第15話 鉄拳制裁

 そして場面は冒頭に巻き戻る。


「おいおい堀川! 何お前不意打ち食らってんだよ。相手は女だぜ?」


「……っ! うるせえ! このアマぶっ殺してやる……!」


 蹴り飛ばされた堀川という男が憎悪に支配された目で睨む。普通の人なら尻込みするくらい怖いけど、レシュリスカヤさんはどこ吹く風と言った様子で不良の1人を見据える。


「矢吹美鈴を返せ」


 こっちも聞くだけで戦慄が走るほどの冷たさだ。返事次第では実力行使も躊躇わないだろう。それを感じ取った不良も余裕の笑みが消える。


「この中で一番強いのお前だろ? さっさと子分を連れて消え失せろ」


「逆らったらどうするんだ? 俺ら全員ぶちのめすってか?」


「良く分かってんじゃねえか。それ以上ブサイクになりたくなかったら早くした方が身のためだぞ」


「お~い! 待ってくれ~!」


 獰猛に笑うレシュリスカヤさんの後ろからゼエゼエと追い付く寺田さん。着いて早々虫の息だ。


「遅えよ。ちゃんと通報したのか?」


「ああ。それより美鈴は無事なのか!?」


「すぐに分かる。まあ見てろ」


「よう寺田じゃねえか。お前こいつらとグルなのか」


「……だったら何だ。美鈴は返してもらうからな。曽我部」


 恐怖を無理に押し殺した寺田さんを睨む曽我部と呼ばれた男が、恐らくこのチームのヘッドだろう。一回り大きい体格に腕に彫った刺青、威圧的な振る舞いがそれを物語っている。


「ここをサツに知らせたのか」


「表に出てみたらどうだ? すぐに来てくれるだろうな」


「そりゃあヤバいな。さっさとズラかるとするか……いや気が変わった。姉ちゃんあんた随分とそそる顔してるじゃねえか。嫌いじゃねえぜ気の強い女ってのは」


「へえ、じゃあ私に免じてその子を解放してくれない? サービスするからよ」


 露骨な売り言葉に買い言葉。囃し立てる周囲に押されて曽我部がレシュリスカヤさんに歩み寄る。ポンと肩に手を置いた曽我部はやけに晴れやかな表情だった。


「んじゃお言葉に甘えて」


 届いたのはばちんっ、ではなくもっと硬く鈍い音だった。肉を叩くのではなく打ち込む音。レシュリスカヤさんの頬を躊躇なく殴ったのだ。勢いで僅かに後退った彼女の唇の端から赤い筋が垂れた。


「ほう。どんなに強気な女でもこれを1発当てりゃ、赤ん坊みたいにピーピー泣き喚いたんだがな。堀川を蹴り飛ばしたのは褒めてやるが、虚勢は止めた方が良いぜ? こんな風に取り返しのつかないことになるからな。さあどうやって俺を悦ばせてくれるんだ?」


