第36話 不確定要素

「ふう……」


 これで窮地は脱した。後は自動操縦に切り換えてを予定ポイントに降ろせば終わりだ。いつにない緊張感が緩み、ルフィナが背もたれに体を預けていると、額に冷たい感触が当たった。


「お疲れ様。無理させちゃったわね」


 渡された炭酸水を半分ほど呷る。無性に乾いた喉で泡が弾ける具合で、改めて状況の収束を実感する。

 労いを込めた微笑で自らも同じものを口にした女――氷室渚は、頭に引っ掛けていたインカムを取り、束ねていた髪を解いた。


「渚……これはどういうことだ」


「何が?」


 あからさまにトボける渚。こういう人を食った態度は昔からだ。普段外面が良いだけ余計に苛立つ。思わずPCのボードを叩いてしまった。


「何がじゃない! どうして古賀があんな所に居たって聞いてるんだ!」


 最初は有り得ないと思った。でもこれだけの交信記録を前にすれば、変装していても積み荷の素性は馬鹿でも理解できる。渚がきょとんと首を傾げた。


「驚いた。あんたら面識あるの? 見学の時はそんな素振りなかったのに」


「……お前とやり合った日に行った病院で偶然会った。それより答えろ。古賀が何でに関わってる? お前と古賀はどんな関係なんだ!」


 主流派と改革派。リグセイル社に深く根差す因縁に興信所のバイト風情が割り込むという理屈は通らない。ところが渚はやれやれといった仕草で


「ご覧の通りビジネスパートナーよ。あの子のバイト先に『特別依頼』をしているの。割と使えるからルフィナも何か頼んでみれば?」


「待て!」


 あからさまにはぐらかし帰り支度を始めた渚に詰め寄る。出ようとするその肩を掴んで振り向かせると、渚はいつもの飄々とした態度とは真逆の冷気に満ちた眼光で射抜いた。同じ光を宿した4対の瞳が相対する。


「第一、そんなこと聞いてどうするの? 未成年の深夜残業でも告発する?」


「計画上の不安要素があれば、取り除くのは当然だろ。得体の知れない味方なんて信用できるか」


「あんた何か勘違いしてない? この計画における彼の価値は計り知れないわ。例のAINA……未完成のハッキングプログラムを持て余すあんたよりも遥か上の存在なの。知る資格もない人間に教える義理はないわ」


 突き放す物言いに揺さぶられ、歯噛みするルフィナの手が離れる。気に食わないが正論だけに何も言い返せない。


「信用云々の話なら少なくとも心配無用よ。あの子は間違いなく。裏切りは有り得ない」


「……根拠は?」


 自信というより必然と疑わない渚にダメ元で聞くが、無言で返されるだけだろう。だが彼女の答えは異なっていた。


「知りたければ貢献しなさい。あんたがこの計画に相応しいと私の信頼を勝ち取れれば、あるいは……。まあ、今日はアクシデント連発の中、よく対応してくれたわね。飛び級で大学出た子はやっぱり違うわ」


「茶化すな。この程度の侵入検知システムIDSなら何度も潜ってる。先月の事件だってその気になればくらいすぐに分かる」


「なんだ。気付いてたの」


「矢吹美鈴の身分を考えれば会場の警備はRsecが担当するのが筋だったのに、その日に限って別会社に委託されていた。必要な場所以外はバイトで補充するような業者だ。案の定、誘拐が発生したときはまるで役に立たなかった。だがそれを差し引いても実行犯の手順が鮮やか過ぎる。連中に会場を混乱に陥れる技術があるとは考えにくい。内通者が手引きしたと疑うのが自然だ」


「ふうん、まあその通りなんだけど」


「認めるのかよ……」


 意外にも渚はあっさりと認めた。隠し通す割にはこちらの反応を煽り、トボけた振りしてタネを明かす。

 これもルフィナを誘導するための手口なのか、それともただの気紛れか。相変わらずどこまで本気なのか分からない女だ。


「そこまで秘密にする案件でもないしね。あの騒動は言ってしまえばルフィナのために設けられたテストよ」


「私の……?」


「私は必要ないって言ったんだけどねー。改革派って鳴り物入りで参加したあんたの素質に懐疑的な連中が多いのよ。だから説得材料が必要だった。予期せぬトラブルに直面したときこそ、その人間の本質が分かる」


