達成したとばかりに音も無く消えて行っていた。

 やがて、目の前で本物の利園が最後にドッペルの利園を睨む。

 のし上がっていくはずだったのに、道具でしかなかった奴が邪魔をするなんて。そう言いたげな恨み深い目だった。そのまま、床に倒れ絶命した。

 その場は、ただ静かになった。

 ただただ、利園校正は感情の高ぶりも感じる事もできず、苦しみもこれで終わったんだと、時間をかけて納得した。






「……それは、なんて、言えばいいのかしら……」


 一通りの話を、一つ話すたびに利園自身に付いた傷を見せつけられながら話されたエリカは。なんと声をかければいいのかも分からなかった。

 正直、敵であることも忘れて、ひとまず頭でも撫でてあげたい気分だった。吐き気と困惑が同時に来て、とにかく反応に困った。

 いくらなんでも、そんなに典型的な罰による教育、支配を与える人間がいるか?召喚したから自分が作り出したもの、自我なんて無いみたいに思ったのか?ただただ、よく分からない。そうとしか言えなかった。


「その……本当にどう言えば良いのかしら……大変、だったわね……」


 かろうじて、思った言葉を、エリカは利園に言った。


「ああ、分かってくれるか? 本当に大変だったんだよ……初めての顔合わせが、まるで資源のようにこっちを見る目になるなんて。想像がつかなかったね」


 利園は大げさに両手を広げて窓へと歩いていく。そんな全部に疲れて、投げやりに演技しているような振舞に、エリカは一つの疑問をぶつけた。


「……ねえ。そんなに辛いことが、理由で人間への攻撃を始めたのなら。私達、戦う必要なんてないんじゃない?」

「なんだって?」


 意外な言葉だと驚いたのか、きょとんとした顔で利園は振り返る。

 まるで無垢な子供みたいだ。この雰囲気が本来のドッペルの利園なのかもしれない。


「貴方の気持ちも分かりますわ。……でも、もう貴方を苦しめていた人は、居ないのよ? それに、ここにいるのは、人間らしい生活を求めているドッペルゲンガーだけ。これだけ大きなタンカーを持っている貴方の会社なら、上手くいけば彼らに、人間らしい生活を与える事が出来るんじゃないかしら」


 利園貿易会社で、こっそりと雇い。秘密裏に従業員として働いてもらう。エリカは社会福利なんてものに詳しくないし、夢見がちなアイデアかもしれないとは思う。でも、利園にはその用意が出来そうな気が舌。

 なによりも、彼の言い分は。一人だけにしちゃった

 卯未は先者に喰い殺された事がトラウマとなり、先者を呪い続けた。

 利園は本物に感情を殺された結果、本物や人間を呪い続けた。どちらも、嫌な事があって敵を大きく見すぎちゃってるんだ。

 だから、今現在人間の生気を吸い続けているのは許せないけど……利園の見方さえ変われば、利園校正は幸せな人生に気づけるような気がした。


「……この会社で、ドッペルゲンガー達に幸せを?」

「そうですわ。 この計画も、貴方の人間が憎い気持ちと、同じドッペルゲンガー達を救いたい気持ちが、混ざり合ってできた計画でしょ? それを少し変えるのよ。わざわざ人間と正面衝突しなくても、穏やかに生きれる道を作れるはずですわ」

「……ふふ」


 不意に、利園が笑った。


「ふふ、あはは、あははは、あっはっはっはっはっは!」


 おかしくて笑うのが止められない、そう言いたいとばかりに利園は高笑いをした。

 えっ。思わず、エリカはその姿にひるんだ。


「私が、彼らの未来の為に戦っていると思ってる!?」

「……え」


 その言葉は、エリカが利園の口から一番聞きたくない言葉だった。

 同じ苦しみを味わったドッペルゲンガー達を、開放したいと思って、立ち上げたんじゃないの?