 俯くレシュリスカヤさんに曽我部が気持ち悪い猫撫で声で宥める。けれども奴はここで気付くべきだった。彼女の口元が吊り上がっていることを。


「仕方ねえな。とっておきをくれてやるよ」


 次の瞬間、レシュリスカヤさんは曽我部の股間を蹴り上げた。喉の奥から声にならない悲鳴を上げて崩れ落ちる光景は、同じ男として同情を禁じえない。

 うずくまるリーダーを踏みつけ敵を見る目で威圧するレシュリスカヤさんに、男たちは気圧されてしまう。


「……誰もかかってこないのかよ。悪ぶってる割に度胸はないのな。まあ、私としても手間省けるから好都合だけど。おい、古賀。お前も突っ立ってないで――」


「おらあぁぁぁ!」


 レシュリスカヤさんが振り返ったのを好機と捉えたのか、堀川が走って背中を狙いバットを振り下ろす。

 しかしその動きを事前に分かっていたかのようにレシュリスカヤさんは半身で躱し、肩と腕を押さえバットの勢いを借りて滑るように地面に引き倒した。


「こんな誘導に引っ掛かるのかよ。日本人はカモりやすいって話、本当だったんだな」


「くそっ、やっちまえ!」


 初撃で頭目が沈んでしまい戸惑う不良たちだったが、このままでは面子が立たない。未知なる強さに及び腰になっていた仲間が誰かの合図で一斉に飛び掛かっていく。


「素人が」


 低く呟いたレシュリスカヤさんはまず最初に殴りかかった相手の腕を掴んで引き寄せると同時に、その下から忍ばせたアッパーカットで下顎を打ち上げる。

 無論、見事なカウンターでグロッキーになった隙を逃さず、下がった頭を掴み膝で潰してKO。


「死ねや!」


 そう言って入れ替わりで襲いくるパンチのワンツー。しかし反応は速くどちらも即座に払って流し、本命のスリーに合わせ右手で伸びた腕を掴む。懐に入りがら空きの腹部に左肘を食らわせ、裏拳を跳ね上げる。

 景気良く鼻血を噴き出した男の袖を引き込み崩しに繋げ、地に叩き伏せたところを踏みつけてフィニッシュ。


 すると影から一対の腕がレシュリスカヤさんの上着をずり下ろし両腕を封じてしまった。必死に動きを押さえ「今だやれ!」と叫ぶのは堀川だ。道連れを覚悟しているのか中々外れない。


「チッ」 


 振り払うのが億劫になったレシュリスカヤさんは、頭突きをかまし踵で堀川の金的を打ちつけた。たまらず離れた間合いを鞭のようにしなやかな後ろ回し蹴りで埋め、こめかみに炸裂させて倒す。


 しかし間の悪いことに堀川の捨て身の援護に、スタンガンの男が特攻を仕掛けてくる。身動きが取れない状態で攻撃を食らえば重傷は免れない。


「危ない!」


 思わず身を乗り出しそうになったけど、この状況でも彼女は冷静だった。突き出されたスタンガンを最小限の動きで躱し、彼我の距離が0になった刹那、顎を相手の肘関節に引っ掛け体を捌いて投げる。

 流水の如く鮮やかな動きに魅せられたスタンガン男は、自分が投げられたと認識する前にただの屍となった。


 勝敗は決した。いや、これはそもそも勝負だったのか。正直途中からどっちを応援したらいいか分からないくらいのワンサイドゲームだった。

 気分的には小さい頃に見た戦隊シリーズで、全員の力を合わせても敵わないくらいの強敵が出て来た時の絶望感に似ている。


「ま、待て……」


 障害を片付け終わり、やっと終わったという安堵が生まれた時だった。掠れながらも執念を宿した声は死屍累々の中から聞こえ、むくりと人影が浮かび上がる。


 それは最初の餌食になった曽我部だった。まだ痛むのか腰を震わせ股間を押さえる姿は涙を誘う。


「俺たちはこんなところで終われねえんだ……。絶対に諦めねえ!」


 流石はリーダー。最後までレッドは立ち向かうという戦隊ものの常識を良く分かってらっしゃる。対してボスキャラ……もといレシュリスカヤさんは白けた様子を隠しもしない。


「あのな、少しは空気読めよ。さっき完全に敗北パターンだっただろ。大体まともに立ててないだろうが」


「誰のせいだよ! それにこんなもんは気合で何とかなる! ぐっ……ふっ……うおぉぉぉ!」


 無駄に逞しい雄叫びを上げた曽我部は、驚くことに自力で立ち直るどころか拳を構えてみせた。まだちょっと腰がプルプルしてるけど、そこは見ないことにするのが優しさだ。


「どうした。第2ラウンド開始といこうじゃねえか」


 チームの頭として何より男としての矜持を守るために、最後まで食らいつく。そんなリーダーの気概に感じるところがあったのだろう。レシュリスカヤさんも両の拳を構えたシンプルなファイティングポーズで決闘に応じる意思を示した。


