第14話 暗躍と救出

 簡単過ぎる、という考えがずっと疑念にあった。頭には他にも発生しうる展開をいくつかシュミレートしたが、現在進行中なのはルフィナたちにとって最も都合の良いものだ。


 尾行しているキャップ男も追跡を警戒する素振りがない。罠かと勘繰っても跡を尾けて分かったのは、そもそも追われてると分からない素人だということ。

 とすればキャップ男の行き着く先に犯人グループがいると確信出来るが、同時に思った通りに進み過ぎているという懸念がルフィナの歩調を遅くしていた。


 仕掛けるか。このまま様子見に徹しても時間をいたずらに消費するだけだ。尾行から尋問プランに切り替えキャップ男との距離を詰めようとした時だった。


『ああ、やっと出た! 聞いてくれ、大変なことになった!』


 もしもの時に渡しておいた電話番号にかかってきたのは寺田の切迫した声だった。割と明瞭に聞き取れるのは屋外に出たからだろう。


「いきなりどうした? まだライブの途中だろ」


『これから後半が始まるんだが、開始時間になっても美鈴が現れねえんだ! それにさっきから照明やステージの様子がおかしく――』


「……チッ!」


 悪い方の予感が当たった。上演中は狙われないと踏み、敢えてその場を離れ犯人どもの出処を押さえる算段を建てたのに、まさかその裏をかいてくるとは。

 人通りが少なかったこともあるのだろう。舌打ちは思いのほか大きくなり、キャップ男を振り向かせるには充分だった。


「……? ……っ!?」


 怪訝な顔がすぐに何かに気付き、ガニ股歩きが全力ダッシュにギアチェンジする。だが速度が上がったのはルフィナも同じだった。


「逃がすか!」


 脚のバネを全開にして跳び、見る見るうちに距離を詰める。ところが20メートルもないというところで、キャップ男は小さな曲がり角に入った。


 仕掛けてくる、と勘が告げる。負ける気はしないが条件が悪い。角に立つ街灯に設置された監視カメラが男が逃げた小道も映しているからだ。その小道にだってカメラが置かれている可能性は否定できない。


「短時間なら……!」


 携帯を素早く操作しAINAという簡素なロゴを映し出す。ターゲットは50メートル半径の監視装置。有効時間は2分。


 『Are You OK?』の承認を無視し、即座にを掛けた。街灯のカメラが稼働中であることを示す赤いランプを一瞬消し、もう一度点ける。


 成功だ、と喜ぶのも惜しく曲がり角に入ると、ルフィナの視界を灰色の何かが覆った。


「……っ!」


 ゴミバケツの蓋だ。ぶつかる直前に反射で地を滑り、勢いのまま唖然としたキャップ男の足元を刈る。

 男がコケると同時に足払いの勢いで立ち上がり、飛びかかって膝頭を腹部にめり込ませた。苦しそうに咳き込むキャップ男の頬に1発入れる。


「次はお前のタマを潰す。矢吹美鈴をどこに連れて行くつもりだ」


「に、西区大通の地下駐車場か郊外の空き倉庫……」


「そうか。ありがとな」


「ぐぇっ!」


 礼として追加の1発をもらいぐったりとキャップ男が横たわる。郊外の空き倉庫というのは恐らく予備の場所。移動手段に車を使うとしても、いつまでも同じ車を使うわけがない。必ず近場で乗り換えるはずだ。

 その点西区の地下駐車場は会場から2駅も離れてない。それを裏付けるように自身の携帯を開くと、画面上のマップでは密かに同期させた美鈴の衣装の発信機も西区に向かっていた。


 まだ終わってない。曲がり角から出たルフィナはダイヤルを弄りながら再び走り出した。


◆◆◆◆◆


 状況は予定通りに進んでいる。ライブの前半を消化し、休憩時間を挟んだ直後にそれは起こった。

 後半を促す照明がいきなり消え、ラストで出るはずのステージ上のクラッカーが一斉に噴き出したのだ。初めは戸惑うばかりの観客たちも、続いてアラートが鳴り響いてようやく事態の異常性に気付き始めた。