「私の目的はね。全く違うよ。見ているものが違う!」


 利園は窓の外を指さし、広く広がっている艦上を指す。


「私は壊したいんだよ。この、本物の利園が残した貿を!!」

「なっ…!?」


 その言葉に、またも怯んだ。

 卯未と資料室で見つけた、成り代わり計画を思い出す。あの計画書によれば、このタンカー星握による爆破で、利園貿易会社はその社会的地位を壊してでも、その陰でドッペルゲンガー達を人間に成り代わらせる、捨て身の計画だったはずだ。

 その逆?町が滅びるのも、ドッペル達が秘密裏に人間の人生を得るのもどうでもよくて……


「そもそもが利園貿易会社を犯罪会社にする事が目的ですの…?」

「その通り!」


 利園は、未来に期待するようなキラキラとした目でそう言った。


「私の人生を台無しにした本物が、大事にしていた会社がここだ。その会社の手が、私の手に落ちてしまったんだよ? 私をにした分、最悪の形で壊したいよねぇ…!命を奪うだけじゃダメだ。死んでも残ってしまっている物に、最高の泥をぶつけてやりたいんだよ!そこで、考えたのが、人間的にも、魑魅魍魎的にも最悪な会社として残る、テロだ!」


 利園がエリカに思いっきり顔を近づけてくる。エリカは仰け反り青ざめた。


「人の事エサにした野郎の残したものは、ちゃんとダメな奴が作ったダメなものでしたって、残したいんだ……。大勢が死ねば、世間は利園貿易会社を非難するだろうし。ドッペルゲンガー達が、後世で町一つ入れ替わってる事がばれれば、魑魅魍魎社会からも、おぞましい会社だと名が残る!」


 利園は両腕を上に挙げ、ガッツポーズをとった。


「そうする事で、私は!ざまあみろどぶ野郎ってな!あはははははは!!」


 目の前で高笑いをする利園。エリカはその姿を見て、ただ、静かに涙を流した。

 ああ、そうか。世界を大きく見すぎて、大きな敵を間違えて見ているとか、そんなレベルの話じゃなかったんだ。

 彼の心は、とっくの昔に死んでいたんだ。

 自己矛盾に苛み、何が答えかを彷徨い続ける、立ち上がろうと四苦八苦している卯未とは全く違う。

 もう、とにかく憎い相手の全てを台無しにする事に脳を支配されてしまっている。自分の幸せももう何も考えられなくなっている。ただの死人だ。

 もっと、もっと早いタイミングで彼と会う事が出来ていれば、彼の心は死なないですんだんじゃないか。そう思うと、エリカは涙が止まらなかった。


「……利園」

「ん?」


 エリカが俯き、ゆっくりと口を開く。


「……本当に、ごめんなさい。本当にごめんなさい」

「……はい?」


 つい、エリカの口から謝りの言葉が出てしまった。


「……それと、断定するわ。 …貴方の願いは、半分は果たされるわ。この利園貿易会社は、もうおしまいよ」

「ふふ、やっぱりそう思ってくれるかな」

「でも、半分よ」


 エリカは、利園の顔を見て言った。


「町にタンカーは突っ込めないわ。 その前に私達が、タンカーを止める」


 台無しにする事ばかりを考える者は、今良い在り方を見つけようとする者に勝つことはできないんだ。

 それをエリカは、かつての自分と卯未から知った。


「面白いね!ここまで来ると、もうどうなろうが楽しい余興だ。めっちゃくちゃに迎え討ってあげるよ!」


 そう言って、利園は操舵席に向かった。

 そして、近くのマイクを手に取り、スイッチをオンにする。

 オンにした途端、利園は一瞬で空気を換え、静かな青年の演技をし始めた。


「……諸君。待ち望んだ時が来た。とても待たせてしまった。出発の時は来た。今、我々が我々の為に出来る事を成し遂げよう」


 そして、高らかに言った。


「星握、出航!目指すは都市部だ!」

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