「それで矢吹美鈴を餌にしたのか!? あいつはただのアイドルだぞ」


「あの事件は主流派を牽制する狙いもあったから、なるべく目立つ必要があったの。万が一に備えて保険も用意してたわ」


「……それが古賀か」


 その通り、と渚が微笑みを返事にする。思わず「ふざけるな」と言いたくなったが、その発端となった自分が言える義理はない。

 全てはマーシトロンに近付くためと割り切ったつもりだったが、こうして知り合いを巻き込んでしまったと思うとやるせない感情に戸惑ってしまう。


「計画はこれから本格的に動き出すわ。戦力と見込んだ以上、あんたも子供扱いはされないと思いなさい」


「今までされたことないから平気だ」


「……それもそうだったわね。さてと……ん?  何これ、アイマスク?」


 渚が無造作に置かれた使用済みのそれに気付いた。普段は蒸しタオルを使ってるのを知っているから、気になったのだろう。

 数時間前に渡してきた人物の顔がルフィナの頭に浮かぶが、敢えてその思考を消し去る。


「最近プログラム組みまくってたから目が疲れたんだよ。帰りがけに試供品拾っただけだ」


「……まあ、いいわ。今日はもう休みなさい。夏休み入ったら海に行くんでしょ? 


「分かってる」


 見送るほどの仲でもないので背中で返事をすると、靴音が遠のき次第に何も聞こえなくなった。

 初のハッキングサポートを成功させたというのに、思ったほどの感慨はない。寧ろ精神的な衝撃が重く圧し掛かり、頭も再起動に時間が掛かりそうだ。


 椅子にぐったりと身を沈め、ぼんやり思考を放棄していると、いつの間にかホットアイマスクに焦点が定まっていた。もうすっかり熱が冷めたそれは、古賀が要らぬお節介で渡してきたものだ。


 ……最初に噂を否定したのはあいつだったっけ。


 何となく掘り返した記憶の中で稚拙な書き込みを妄想の羅列と断じた顔が、これを寄越して逃げたときのしたり顔に重なる。


「下手な気遣いするんじゃねえよ……」


 頭の隅にチラついて落ち着かない顔を追い出すように、アイマスクを指で弾く。が、微妙に勢いが足りなかったのか炭酸水が入っていたグラスの前で止まり、表面に結露していた水滴が滴り落ちて出来た水溜りが布地に染み込む。


 ディスプレイの淡い光で仄かに色付いた水滴がアイマスクを濡らす。ルフィナはPCが自動的に落ちるまで、その様子をぼんやりと眺めていた。


◆◆◆◆◆


 無事に降下しキャラハンに戻っても、任務は終わらない。面倒だけど報告と傷の治療がある。


「で、坊主は優雅に遊覧飛行で帰還した訳だな」


「社長も今度試しにどうです? 空挺降下並みのスリルを味わえますよ」


 止血点を押さえ肩の傷口を消毒する菊池さんは本気で嫌そうな顔をした。

 確かに東京タワー以上の高さを新幹線に追い付くほどの速度で飛ぶ輸送機から身投げする感覚は、そう何度も体験したくはないだろう。僕だってあの脱出劇は二度とやりたくない。