 警備員たちも一拍遅れて客を誘導するが、混乱はしばらく収まりそうにない。でもここを嗅ぎ当ててくるのも時間の問題だ。扉の向こうも同様の焦りに陥っている。


「おいどうなってる!? 照明だけ消すんじゃなかったのかよ」


「知らねえよ! 俺は言われた通りにやっただけだ!」


 想定外の混乱ぶりに仕掛け人側も狼狽えるばかりだ。どうやら彼らも使い捨ての駒に過ぎなかったということか。じゃあ僕は僕の仕事をしますか。


 軽く伸びをして準備姿勢を作り、コントロールルームに踏み入る。普段は自動操作に任せて無人のはずの室内は2人の男が醜く言い争っていた。

 どちらも警備バイトのシャツを羽織っている。やっぱり不良たちも警備体制を探るための入れ知恵くらいは吹き込まれていたか。


「大した茶番劇だよまったく……」


「ん? 何だテメ――」


 肩を張り出して近付いた方の顎をかち上げ、顔面をアイアンクロー。相手に密着して重心を崩し足を刈って投げる。不意を突いた効果は高く、1人目は簡単に片づけられた。


 2人目は呆けたのも束の間、今度は自分の番と悟ると奥に逃げ込み武器になる物を探す。手にしたのは無造作に置いていた誘導棒。チョイスは悪くない。でも、この場合は出入り口に逃げ込む方がベターだった。


 突き出された誘導棒をその手首と肘を押さえて封じ、そのまま相手に突き返す。

 棒の先が腹を打ち据え動きが止まった間に、棒を握りが甘くなるまで捻って奪い取り、押さえていた腕に絡ませて関節を固め、捻じ伏せる。

 捻る力を更に加えるとゴキリと鈍い感触が伝わった。肩がイッたらしい。叫ぶ前に踏みつけて黙らせると


「クソが……!」


 先に投げ飛ばした1人目がよろけながら立ち上がっていた。憤怒を剥き出しにして襲い掛かり、側頭部を狙った左からのフックを放つ。

 僕はそれを屈んでかわすついでに、軸足の膝を思い切り殴った。バランスが崩れ膝を着いたところで、リバーブローを刺す。

 肝臓の痛みは普通に殴られたときの比じゃない。上手い具合に入った拳は相手に声も上げさせず意識を奪った。


 人の掃除が終われば次は道具の片付けだ。コンソールを探るとプラグに挿したUSBを見つけた。

 画面は既に侵入したウイルスの痕跡を自動消去する手順に入っている。流石はだ。後はUSBを持ち出すだけで良い。

 携帯を開き所定のアドレスに「片付けが終わりました」とメールを送信する。これでこのショーはクライマックスまで一幕を残すだけだ。


◆◆◆◆◆


 メールの返信には矢吹さんが連れ去られた場所の詳細が綴られていた。西区大通の地下駐車場。乗り換えて次のポイントに向かうための中継地か。

 タクシーで飛ばしてきたけど、当然のように人気はない。螺旋状のコンクリ壁が形成する吹き抜け構造をゴウッっという音を伴った風が対流している。


 レシュリスカヤさんはどうしてるんだろう。さっきから電話してるんだけど出る気配がない。である以上、僕も迂闊に介入できないが、早くしないと矢吹さんが危険だ。場合によっては僕の今後に大きな支障が出る。


 ……万が一のため時間稼ぎだけしておくか。最悪の事態を迎えた時の罪悪感とクライアントの評価を守るために、屁理屈を並べ少しだけ状況に踏み込むと決めた。


「あんまり『レンタル』したくないんだよなぁ……後々キツいし」


 愚痴っても仕方ないとはいえ、やっぱり嫌なものは嫌だ。それに応えるように頭の中が奇妙に疼く。タイミング良く呼び出すところは相変わらず目敏い。


 ……思い起こすのは水門のイメージ。精神の奥に潜むそれの錠を少しだけ緩めると流れ込むのは、圧殺されるほど濃くて重い記憶の暴流。

 身構える間もなく僕ではない「ぼく」が注ぎ込まれ、門を強引にこじ開けようとする。

 猥雑で個々の処理がままならないほど黒々しく、僅かでも気を緩めれば存在そのものがバラバラに砕けてしまいそうな鋭さと冷たさを持った情報の津波を余すところなく叩きつけてくる。


