第9話 瓜二つな本人達

「なに、これ…いったい…?」


気を強く保とうにも、口から出る声はどうしても震えてしまっていた。

さすがのエリカも、横で口に手を当て、悩まし気に前を眺めている。

いったいなんなんだ? 自分の頭の中を蝕む問いに答えれる言葉は浮かばなかった。

目の前に居るのは行方不明者達。だが、血の海ですらない。

何といえばいいのか分からない黒ずんだ液体の海に、息が出来てるかも分からないような状態で沈みかけている。

ふと、蜘蛛の糸という有名作の、血の底に広がる地獄の光景が頭をよぎるほどだった。


「あ、が、あぁ…助け、て。助けて、助けて、助けて…」


沼に沈んでいる、しわしわの手をした人間が一人、こちらがどんな姿をしているかも分からず、手を伸ばしてきた。


「うぅっ…!」


怖いよりも、その声が自分にとってのトリガーになった。

急にフラッシュバックする黒ずんだ脳裏の景色。喰われる自分、割かれる腹、喜々とした怪物の顔。

目の前のこの人たちは、絶叫を上げて死んでいった自分と同じだ。そう思った瞬間、体が動いてしまった。


「卯未!?」


血走った眼で、翼を大きく振るい、広間の沼上空へ飛ぶ。

そのまま、うめき声をあげながら手を空へ伸ばしている人たちに、自分の足爪を突き出した。


「捕まって!大丈夫!今助けるから!!」


だが、悶えている人間達は差し出しても卵未の足をうまくつかめない。もう目が見えていないのかもしれない。

焦りに狩られた卯未は、一番足に近い手を爪で鷲掴みにして引っ張った。


「大丈夫、死なせないから。大丈夫だから!!」

「卯未!ちょっと、もどりなさい!」


部屋の入り口の方から、エリカの慌てる声が響く。

だが、卯未に顔を向けている暇もない、一心不乱に沼から人間を引き抜こうともがき続けている。


「エリカも、早く!早くしないと、死んじゃう!助けないと死んじゃう!」


もはや、半狂乱にさえ近い叫びだった。その目は、目の前の人間達への哀れみよりも、過去に助けてと叫び続けたのに、そのまま食い殺された自分自身の姿への恐怖があらわになっているようだった。


「違うの!その沼は、ただの液体じゃ…!」


エリカがそう声を上げた瞬間だった。

今引き上げようとしてる人間の真横の沼から、ぬっと泥の塊が起き上がった。

それは、人間を助けようとしている卯未へと瞬時に詰め寄ると、大きく振りかぶった腕らしきものを、卵未のみぞおち目掛けて殴り込んだ。


「ガファッ!?」


卵未は何が起きたのかさえ、分からないとばかりに驚愕の顔を浮かべ。口から唾を噴き出した。

そしてなにかは、そのまま打ち込んだ腕を振り切り、部屋の壁に卵未を打ち飛ばしてしまった。


「そんなっ―!」


サッと、青白かった表情をさらに青ざめさせ、エリカの血の気は引いた。


「卯未さん!!」


翼を大きく広げ、跳び込むようにして卯未の方へと向かった。


「卯未さん、しっかり、大丈夫!?」

「えほっ、ごほっ……い、痛い。胸が。ううぅ…」

「酷い……」


卯未は、強く抑える事の出来ない翼で、胸を押さえつけながらうずくまり続ける。

取り乱してしまった。痛みが冷静さを引き戻したのか、呻きながら卵未は後悔した。

事件現場で騒ぎを起こすなとエリカに言ったばかりなのに、一番の事件現場にやってきて、自分がこれか。


こんな始末では、本番前に息を抜いていたエリカの方が、一段と良い魑魅境なのは見て取れる惨状だ…。


「す、すみま、せん。わたし…」

「大丈夫。私に任せなさい」


暗い昔へと、そのまま落ち込みそうになった卯未。エリカはその翼の先を強く握りしめた。

背後の、人間達が沈みかけている沼へエリカは目を向ける。

そこには、先ほどの出来損ないの泥の人形のような人型が居る。

そして、こちらに休みを与えんと言わんばかりに、沼からは無数の触手らしきものが飛び出し、こちらへととんできた。


「体を縮めて!」


そう言うとエリカは、壁に倒れてる卯未の上に覆いかぶさる。

敵に背中を向け、その背中に大量の触手が突き刺さった。

否、その触手たちはエリカの体そのものは貫いていない。

マントだった。エリカの背についた黒マントに、触手たちは突き刺さり暗がりへとはまってしまった。


織二口おりふたぐち!!」


エリカはその妖具の名前を叫ぶ。

その呼び名に呼応するかのように、黒マントからはまたも巨大な獣の口が飛び出した。

触手たちは逃げる事も叶わず、その巨大な顎の形のままに噛み千切られていった。


「ふふん…。守りにはベストね」


エリカはそう言って笑い、立ち上がった。

みぞおちの痛みに震えながらも、卯未はその立ち上がったエリカの姿を見る。

事あるごとに、強がりのようにふふんと笑い続けるエリカ。またもその口癖をもって立ち上がった。

だが、見上げて見たその顔は、こんな状況で自信に満ち溢れていて。

苦手なはずなのに、かっこいいなと思ってしまった。


「…ぐっ、ううぅぅ……!!」


足に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。

両足でしっかりと立ち上がったら、エリカに並び立った。


「みぞおち殴られたばっかりでしょう?わたくしに任せなさいな」

「穴空いたわけでもあるまいし」


視線の先は、目の前の泥人形。

その泥人形は、顔らしい部分をこちらに向ける。

すると、沼からかぶっていた泥が、頭の部分から徐々に流れ落ちるようにして、流れていき始めた。


「…あらまあ」


泥が剥がれ落ちて行って、中から現れた姿に、二人して驚いた。

それは、一見人間とほぼ変わりの無いような姿かたちだった。

だが、その人間らしいなにかの足元に沈みかけている、苦しんだ表情を浮かべている人間と、


「そっくりですわねぇ…」

「まさか……」


沼に沈んでいる、十数人の人間達を一瞥し、卯未はその正体を口に出す。


「ドッペルゲンガーか。こいつら…!」


その名前を聞き、人間らしきなにかは、苛立たし気に歯ぎしりを見せた。

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