 改造ドローンにしがみつき、強風に嬲られながら地上に戻ったが、任務達成と言えるのかは微妙なラインだ。

 追っ手を振り切ったのは良いが、データを十分に回収できなかったのは痛い。奇襲を受けたのは古い神社から数えて二度目だ。


「命あっての物種だ。気にするな」


「ですね……」


 何を考えているのか筒抜けらしい。悔やむことはあっても引きずらない。それが仕事を長続きさせる秘訣だ。


「ところで社長、ペトルーシカって知ってます?」


「急に何だ?」


「奇襲仕掛けてきたデカブツが言ってたんですよ。何かの符号ですかね?」


「ペトルーシカ……どこかで聞いたな。後で情報部に照会させよう。……うし、これでどうだ?」


 軟膏を塗りガーゼを被せた箇所を包帯で緩めに被覆する。幸いにも浅く肉を裂いた程度だから動きにそこまで支障はない。数日もすれば元に戻るだろう。


「問題ないです。それよりもドライブの解析はどうなってますか?」


「搭載した検索エージェントのお陰で、内部データを山のように抜き出してるよ。あいつも良い仕事するじゃねえか」


 菊池さんが言うあいつとは、手榴弾から僕を庇って散った影鰐の調査員のことだ。長年に渡りリグセイル社を内偵し、主流派の中核である藤堂由利子の機密サーバーに重要な情報が納められていると確信。彼女のアカウントを介して直接入り込む作戦を提案した。


 そして膨大な機密情報を選別するための検索機能を備えたフラッシュドライブが完成したところであの襲撃が起こった。結果、彼は粉々に砕け散り僕は謎の女にボコボコにされた。


 データの移行具合を見てくると治療キットを片付けて奥に引っ込んだ菊池さんの背中を見送ると、視界が何かに塞がれた。


「だーれだ?」


 耳元に甘い囁きが吹き込まれ、背中に幸せな感触。この2つの要素を兼ね備えた人間は僕の知る限りただ1人――


「姐御? 今日こっち来る予定ありましたっけ?」


「やだ正解! 何で分かったのタッちゃん」


「論理的思考と緻密な観察で解き明かしたに過ぎませんよ」


「わぁ、ホームズみたいな台詞。なるほど。私の胸の弾力をつぶさに計測したわけね」


「……仰る通りで」


 仕方ないじゃない。男子なんだもの。 byたくを


 目隠しを解いた姐御がそのまま背中に引っ付き、僕の髪や頬っぺたをいじる。これはいつものことだから放っておく。


「僕にじゃれついてて良いんですか? 確かこの前カノジョ出来たって言ってたでしょ」


「あーもう別れた。仕事でしばらく連絡出来ないって言っておいたのに、ガン無視で鬼電してくるのよ? 出たら出たで『何で電話出ないの!? 浮気?』とかホザくんだからやってらんないわ」


「そうかぁ。聞いてた感じじゃ良い子だと思ったんだけどなぁ」


 何人目かは知らないけど、姐御のローテーションから考えると持った方か。本人曰く「男には男、女には女の魅力がある」らしいけど、この調子だと落ち着くのはいつになるやら。


「だから今日は疲れてるタッちゃんを労う代わりに、慰めてもらおうと思って。お互いに寂しい独り身だし良いでしょ?」


「肩に弾食らったばかりなんですが」


「掠り傷じゃない。何だったら私が動いてもいいけど」


 これは早く報告を聞きたがってる顔だな。いつもならそこらのホテルでベッドインしたついでに話すんだけど、今日はさてどうしたものか。

 素直に欲求に従うかどうか悩んでいると、菊池さんがタブレットを持って引き返してきた。


「おいおい、盛るのは勝手だがここでおっ始めるなよ。俺が残業で使うからな」


 と言いつつ早速ワンカップを開けたに姐御がべっ、と舌を出す。


「言われなくてもそうするわ。私だっておじさんに見られながらやる趣味なんてないもの」


「けっ、誰がガキのセックスに興奮するか。俺が反応するのは人妻だけだ」


 割と最低な性癖を暴露するが、意外にも菊池さんはその手の繋がりには不自由しない。需要と供給の一致がコツと言っているが、面倒になった場合に巻き込まれたくないから、僕もあまり聞かないことにしている。