「……っ! ぐ……あっ……がっ……!」


 この痛みは幻だ。この苦しさはただの思い過ごしだ。そう言い聞かせなければ戻れなくなってしまうのに、沈むのが深ければ深いほど何故か感覚だけは鋭く磨き抜かれていって。

 このまま全身を浸して落ち続ければ、この世の真理さえ触れられると慢心してしまえるほどの万能感が更なる誘惑を注ぎ込む。


「呑まれるな……」


 打ち消す言葉を口にして律しなければどんどんと深みにハマってしまう。これ以上は危険だ。欲張るほど「ぼく」はそれ以上の強欲さで取り立ててくる。

 呑まれるな、呑まれるな、呑まれるな。

 何度も繰り返して精神の微調整に集中する。流れを穏やかに、その冷たさを自分の温度と均一になるようにすれば、水門は閉じる。


 水面から意識が浮上すると開けたのはいつも通りの現実世界だった。休んではいられない。「レンタル」の時間は限られている。


 意識を凝らし空間に自分を解き放つイメージを形作る。空気の流れ、反響する音といった余分な情報を取り除き、この場に滞留する自分以外の誰かの存在に集中する。


 脳の奥に熱が溜まる感覚に浸りながら、空間と同調を深めるとゾクンと別の熱が入り込んだ気がした。視たわけでも聴いたわけでもましてや肌が反応したのでもない。

 表面的な感覚器官よりももっと深いところ、直感とも言うべき何かが僕に訴える。と。


 集中を緩め目を開けばそこは先程と何の変りもない殺風景なコンクリ壁。でもその下には確実に車のエンジンとは異なる熱を感じる。


「見積もって3階ってところか」


 そうと分かれば動きは早い。このままえっちらおっちら下り坂を降りたいけど、時間がかかり過ぎる。ならば選ぶのは当然最短距離。1階ごとの高さは大してない。吹き抜けの大きさも許容範囲。

 手が滑らないように丁寧に拭い、跳躍して体を慣らす。跳ぶタイミングと駆け出すタイミングを合わせ、一気に加速する!


 壁に向かってジャンプし縁を踏んで吹き抜けの対岸に再びジャンプ。傍からすれば飛び降り自殺だけど、移動するにはこれが最も効率的だ。

 壁が迫り両手を引っ掛け、両足で踏ん張る。一瞬の重圧を受け止め次の階の壁にもう一度飛び移る。


「……痛ってぇ~」


 もろにコンクリートに掴みかかったせいで手の平がヒリヒリする。

 カッコつけて三角跳びやったツケだ。動画で撮影されてたら僕の黒歴史でも上位に食い込めるくらい恥ずかしい。


「おい何か音しなかったか?」


「あ、俺見てきます」


 やっべこっち来る……! ぶら下がったままじゃ見つかっちゃうからすぐに身体を引き上げ、最寄りの車体を陰に隠れる。

 某ダンボール大好きおじさんに成りきったつもりで息を殺し、様子を見守ると目と鼻の先にどこかで見た顔が。ええと……田代と杉本どっちだっけ?


 中々出てこない名前に四苦八苦していると、田代or杉本の背後、駐車スペースの角に1台のバンが停まっているのが見えた。

 一発で不良たちのだと分かった。だってすぐ近くに怖いお兄さんたちが屯してるんだもん。


 すると矢吹さんもあの中か……。まずは安否を確かめないと。


 拓実は強い子泣かない子!

 とチキンなハートに自己暗示を試したけど、何故か寒さでもっとチキンになった気がした。いや逆効果じゃん。

 だけどその臆病な心が却って慎重な行動に繋がるのだ。「俺がうさぎのように臆病だからだ……が……臆病のせいでこうして生きている」ってゴルゴ13も言ってたし。


 奴らが常駐しているということは監視カメラは気にしなくていい。田代or杉本に気取られないように別の車体に潜り込み、そのボディを強く叩く。

 振動を検知したセンサーがけたたましくアラームを発し、男たちの注意が一斉に向かう。


「何ださっきから。うるせえな」


「早く消せよ。二日酔いに響くだろうが」


 わらわらとアラームの発信源に群がるのとすれ違いで車や柱の死角、照明が当たらないところに滑り込みながら、バンに接近する。

 運転席は誰もいない。助手席もだ。意を決してドアを開けると予想通りだけど予想通りじゃない状況が広がっていた。


「え……矢吹さん……?」


 問題のお姫様は何と言うか……輝いていた。

 いや発光しているのか?

 ってか熱っ! サウナかこれ!?


 てっきりロープとかで縛られているのかと思ってたけど、矢吹さんは口にガムテープもしていなかった。

 それどころか鬼気迫る顔でカッターを掲げて臨戦態勢に入っている。どういうこと?