「行くぜぇ!」


 気迫と共に剛腕が唸る。股間のダメージがあるとは思えない動きだ。しかしそれはフェイクで同時に真っ直ぐな蹴りが襲う。

 レシュリスカヤさんは脚が持ち上がった時点でそれを読み、足裏で膝を押さえることで攻撃を防ぐ。間髪入れず貫手で目を狙った反撃に、曽我部もギリギリで回避した。


 仮にもチームを率いる立場として手下よりは喧嘩慣れしている動きだ。激痛に耐えるタフネスも持ち合わせている。思ったよりも長引きそうなので、僕は寺田さんとバンに向かうことにした。

 1秒も惜しいと互いに駆け寄る幼馴染ズ。固く抱擁を交わす2人は彦星と織姫のようだ。しゃくり上げる矢吹さん超可愛い。寺田そこ代われ。


 一方、視界の片隅ではレシュリスカヤさんが仕掛けていた。軽快なステップを踏んで素早い攻撃を多彩な軌道に乗せてくる。攻防一体かつ圧倒的な手数で蹂躙する様は狩りに興じるハンターに近い。


 縦拳を基点に繰り出される乱打を食らい二段蹴りで吹っ飛ぶ曽我部。何とか立ち上がり我を忘れて掴みかかるが、組み合った瞬間に体をひるがえしたレシュリスカヤさんに重心を前に崩され足を払って投げられる。完璧な払腰だ。


 それでもめげず立ち向かう姿にレシュリスカヤさんも真剣に応え――


Это конецこれで終わりだ


 何事かぽつりと呟いた瞬間、その手足が電撃的に動いた。上下に散らせた蹴りで体勢を崩し、スピードを重視したコンボで壁際に追い込んでいく。

 逃げられなくなった曽我部は必死に反撃するが、どれも煩わしそうにいなされてしまう。そして蹴り上げようとした脚を踏みつけられ強引に地面に固定された曽我部は、遂に洗礼を浴びることになった。


 一層加速したレシュリスカヤさんの腕が拳、手刀、肘打ちをドラムロールの如く叩き込んでいく。頬が歪み、血が滲んで、呼吸も出来ず、それでも終わらない。

 殴って、殴って、また殴り、止めとばかりに腰の捻りと拳の螺旋運動を加えた一撃が鳩尾に突き刺さった。


「お前、一体……」


 今際の言葉を最後に曽我部がずるずると崩れ落ちる。一切の防御を許さない怒涛のラッシュは、ものの数秒で相手を戦闘不能に陥らせた。最後の敵が白目を剥いて地に伏せた音が、試合終了のゴングだった。


 こうして不良戦隊ワルレンジャーの舞台は幕を閉じた。ただし、悪役が圧勝するという後味の悪い結末で。

 曽我部に殴られたのが唯一のダメージだけど、打点をずらしたらしく支障はないようだ。正当防衛のためにわざと殴られたと言ったところか。


「チッ、汚ねえ……」


 レシュリスカヤさんが手の甲から抜き取って捨てたのは、白い歯だった。さっきの曽我部を殴ったときに折れたのが刺さったのだろう。


「お、お疲れ様レシュリスカヤさん……凄い動きだったね。何かやってたの?」


截拳道ジークンドーを少しな」


 截拳道といえばブルース・リーが詠春拳という中国拳法に空手、柔道、合気道、ボクシング、サバット、レスリングなどの要素を組み合わせた格闘技だ。実物は初めて見たけど、まさか無傷で勝利するとは。

 流石はブルース・リーの武術と賞賛すべきか、それとも彼女が出鱈目に強いのか。いずれにしろ分かったのは


 ……これ、逆らったら殺されるな。

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