「それはそうと渚ちゃんには世話になったな。影鰐ウチでもあれだけ正確な地図はそうそう描けない」


「礼ならタッちゃんにも言ってあげて。この子が臨時の雑用を請け負ってくれたささやかなお返しよ」


「雑用?」


「ちょっとしたトラブルの始末ですよ。『幽霊狩り』とは無関係です」


 職場見学の後で依頼された関根先輩への些細な工作。どうやら姐御が御子柴さんから詳細を聞き出し、原因の排除を画策したようだ。

 姐御の話では御子柴さんはリグセイル社幹部の娘で、小さい頃からの付き合いだという。事が大きくなれば会社にも少なからず影響するから、早めに芽を摘んでおきたかったそうだ。


「にしても姐御って色んな伝手があるんですね。ハッカーの友達でもいるんですか?」


「まあねー。日頃のコミュニケーションの賜物よ」


 ふふん、と姐御が胸を張る。ハッカーの知り合いなら僕にもあるが、口には出すまい。いかにレシュリスカヤさんが優秀と言えども、無関係の人を『幽霊狩り』に巻き込むわけにはいかない。


「回収したファイルはまだ解凍の途中だ。量が量だから相応の時間がかかるぞ」


「じゃあ今日は解散ね。さあタッちゃん、後はお姉さんと綿をしましょうか」


 むにゅ、と胸の圧迫が高まり、僕の鼓動も高まる。しかし非常に残念ながら、僕はその申し出を断った。


「正直、物凄く残念なんですが、今日は先約があるんです」


「お医者さんでも行くの? そこまで酷い傷には見えないけど」


「別件で手榴弾に巻き込まれたんだよ。仲間が盾になって助かったが、そいつの骨の破片やらが坊主に食い込んでな。粗方摘出したが、まだ残ってる。今日はそれを取り除くんだ」


「……仕方ないわね」


 姐御のホールドが解かれる。助かった。腹に骨片が刺さったままでは流石に荷が重い。その肉食っぷりが長続きしない一因だと自覚してほしいくらい、彼女の相手は体力が要求されるのだ。


「連中、誰だと思う?」


 キャラハンを出て姐御を送る道中、さり気なく尋ねてくる。連中とはつまり僕を襲った奴らだ。


「同業者としか言えませんね。CIA、MI6、モサド、DGSE……思いつく候補は?」


「星の数ほど。ウチもだけど主流派も裏の人脈はかなりのものよ。藤堂さんの傍にいたワイズマンとかいう男……海外の研究室から引き抜いてきたらしいけど、どこまで本当なのか」


「相当の手練れなのは間違いありません。プランの進行には慎重な采配を心掛けてください」


「ええ。影鰐のエースさんにも期待しているわ」


 おやすみ、と手を振って別れた姐御を見送り、絡みつくような熱帯夜の街中を歩く。去年は経験しなかった暑さだ。中東の乾いた熱気とは異なり、この国はどんな格好でも汗が噴き出る。


「もうすぐ夏休みか……」


 これまでの人生で数えるほどしか経験しなかった長期休暇。海、山、祭りに花火。青春の醍醐味と言えるイベントが盛りだくさん。今頃大半の高校生は青い夏に焦がれてそのスケジュール調整に余念がないだろう。


 そんな中でこそこそと泥棒の真似事をしている自分がひどく滑稽に思える。しかも警備網に引っかかり取っ組み合いの挙句に逃げ帰ったとなれば、泥棒としても失格だ。いや成果は一応持ち帰ったわけだから、捕まらなかっただけマシと言えなくもないか。


 もうこんな考え方をしてる時点でマーシトロンには危険人物とみなされてしまう。ともすればジオフロントに追いやられてもおかしくないのに、こうして地上でのさばっていられるのが不適合者故だと思うと、何とも皮肉な話だ。


 不適合者という言葉にふとある少女を思い出す。技術の発展により功利主義が顕著となったこの社会で彼女はどう生きるのか。ただ黙って耐えるだけでは何も変わらないのは百も承知のはずだ。


 仙崎千春の弱々しく俯く姿は危うくもあり、懐かしくもあった。

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