「こ、古賀君!? どうして――」


 驚きの余り声が大きくなりかけたのを人差し指を立てるジェスチャーで抑える。そしてこの時のために昨日から夜通し練習した最高のスマイルでキメる。


「君を助けに来たのさ。怖かっただろう。僕が来ればもう安心だ」


 余計な修飾語は不要。古今東西の王子たちはシンプルな台詞だからこそ際立つのだ。

 さあ涙に震えて僕の胸に飛び込んでくるがいい!


「こ、怖かった……!」


 ……え! マジで!? 僕アイドルにハグされてる!?


 まさか本当に抱き着かれるとは思ってなかった。小さくて折れそうなくらい細くて何か良い匂いがする。これがアイドルの抱き心地って奴か……。

 そうだよ。この展開を待ってたんだよ! やっぱり僕のラブコメはまだ終わってない。さっさと不良どもを倒してハッピーエバーアフターで締めくくらなきゃ!


 ……ってか、何かさっきから焦げ臭いにおいがするんですけど。妙に熱いし。それに矢吹さんがやたら高温なのはどうして?


「ちょ、熱い熱い熱い! うわ、服が焦げてる!」


「あっ、ご、ごめんなさい! 無我夢中で私ったらつい……火傷しちゃってない?」


「ギリギリ大丈夫……かな……。にしても矢吹さんどうしたのその恰好……? 魔法少女よりもピカピカに光ってるんだけど」


「こ、これはその……決死の抵抗というか……乙女の鎧というか……」


「……?」


 この子は何を言ってるんだろう。混乱の余り頭の中も魔法少女になったのか?


「サーモクロミックって電気を流して温度を調節する仕組みなの。だから着ているとき凄く暑いんだけど……昨夜古賀君とレシュリスカヤさんがこれを届けてくれたでしょ? そのときにもしものことがあったら、服に電気を最大まで流し続けろってレシュリスカヤさんが教えてくれて……。私を襲った人たちは服も脱がせないから立ち往生してるんだよ」


「そのせいで矢吹さんは汗だくってことか。しかしよくそんな使い方を……君だって火傷しかねないよ」


「質の良い断熱材が入ってるから平気。でも危なかった……いつバッテリーが切れるか分からなかったから」


「間に合って良かったよ。さあ急いで逃げ――」


 差し出した手に指が触れるのと首に急激な力が掛かったのはほとんど同時だった。

 有無を言わさず車外に引きずり出され、地面に派手に尻もちでワンクッションすると、真ん前に立ち塞がるのはバットやスタンガンで武装した強面のお兄さん方。

 ……ダレカタスケテ。


「あの、すみません調子乗ってました。折角のアクションシーンだからちょっとハッチャケ過ぎたっていうか……マジで許してください」


 対立関係の相手には話し合いというのが古賀政権の指針だ。平身低頭すれば必ずその熱意は伝わるはず! たとえ襟首を掴まれて引きずり上げられても!


「なあ兄ちゃん、世の中には知らない方がいいことってあると思わねえか? もし知っちまったらどうすればいいってママに教わった?」


「さ、さあどうでしたっけ……」


 ……マズいな。こんな展開も考えなかったわけじゃないけど、矢吹さんが拘束されてないのは想定していなかった。

 流石に顔見知りの前で暴れるのは御法度だ。余計な目撃者が出れば残らず始末しなければならなくなる。どうすればいい……?


「じゃあもういっぺん保育園から出直しな!」


 大きく拳が引き絞られるのを横目に、これ労災降りるかな、なんて思考をずらしもう一度尻もちの準備をすると……いきなり殴ろうとした男の方が派手に吹っ飛んだ。


 男の代わりに視界に割り込んだのは、真っ直ぐに伸びた長い脚。そして亜麻色の髪。


「何でお前がここに居やがるんだよ」


 蹴りを収めたレシュリスカヤさんの顔は普段のそれが冗談と思えるほど険しさに満ちていた。ギリギリのタイミングに容赦ない攻撃。本当に男には優しくないヒーローだ。


「あーえっと、アレだよ。帰納的推論?」


「あれは個別的事例から導く方法だろ。お前こんな目に前も遭ったのか?」


 呆れ混じりにリュックを放り投げる。ファスナーの開いたそれを僕は慌ててキャッチした。

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